<?xml version="1.0" encoding="UTF-8" ?>
<?xml-stylesheet type="text/xsl" href="bbs.xsl" ?>

<texts>

 <primary>
  <code>19981201095340河嶋陶一朗</code>
  <title>娯楽商品としてのTRPGの限界</title>
  <subtitle></subtitle>
  <date>98年12月01日09時53分</date>
 </primary>

 <secondary>
  <code>19981201095340河嶋陶一朗</code>
  <no>1</no>
  <title>娯楽商品としてのTRPGの限界</title>
  <description>&lt;p&gt;複数の人間がいないと遊べない。&lt;br /&gt;というのは、TRPGが持つ「限界」の一つかもしれません。&lt;br /&gt;ここ最近の娯楽商品の中で、遊ぶのに複数（３人以上）の人間を必要とするもので爆発的にヒットしたものは、個人で遊ぶものに比べ圧倒的に少ないような気がします。&lt;br /&gt;どんな遊びか一見では理解しにくいTRPGならなおさら、複数の人間を必要とすることがデメリットになりそうです。&lt;br /&gt;「面白さ」という意味ではなく、商品、つまり「売れ難い」という意味では、複数の人間を必要とすることが、TRPGの限界ではないしょうか。&lt;/p&gt;</description>
  <author mail="">河嶋陶一朗</author>
  <date>98年12月01日09時53分</date>
 </secondary>

 <secondary>
  <code>19981201140559鍼原神無〔はりはら・かんな〕</code>
  <no>2</no>
  <title>構造的限界に対する戦略</title>
  <description>&lt;p&gt;　確かに「複数の人が一同に会さないと遊べない」ことはTRPGの「構造的限界」の一面でしょぉ。この場合「構造的限界」って、抜本的に改編したら別のモノに代わってしまうってことだと思います（私見）。&lt;br /&gt;　例えば、TRPGとメールゲームは異なるジャンルだと思うわけです。チャットセッションは未経験だけど、プレイ感覚など随分違う別種の遊びなんじゃないかしら（？）&lt;br /&gt;　克服すると別モノになってしまうものを「構造的限界」と呼ぶならば、それを逆手にとってアピールポイントにしてく戦術を検討・考案するのが、基本戦略かと思います。&lt;/p&gt;</description>
  <author mail="Kannah@aol.com">鍼原神無〔はりはら・かんな〕</author>
  <date>98年12月01日14時05分</date>
 </secondary>

 <secondary>
  <code>19981201142543鍼原神無〔はりはら・かんな〕</code>
  <no>3</no>
  <title>戦術検討の方向性（一案）</title>
  <description>&lt;p&gt;　「複数の人が一同に会さないと遊べない」ことはTRPGのライブ性って特性とうらはらですよね。ならばライブ性が魅力である、って方向でアピールしてくことができるとよいと思います。ゲームデザイン（これはクリエーターの仕事だけど）的な側面、コンベンションのイベント企画的側面、いろいろな側面でライブ性の魅力を強調する方策はあるんじゃないかなぁ（？）。&lt;br /&gt;　例えば、商品ってレベルでなら、「央華封神」とか、「ラジオドラマの声優とセッションができる☆」ってイベントとかやればいいのよ（もぉやってる？）。ドラマで役持ってる声優さんはアタリ卓にして、どの卓にももれなくプロ声優さんのサブマスが各一ついてるイベント。＜こんなのプロがやるべき仕事だけどね。&lt;/p&gt;</description>
  <author mail="Kannah@aol.com">鍼原神無〔はりはら・かんな〕</author>
  <date>98年12月01日14時25分</date>
 </secondary>

 <secondary>
  <code>19981202020435河嶋陶一朗</code>
  <no>4</no>
  <title>しまった（涙）。</title>
  <description>&lt;p&gt;間違えてしまいました。&lt;br /&gt;上記の河嶋の議題は、ＥＮＴ氏のＴＲＰＧの限界への一意見として書き込むはずのものでした。&lt;br /&gt;申し訳ない。&lt;/p&gt;</description>
  <author mail="">河嶋陶一朗</author>
  <date>98年12月02日02時04分</date>
 </secondary>

 <secondary>
  <code>19981202021755河嶋陶一朗</code>
  <no>5</no>
  <title>ＴＲＰＧが商業ライブに向いていない点</title>
  <description>&lt;p&gt;一口にライブ性といっても、ＴＲＰＧが向いている点と向いていない点があるでしょう。&lt;br /&gt;たとえば、一般の商業ライブの場合「送り手（少数）」から「受け手（多数）」へ向けて発生するものです（例｡コンサート、演劇）。&lt;br /&gt;反面、ＴＲＰＧの場合、商業ライブとしては「送り手」が若干多目に必要になるでしょう。&lt;br /&gt;また、問題の一つに「ステージ」の問題があります。&lt;br /&gt;通常のライブは「送り手」と「受け手」の間に「ステージ」の差があるものです。&lt;br /&gt;これが、無くなることはメリットも生み出しますが、より多くのデメリット（幻想の崩壊、成立の難しさ）が生まれることも事実でしょう。&lt;/p&gt;</description>
  <author mail="">河嶋陶一朗</author>
  <date>98年12月02日02時17分</date>
 </secondary>

 <secondary>
  <code>19981202023412河嶋陶一朗</code>
  <no>6</no>
  <title>ＴＲＰＧのライブ性を活かした企画案</title>
  <description>&lt;p&gt;「メモリアルパーティーセット」&lt;br /&gt;思い出に残る誕生パーティを演出するツールとして、簡単に自分だけのストーリーを作成できるＴＲＰＧライクなツール。&lt;br /&gt;プレイヤーは誕生日の人のみ。&lt;br /&gt;マスターはパーティーの幹事役の人に、それ以外の参加者はｎｐｃを演じるサブマスターとして参加。&lt;br /&gt;誕生日をテーマにしたシナリオやゲームシステムがキー（パーティの時にあるはずのもの……ケーキや誕生日プレゼントなどを駆使したりする）。&lt;br /&gt;対象の年齢に合わせて、シリーズ化しても面白いかも（５歳の誕生日用、16歳の誕生日用など）♪&lt;/p&gt;&lt;p&gt;どちらかというと、ミニお芝居セットっぽくなるかもしれませんね。&lt;br /&gt;&lt;/p&gt;</description>
  <author mail="">河嶋陶一朗</author>
  <date>98年12月02日02時34分</date>
 </secondary>

 <secondary>
  <code>19981205111116鍼原神無〔はりはら・かんな〕</code>
  <no>7</no>
  <title>「パーティー型（仮）」のライブ性</title>
  <description>&lt;p&gt;　確かに、ステージ型のライブにはTRPGにはそぐわない面が大きいですね。&lt;br /&gt;　しかし、ライブな娯楽はステージ型のものだけではないですよね。&lt;br /&gt;　極限例としては、ディスコ型のライブ娯楽、って類型を考えてみることもできます（これもTRPGにドンピシャではないですけれど）。&lt;br /&gt;　市場に流れる音楽商品に、ユーザーが個別に付加価値をつけてく（自分の好き好きで踊る）のを「ディスコ型ライブ娯楽」と概念規定してみると、「ステージ型」と「ディスコ型」の中間領域に、まだ試みられていないTRPGの展開方向を構想できるかもしれません（ディスコにグループで遊びにいくことは割とよくあることですよね）。&lt;br /&gt;　河嶋さんの「メモリアルパーティーセット」のよぉに、「ステージ型」とも「ディスコ型」とも違う、パーティー型（仮）ライブの娯楽性を考えてみることは、TRPGにとってきっと有効ですよね。&lt;/p&gt;</description>
  <author mail="Kannah@aol.com">鍼原神無〔はりはら・かんな〕</author>
  <date>98年12月05日11時11分</date>
 </secondary>

 <secondary>
  <code>19991010044336藤原住友</code>
  <no>8</no>
  <title>世の中代えないとね</title>
  <description>&lt;p&gt;　映画で感動した興奮したと喧伝する人は多くても、小説を読み感動した興奮したとふれて回る人はめったにいないですね。つまり見た驚きと興奮は、想像する知的興奮より大きいと感じる人が今の世の中多いように思えるのです。知的と言っても頭の良し悪しではなく、小説で次の展開にどきどきしながらページをめくる興奮、あるいは物語を読んだあと自分ならこうするだの、主人公はこうなったのだろうかと夢想に更ける類の知的の部分です。そして、そんな知的さを持った人を、今の世論であまり歓迎しているとは思えません。でもＲＰＧにはその類の知的さが不可欠だと思います。つまり今の世の中というか世論がそのままＴＲＰＧと言う商品の限界のように思えます。&lt;/p&gt;</description>
  <author mail="">藤原住友</author>
  <date>99年10月10日04時43分</date>
 </secondary>

</texts>

