20011002205707
シゾフレゲーマーとメランコゲーマー
和田秀樹『なぜ、あの人はあんなに無責任なのか』を読んで考えたこと
<p><b>はじめに</b></p><p>和田秀樹『<b>なぜ、あの人はあんなに無責任なのか</b> 責任感の心理学』(ダイヤモンド社、2001年)を読んだ。筆者独特の用語で性格の傾向を表す「シゾフレ」と「メランコ」はなかなか興味深い分析である。</p><p>ふと、この対比を卓上RPGの遊び手に応用すると、当たっている点が多いように感じた。時折私が抱く「なぜあの人はRPGについてこのように考えるのか?」という疑問の答えになるように思えたのだ。</p><p>ちょっとした思いつきだが、この考えについて記してみる。</p><p><b>シゾフレ人間とメランコ人間</b></p><p>まず、前掲書で述べられた和田秀樹による両タイプの特徴をまとめてみよう。</p><p> <b>シゾフレ人間</b> (精神分裂病Schizophrenia型人間)<ul><li>己だけの向上よりも、他との協調性を優先する。</li><li>他の価値観に染まりやすく、それを冷静に分析しようとはしない。</li><li>他からの非難に弱い。敵対か服従かと、極端に走る。</li><li>表面的には社交的だが、情緒的に深い関わり合いはしない。</li><li>今うまくいくこととがすべて。周囲の雰囲気に合っていれば、過去との一貫性は気にしない。</li><li>被害的に受け止めやすく、また魔術的思考にとらわれやすい。</li></ul> <b>メランコ人間</b> (うつ病melancholy型人間)<ul><li>努力や競争を好む。周囲よりも自分の意思を大切にするので、批判に強い。</li><li>自分の価値観にこだわり、それから外れると不快感を感じる。不適応に苦しむこともある。</li><li>情的で深い人間関係を求める。決めた相手には献身的で忠実。</li><li>過去との一貫性を気にする。</li><li>論理的に、また自分に関連づけて考える。論理で説明できないものに嫌悪感を覚える。</li></ul>これらが人間心理を分ける概念として適当か否かはここでは判断しない。興味のある方は同氏の著書をご一読されることをお勧めする。</p><p><b>シゾフレゲーマーとメランコゲーマー</b></p><p>さて、これらを卓上RPGの遊び手のタイプを分ける概念、仮に「シゾフレゲーマー」と「メランコゲーマー」として応用すると、どうなるだろうか。各々の特徴を私なりに考えると次の通りである。</p><p> <b>シゾフレゲーマー</b><ul><li>プレイそのものの楽しみを重視する。雰囲気や相手の調子を素早く掴み、調子を合わせ、また自分のプレイをアピールしようとする。楽しみを得るための技術に長けている者が多く、自分の今の能力に満足している。つまらないプレイを嫌うあまり、つまらなかったプレイでも楽しかったと思い込むこともありうる。</li><li>理屈や議論、そしてそれを語る者を嫌う。理論を聴いたり、論じ合う場面はストレスを伴い、楽しくないからである。また、努力もストレスを伴うため、これを嫌う。それらを好む者は楽しむ時間を減らしているので、好ましくない存在と認識している。</li><li>楽しくプレイできたゲームは良いゲーム、つまらなければ悪いゲームと、自身の体験によって判断が左右される。プレイを楽しくする能力が高いため、あまり好き嫌いはできない。議論を避けるためにすべてのゲームを良いゲームとすることもある。売り文句や作り手の主張を無批判に受け入れる傾向がある。</li><li>誰とでも楽しくプレイできるため、付き合いは広い。プレイする相手を分類しようとする"住み分け"には反対する傾向がある。自分のスタイルを問うよりも、誰とでも楽しめることの方が意義が大きいと思うためである。ただし、「ノリ」を理解できない、盛り上げようとしてもついてこない者は嫌う。</li></ul> <b>メランコゲーマー</b><ul><li>プレイを楽しくするための方法論を重視する。ルールを研究し、あるいはゲームのための理論を立て、またプレイ技術向上のために努力する。ただし必ずしもそれが上手いとは限らない。新しい試みには積極的で、それから学ぶことがあれば失敗を怖れない。自他共に厳しさや反省を要求し、また自説にこだわるため、強いストレスによって共同体が崩壊することもある。</li><li>理論性や整合性を欠いた、「ノリ」だけのプレイを嫌う。それは本当に"楽しい"のではなく、"楽しいと思い込む"ことでしかない。本当の楽しさを得るために、妥協を極力避けようとし、また安易に妥協する者を嫌う。</li><li>ゲームの良し悪しは、ルールや設定の整合性や機能性などから、プレイ体験とは切り離して判断される。長所短所を厳しく分析した上で、サプリメント等により補完するか、ハウスルールを作成、もしくはより優れた他のゲームに乗り換える。</li><li>真剣な議論のできる相手とのプレイを好む。また自分のスタイルにこだわるため、それを明確にする"住み分け"には賛成の傾向がある。</li></ul>以上、いかがであろうか。</p><p>前掲書にもある通り、これらは人を二つに分けるためのものではなく、性格傾向の両端に位置する概念である。両者共己がどちらに傾いているかを認識した上で、「メランコ」は「シゾフレ」の良いところを学び、「シゾフレ」もまた「メランコ」の良いところを身に付ける。そうすることで自分の長所を伸ばし、短所を補うことができるのである。なるほど、自他の違いを考えずに非難し合うよりは、遥かに賢明であり、有意義なことであろう。</p><p><b>おわりに</b></p><p>ちなみに私は「人間」としては「どちらかといえばメランコ」だが、「ゲーマー」としては「かなりメランコ」のようである。もし上記説明に「シゾフレゲーマー」を必要以上に貶めているならば、それは私の立場が偏っているからである。両者の間に上下をつける気は毛頭ないことをお断わりしておく。</p><p>また私は心理学の専門家ではないので、上記の応用は正式の考察を経たものとも言い難い。その点もお含めおきいただき、この思いつきが諸氏のプレイ環境を考える際の参考にでもなれば幸いである。</p><p>あなたはどちらのタイプの「ゲーマー」ですか?</p>
鏡
2001年10月02日20時57分
20011002215635
1
バランスの問題
<p>こういう性格とかはバランスの問題だと思いますが、「どちらかというと」という、接頭語を付けて以下の文章をお読みください。</p><p>私は、<br />人前ではシゾフレに近い言動をすることが多いと自己分析しているが、<br />他人からの評価はメランコに近い物を貰う。<br />ネット上、もしくは自宅でルールの研究をしている時はメランコに近いと自己分析しているが、<br />他人からはシゾフレの雰囲気を持っていると指摘されることがある。</p><p>で、全体的にはメランコ調かと。</p><p>どうでしょうか(笑)?>鏡さん<br /></p>
東涙香
2001年10月02日21時56分
20011006092416
2
他人からの視点ですか
<p>>東涙香さん<br />早速の自己分析楽しませていただきました。う~ん、あずまさんのことが分かったような、余計分からなくなったような(^^;)。</p><p>心理分析などは私の専門外でチンプンカンプンですが、やっていることやその時の周囲によって変化するとか、他人からどう見られるかなどはあまり考えてませんでした。その辺を考えるのも面白いですね。</p><p>シゾフレとメランコ、両方の要素が出ていると言うのは双方のバランスも取れているということで、この本の主旨からいうと大変良い状態なのではないかと思います。…自信は無いんですけど。</p>
鏡
2001年10月06日09時24分