20020630234203
「なんにもできない」とは「何ができない」のか
「ゲームデザインのためのタクティクス 第5回」に見られる鈴吹太郎氏の「自由」とRPG観
<p><b>●はじめに</b></p><p>『<b>ゲーマーズ・フィールド 6th Season Vol.4</b>』(p.115)所収「<b>ゲームデザインのためのタクティクス 第5回:できないことはいいことだ</b>」は、読んだ当初、私には不可解な文章であった。ここでは著者である鈴吹太郎氏の過去のプレイ体験が紹介され、RPGの「自由」についての彼の考えが述べられている。が、私には両者がどう結びつくのか分からなかったのだ。</p><p>しかし読み返す内に、鈴吹氏の考える「自由」、また鈴吹氏がRPGに求めているものが、私のそれらと違っているのが、理解を困難にした原因だったと気付いた。</p><p>このことについて記す。</p><p><b>●文章全体の要旨</b></p><p>この文章は四つの段落に分けられており、各々で次のようなことが述べられている。<dl><dt> 「<b>デモンズ・シティ</b>」</dt><dd>ダブルクロス用サプリメントは「プレイヤーがすることを"限定"しやすい」点で圧倒的に優れた作品である。<br /> </dd><dt> 「<b>自由って素晴らしい?</b>」</dt><dd>RPGは「想像力の許す限りの自由を駆使できる」が、自由が行き過ぎることも多い。「なんでもできる」は「なんにもできない」と同じことだ。<br /> </dd><dt> 「<b>どこに行ってもいいよ</b>」</dt><dd>鈴吹太郎氏の経験した失敗談。良いRPGとは、プレイヤーおよびPCの行動を、自由と思わせつつ、制限するものである。<br /> </dd><dt> 「<b>自由に限定する</b>」</dt><dd>自由度の高いRPGはセッションが崩壊する可能性が大きくなる。ダブルクロスは自由と限定が調和された良いゲームである。</dd></dl><p>「ダブルクロス」のデザインコンセプトについては特に申し上げることは無い。その宣伝を兼ねてはいるが、問題は「自由」についてである。</p><p><b>●鈴吹太郎氏の体験談について</b></p><p>第3段落「どこに行ってもいいよ」に記されているのが件の体験談である。「あるファンタジーRPGをプレイした時」として語られるプレイのあらまし(下記1~3)と鈴吹氏によるその評価(4~5)は次の通りである。<ol><li>マスターは、未開の森の中で見つけた古城を舞台としたシナリオを準備した。</li><li>マスターは、プレイヤーに未開の森の地図を与え、その中で自由に探検させた。</li><li>その結果、プレイヤー=PCは古城にたどり着かなかった。</li><li>「どこへ行ってもいいよ」と言われた結果、「どこにも行けなかった」のだ。</li><li>「"シナリオが始まらない"自由」は、ほんとうに楽しいと言えるのだろうか?</li></ol><p>ところが上記の論旨には問題がある。<ul><li>疑問1:1で「古城探索シナリオ」をやりたかったはずのマスターが、なぜ2では「未開の森探検シナリオ」をプレイヤーにやらせたのか。</li><li>疑問2:未開の森のあちらこちらに行ったはずのプレイヤー=PCが、なぜ4では「どこにも行けなかった」と、5では「シナリオが始まらな」かったと評価されたのか。</li><li>疑問3:上記シナリオプレイは楽しくなかったかのように読めるが、楽しめなかったのは誰なのか。</li></ul><p>これらの疑問を元に考えた結果、次のように私は推測した。</p><p>このマスターは「未開の森探検シナリオ」の結末を「古城に着く」と決めていた。しかしながら、( 2でやったことからすれば至極当然なことに)プレイヤーは彼の期待通りには動かなかった。不満は期待の裏返しであるから、このマスターは強く不満を感じ、彼はそのプレイを失敗/破綻/崩壊したものと認識したものと思われる。</p><p>プレイヤーはどうか。シナリオの概要について予め説明が無かったのなら「未開の森探検」を楽しんだのではないだろうか。「古城探索シナリオ」を予告されていたのなら、彼らから楽しみを奪ったのはマスター本人ということになる。プレイ終了後、マスターの不満をぶつけられたならば、プレイヤーたちはさぞや当惑したことだろう。</p><p>ではこのマスターはどうすれば良かったのか。ひとつの解決策は、過程としての「未開の森探検シナリオ」か、結果としての「古城探索シナリオ」のどちらかを諦めることであった。或いは、後者は前者の展開の可能性のひとつとし、それ以外の展開になっても良しと覚悟すべきであった。マスターが自分勝手に決めた物語から「自由」にならない限り、そのシナリオプレイもまた「自由」なものではありえない。</p><p>少なくとも、この話をして「プレイヤーに自由を与えたが故につまらなくなった」例示とするのは、私には納得できないのだが。</p><p><b>●鈴吹太郎氏が優先するもの</b></p><p>さて、その時鈴吹太郎氏がマスターだったのかプレイヤーだったのかは不明である。ただ、このプレイに対する彼の評価は、「どこにも行けなかった」として、「"シナリオが始まらない"自由」を問題視するものである。しかしこの「どこにも行けなかった」とは「マスターが行って欲しいところに行けなかった」、「シナリオが始まらない」とは「マスターが期待した通りのシナリオ展開が始まらない」の意に他ならない。このことから鈴吹氏には、「マスターの期待通りに展開したシナリオ」を「成功したシナリオ」とする思考があるのではないか、と私は推理する。</p><p>また彼は後の段落「自由に限定する」で、「プレイヤーが自由を感じることは素晴らしい」「自由度の高いTRPGは面白い」としながらも、「選択の幅が大きく曖昧であるほど、ゲームは破綻し、ハンドリングが悪くなり、セッションは崩壊する、という可能性が大きくなる。それはつまらないゲームだ」と述べている。では「ゲームの破綻」とは何か。「ハンドリング」(操作)とは何の操作なのか。「セッションの崩壊」とはどのような状態を指すのか。</p><p>これらを総合して想定されるRPG像は次の通りである。<ol><li>シナリオには、PCの行動をも含めた「予定された展開」が組み込んである。</li><li>マスターは、「予定された展開」からPC(=プレイヤー)が外れないよう操作(ハンドリング)する。</li><li>「予定された展開」通りに結末がついた状態を「セッションの成功」と呼ぶ。またそうすることができなくなった状態を、「セッションの失敗」(「ゲームの破綻」「セッションの崩壊」)と呼ぶ。</li></ol><p>これはあくまでも仮説であり推測である。だが、鈴吹氏にとってのRPGがこのようなものであり、彼が「良いゲーム」とする「自由に感じるが、自然に選択肢が限られるゲーム」がその完成を目指しているならば。それならば、今回の彼の文章は、私にも理解できるのである。</p><p><b>●私の考える「自由」と「限定」</b></p><p>ところで、私の考える「自由」は、鈴吹氏のそれとは若干違うように思われる。なぜならば、それは「限定」の対概念ではなく、むしろ同じものであるから。即ち「限定する権利を自分自身で保有している状態」「己を限定する自由」である。</p><p>RPGでキャラターの行動を限定するものには、自分で決める「設定」(性格、人間関係、職業、趣味、能力など)と、他(主にマスター)から与えられる「情報」とがある。両者に「限定」されて、キャラクターの行動が決まるのである。私はシナリオを作る時、展開の「可能性」は考えても、それを「予定」とはしないよう心掛けている。設定も情報も管理せず、それらからどのような行動が生まれるのかを楽しみにしている。どのように「限定」するかは、極力プレイヤーに任せたい。</p><p>先の私の雑記「<a href="http://www.rpgjapan.com/kagami/note.cgi?1" target="_top">卓上RPGプレイにおける「マスター主導型」と「プレイヤー主導型」</a>」から引用するならば、鈴吹氏のRPGは「マスター主導型」を極端に完成させたものと言えるかもしれない。私のそれは「プレイヤー主導型」に大きく傾いている。「観客」的な機能は、前者ではプレイヤーに、後者ではマスターに与えられる点でも合っているように思われる。</p><p><b>●おわりに</b></p><p>過去に私はF.E.A.R.社のRPG(の少なくとも一部)を楽しくプレイしたことがあるが、なぜかどこかに抵抗を感じていた。今回の考察は、その理由の一端に触れることができたのかもしれない。鈴吹太郎氏が示した考え方も面白さを求めての所産であろうが、あいにく私がRPGから得たいと思っている楽しみとは相性が悪いようである。</p><p>鈴吹氏式の「限定」のための手段こそ、ゲーマーズ・フィールド別冊で紹介されている「ブレイクスルー機能」である。なるほどそれらによって得られるものは確かにあるだろう。反面、それによって捨てられるものもある。遊び手はそのメリットとデメリットの両面を理解した上でそれを用いるべきである。この「ブレイクスルー機能」については次回雑記にて考察する予定。</p><p>また、何故このようなRPGの遊び方ができたのかを考えると、日本のRPGの歴史にその根があるように思われる。実は時折耳にする語「立ち位置」もまたそれに関わってくる。これについても次々回の雑記あたりで述べたいと思う。</p><p>私はF.E.A.R.社のRPGは完成度の高い秀作であると考えている。ただ、「完成度の高さ」とは、ある特定の遊び方に特化していることであり、その遊び方において優れているという意味である。その特化の方向性を確認することで、それらがそういう遊び手に向いているのかを確認し、同時に他の遊び手のための方向性を確認できれば良いと考えている。</p><p><b>●蛇足:「なんでもできる」は「なんにもできない」?</b></p><p>…ところで。</p><p>「『なんでもできる』は『なんにもできない』」とは良く聞くセリフだが、一体「なんでもできる」というのはどのような状況であろうか。実はこの部分はいまだに理解できない。</p><p>例えば、今この文を読んでいるあなたが何の予定も何の要求も無い時、やはり「なんにもできない」だろうか?</p><p>「なんでもできる」設定の登場人物だとしても、性格や人間関係、仕事や趣味、周囲の状況やちょっとした気まぐれまで、行動を決める手掛かりはいくらでもあるのではないか。</p><p>もしどなたか「なんにもできない」ような「なんでもできる」状況をご存知なら、ぜひ教えて欲しい。残念なことに、私は一度もそのようなものに出会ったことがないのだ。ゲームの中でも、その外でも。</p>
鏡
2002年06月30日23時42分
20020701130728
1
「なんにもできない」ような「なんでもできる」状況、について
<p> 自分のマスタリングの失敗談を含めた経験と自戒から言えば...「なんにもできない」ような「なんでもできる」、というプレイ状況ってのは、実はしばしば起こっていると思うんですけどね。</p><p>1)PLは、ただの日常を求めているのか、ドラマを求めているのか</p><p> この辺は、「日常性vsドラマ性」みたいな話に関係するのですが---そのプレイで扱うべき事柄が非常に日常的な事柄だとすれば、「なんでも出来る」だけで充分なのですね。ある街での日常を楽しんでもいいし、例えばファンタジーRPGだったら近郊の適当な洞窟を選んでそこに潜ってもいい。<br /> でも、単なる普通の日常的な事件じゃなくて冒険の名に相応しいような事件を、普通の洞窟ではなくて、何かしらドラマ性のある洞窟を、PLは求めているのだとしたら、DMは「何をしいてもいいよ」では無くて、ちゃんとPCを誘導しないと、PLは途方にくれるのだ、と思いますが。</p><p> 街で日常生活をしていても事件は起こる---という言い分もあるかとは思いますが、それってGMがアドリブで事件を発生させている訳ですよね。実のところ、アドリブマスタリングを全く気にしないGMというのも世の中にはいますが、大抵の場合はアドリブよりは準備したシナリオの方が概ね完成度は高い。(まぁ、ある種のRPGではランダムチャートやシナリオフック集とかが充実していてアドリブを支援する仕組みになっていたりはしますが。)<br /> 結局、PLはまともな冒険を求めて、冒険者のたむろする酒場(or盗賊ギルドなどなど)で情報収集するとか言い出し、「で、GMは今日は我々に何をさせたいのか?」というのを探り始めるのだと思うんですけど。<br /> 更に言うと、PLは暗黙の前提として、「適度に苦戦するかも知れないが、最後はPLは成功する程度の、実力相応な任務。」というのを求めていたり。</p><p> そうですね、例えば私がGMでShadowrunを遊ぶとして、キャラメイクに際してPLに何時間も丁寧にキャラメイク(技能、呪文やサイバーウェア、多くの装備)をさせた後に、「君たちは2053年のシアトルにいる。何をしてもいいよ。」と明確な目的を与えず遊ぶかというと...多分そういうことはしないだろうなぁ。仮にプレイが終わって、全然戦闘しないで日常だけを遊んだとしたら、何時間もかけたキャラメイクの意味があまり無いですよね。<br /> 勿論、PLの友人たちは、適当に自分たちで妥当な襲撃対象を探し始め、GMの私もアドリブでそこの警備状況やら価値ある物品やらを設定するとは思いますが...が、そんな不要な手間をかけるくらいならば、ちゃんとシナリオを用意して導入したほうがいいと思うんですけど。</p><p> という意味で、鈴吹氏のケースだとすると、単なる森の探索で発生する事件以上にドラマ性が高い事件(→RPGのプレイで扱うべき出来事)が古城で起きるならば、PC/PLを古城に誘導すべきだった(例えば地図に城の位置をマークして探索すべき場所はそこしか無いと思わせるとか、あるいはなんらかの城の噂をPCに与えるとか)、と思うのですが。</p><p>2)GMとPLとの情報量の差</p><p> 一般には、背景世界の設定が明確なRPGであればあるほど、GMとPLの情報量の差は開いていきます。「なにをしてもいいよ」というのは、通常は「但し、背景世界の雰囲気とか常識に沿った範囲で」というのが付きます。<br /> 例えば「スチームパンクもののRPGで、1890年のベルリンで、PCは米国大富豪令嬢なのだが、何をするか」とか。令嬢が立ち寄るべき場所とか、するべきではない振る舞いとか、大抵はGMとPLとの間には大きな知識量の隔たりがあり、さらには「最終的にはGMが正しい」というRPGの不文律を考えると、結局のところGMの思うような範囲が不明では、なんでも好きなことをするのは難しかったり。<br /> だとすると、PCには明確に行動指針を与えたほうがいいのかもしれません。</p><p>3)市販シナリオの提供</p><p> 「PCは何をしても良い」ではなく、「PCは何をする人だ」というのが明確なゲームほど、遊びやすい市販シナリオを提供しやすいでしょう。<br /> 例えばFASAのShadowrunは非常に良質のReady-to-Runなシナリオを提供していましたが、あれは、PCは企業に雇われ非合法活動をする、と明確なPCの枠組みがあればこそです。<br /> この辺、PCの立場が一定しないTokyoNOVA, Cyberpunk2020などより、(特にReady-to-Runな)市販シナリオが作りやすいのは明確です。</p><p> 例えばCoCにしても、「1920年代の誰でもいい」ではなく、「探索者を遊べ」と指針を与えればこそシナリオが提供できるというものだと思うのですが。</p><p>4)遊ぶゲームシステム依存性</p><p> 私はまぁ、D&DとかShadowrunとか、割と「非一般人の非日常(そもそも日々が冒険的な事柄をしている特殊な人たちなんだが、その彼らにとっても特にわざわざプレイとして取り上げるほどの冒険的事件)」というジャンルのRPGをGMするんで、そういうことを考えています。<br /> が、例えばより一般人視点のPCのゲーム(CoC, CFなど)をマスターする鏡さんとは色々印象が違うのかもしれません。<br /></p>
宮本 隆志
2002年07月01日13時07分
20020702131443
2
何を求めているのか?
<p>始めまして鯵と申します。</p><p>鏡さんは<br />>あいにく私がRPGから得たいと思っている楽しみとは相性が悪いようである</p><p>と言っていますが、鏡さんの<RPGから得たいと思っている楽しみ>とはなんでしょうか?</p><p>過去の雑記からも、いまいちよくわからないのですが…</p>
鯵
2002年07月02日13時14分
20020702211200
3
1)と2)は「なにもできない」とは少し違うように思います
<p>>宮本隆志さん<br />私めの問いかけに早速お応えいただき、ありがとうございます。</p><p>最初のふたつについては、「1)シナリオを用意しない場合」と「2)背景設定をよく知らない場合」ということでしょうか。しかしながら、どちらも「PCに何をさせようか判断に悩む」状態ではあっても、「なにもできない」状態では無いように思うのですが…。例えば、時間や場所、文化習俗などはゲームマスターに訊いて参考にすればよいし、プレイヤー同士で何をしようかと話し合うこともできます。シナリオ内でも、砂漠の真ん中ででも無ければNPCを捕まえて、面白そうな情報を訊けばよいわけで。マスターが冒険的な行動を邪魔するのでなければ何とかなりそうに思います。いかがでしょうか?</p><p>3)の「遊びやすいシナリオ」というのは、「特定タイプのPCにしかできない行為がある場合、シナリオにPCタイプの制限がある」のとはちょっと違うのでしょうか?私はNOVAやCyberpunk2020には疎いので、仰る通りかもしれませんが。</p><p>私も、PCがAdventurer(冒険者)でないD&Dや、Investigator(探索者)でないクトゥルフの呼び声のような変わった遊び方を薦めたりはしませんよ(^^;)。</p><p>4)でご指摘の通り、私は「一般人の非日常」を好みます。ですが、「非一般人の非日常」をプレイした時でも「なにもできない」という経験は無いのです。</p><p>それとも、ひょっとして、私の「なにもできない」という語の読み方が間違っている可能性もあるのでしょうか?</p>
鏡
2002年07月02日21時12分
20020702212502
4
私がRPGから得たいと思っている楽しみ
<p>>鯵さん<br />確かに説明不足な文章でした。</p><p>私が望むものは、「<b>シナリオ設定と、プレイヤー=PCの行動決定と、ルール上の処理と、ランダム要素による誤差と、ゲームマスターの判断との間で、そのいずれもが予測できない物語が創造され、それを目の当たりにする楽しみ</b>」です。端的には「何が起こるかわからないスリル」とも言えましょうか。</p><p>私の好みについては、雑記1「卓上RPGプレイにおけるマスター主導型とプレイヤー主導型」、雑記6「ジャッジ機能とエンターテナー機能」、雑記7「自由雑感」でも触れておりますが、それによって何を望むかについては書いていなかったかもしれません。自分でもはっきり認識できるようになったのは最近のことだからなのですが(^^;)。</p><p>またお気づきの点などありましたら、ご気軽にどうぞ。</p>
鏡
2002年07月02日21時25分
20020702225531
5
「何も出来ない」について
<p> 鈴吹氏のいうところの「何も出来ない」というのは、鏡さんも書かれているとおり、本当に何も出来ないと言う意味では無くて、「何をしたらいいか判らない」「何でも出来るはずである以上、辿り着けても良いはずのシナリオに辿り着けない」というほどの意味だと思いますが。多少不正確であっても扇情的なコピーで読者の印象を強くする、というのは(その不正確さに眉を顰めることが多いのですが)まぁ彼等の常套手段かと。だから字句通り取っても意味はないかと。</p><p> その上で思うのですが...例えば、例えば現代日本でCoCとかを遊ぶとします。舞台が陸の孤島みたいな小さな村だったら、手当たり次第にNPCに話を聞けばいいのかもしれない。でも、例えば新宿で何も手がかりを与えずに「何をしてもいいよ」と言ったとして、シナリオに関係する情報を持ったNPCに会えると考えるのは無理がありますよね。勿論、非常に普通の意味で楽しい盛り場とかにPCを行かせるのは難しくないに違いない。でも、それがRPGのシナリオとして扱うに相応しい非日常的なイベントかというと違うのでは、と思うんですが。<br /> 勿論、鏡さんが書かれているように、PLが自由にゲーム世界内での活動を提案し、GMは極力それにアドリブとかで応える、という遊び方をしているならば、PLの行動を制限する必要は無いと思います。<br /> そうですね。私がGMをしていて一番面白いと思うのはちょっと違って、GMである私は充分準備をするのだが、PLはGMの予想を上回る解を見つけだした時です。PLの創意工夫を制限するつもりはないけど、自由放任で遊ばせたい訳でもなかったり。</p><p> 3)ですが、例えばShadowrunのゲームシステムは実は近未来汎用RPGとして良く出来てますし、同様に戦闘指向のPCの立場としてはShadowrunnerという立場以外にも例えば警察官や特殊部隊のチーム、危険な現場に飛び込む医療チームなどなどでも充分楽しく遊べます(実際、例外的なシナリオ集としてそういうシナリオも出た)。でも、ありとあらゆる立場のPCに適応したシナリオを作るよりも、特定の立場---例えばどんな仕事でもビジネスライクに仕事を引き受けるshadowrunnerたち---のPC向けにシナリオを作った方が楽だ、ということです。<br /> ま、これも「他の立場で遊ぶ自由」ってのとのトレードオフなんですが、私は概ねshadowrunはこの制限故に成功したRPGとなったのだと思ってます。<br /></p>
宮本 隆志
2002年07月02日22時55分
20020703004442
6
「何でもできる」状況で「何でもできる」人もいるし「何にも出来ない」人もいる
<p> ども。<br /> どうも例を見ていると、予定調和なシナリオを組んでいるのに何で「PCの行ったところに目的の城を置かなかったのか?」がかなり疑問で(笑)、目的と手段がバッティングしていて例が良くないと思うんですけれども、それはさておき、「何でもできる」状況で「何でもできる」プレイをするためには、</p><p>・PLにそこで出来る行動を思いつく発想力が求められる<br />・GMにPLの思い付いた行動に対してリアクションできるアドリブ能力が必要である</p><p>という風に、GM・PL双方に、ある一定以上のプレイング能力を必然的に求めるという部分があると思います。(よってプレイできる人間を限定してしまう)</p><p> 個人的特性だと思いますが、実際「何もないところでは何も思い付くことが出来ない」人はわりとよくいますし、GMもアドリブの得意でない人はたくさんいますし、正反対にあれこれ思いついてしょうがないという人もいますし(w。</p><p>#なんだか日和見な私見ですみません(^^;</p>
紙魚砂
2002年07月03日00時44分
20020703172612
7
PLの不満はどうするか?
<p>>鏡さん<br />お答えありがとうございました。</p><p>そのご回答と</p><p>>プレイヤーはどうか。シナリオの概要について予め説明が無かったのなら「未開の森探検」を楽しんだのではないだろうか。「古城探索シナリオ」を予告されていたのなら、彼らから楽しみを奪ったのはマスター本人ということになる。プレイ終了後、マスターの不満をぶつけられたならば、プレイヤーたちはさぞや当惑したことだろう。</p><p>上記の文章を踏まえて質問します</p><p>プレイ後、PL側から不満がでた場合、どうなるのでしょうか?</p><p>マスターが不満を持つのは鏡さんが言うように論外としても<br />PLから「つまらなかった」という感想が出た場合、</p><p>PLに自由を与えた結果、古城に辿り着けなかったのだから仕方ないということになるのでしょうか?<br />もしくは自由を限定することなく、PLを楽しませる方法があるのでしょうか?</p><p>>紙魚砂さん<br />>何で「PCの行ったところに目的の城を置かなかったのか?」</p><p>その状態が鈴吹氏のいう<br />「自由に感じるが、自然に選択肢が限られる」状態ではないのでしょうか?</p><p></p>
鯵
2002年07月03日17時26分
20020704124901
8
れ:PLの不満はどうするか?(「例が悪い」の論証)
<p>#本筋から外れて蛇足なんですけれども(^^;</p><p>>鯵さん<br />>>紙魚砂さん<br />>>何で「PCの行ったところに目的の城を置かなかったのか?」</p><p>>その状態が鈴吹氏のいう<br />>「自由に感じるが、自然に選択肢が限られる」状態ではないのでしょうか?</p><p> 多分違うと思います(^^;。<br /> ひょっとしてPLではなく、GMがする選択で選択肢が限られるというのを指してるならそう考えられる気がするのですが、自由というのはそもそも「PL(PC)が自由に行動できる」のを前提にしていると思われるので違います。<br /> でまあ、この辺の話で自由云々に関する問題で結局何が問題になっているかというと</p><p>・「自由に選べる」シチュエーションを作ったのにシナリオ全体の構造が自由なアクションに対応できる構造をになっていない(シナリオ作成のミス)。</p><p>…という現象を拡大解釈して、一般的に「自由な状況ではPLは自由に行動できない」と言ってしまっている点がおかしいと思います。まったく網羅的でなく、あまり汎用性のない初歩的なミスによる不具合をもとに、全体を悪いと言ってしまっている。</p><p> ということで結局「例が悪い」という結論になると思うんですけど(w。</p>
紙魚砂
2002年07月04日12時49分
20020704163556
9
解釈に齟齬があるかと(「例が悪い」の論証)
<p>鯵です。</p><p>>紙魚砂さん<br />>自由というのはそもそも「PL(PC)が自由に行動できる」のを前提にしていると思われるので違います。</p><p>この「自由」がどの部分の「自由」を差しているのか不明ですが、少なくとも</p><p>>「自由に感じるが、自然に選択肢が限られる」状態</p><p>の「自由」の前提はPL(PC)が自由に行動できる」わけではありませんよね?</p><p>この場合において紙魚砂さんの提示した<br />「PCの行ったところに目的の城を置く」という方法は、</p><p>1)PLにどこに行ってもいい、と宣言し、「自由に選択できる」感覚を持ってもらう。</p><p>2)しかし、実際にはPCの行ったところに古城をおくのだから、PC(PL)には自由を付与しているわけではない</p><p>3)したがって、この状態は<br />「自由に感じるが、自然に選択肢が限られる」状態ではないのだろうか?</p><p>というのが私の考えなのですが。</p><p>#もちろん「実際にはPCの行ったところに古城を置く」という手法を否定しているわけではありません。</p><p>>…という現象を拡大解釈して、一般的に「自由な状況ではPLは自由に行動できない」と言ってしまっている</p><p>これこそ拡大解釈だと思うのですが(笑)</p><p>鈴吹氏のいう「なんにもできない」は<br />件の記事の前後の文脈から判断しても<br />先に宮本さんが述べられた</p><p>>鈴吹氏のいうところの「何も出来ない」というのは、鏡さんも書かれているとおり、本当に何も出来ないと言う意味では無くて、「何をしたらいいか判らない」「何でも出来るはずである以上、辿り着けても良いはずのシナリオに辿り着けない」というほどの意味</p><p>だと思うんですケド(^^;。</p><p></p>
鯵
2002年07月04日16時35分
20020704173725
10
前提が違うというか(れ:解釈に齟齬)
<p>>鯵さん<br />「城に行く」と決めた時点ですでに自由でないんですよ。<br />にもかかわらず自由に行動のできる「未開の森探検シナリオ」を<br />その前の段階に持ってきているのがミスマッチで、<br />本当に自由に行動の選べるシナリオを考えるのであれば、</p><p>1)うまく行かなかったケース<br />森の探検<br />└城の探検</p><p>という展開で</p><p>2)ありえる先の展開を網羅的に想定しておく<br />森の探検<br />├城に行った場合城の探検をする<br />└城にたどり着かなかった場合別の冒険をする</p><p>という風に最初から展開を考えるべきだと思います。<br />それをやっていないのがおかしい。</p><p>で、1)が上手く行かなかったのに対する対処法は2)のほかに</p><p>3)展開を固定する<br />森の探検<br />├城に行った場合城の探検をする<br />└自力で城にたどり着かなかった場合強制的に城にたどり着かせる展開を考えておく</p><p>というのもある。<br />で、鈴吹太郎氏の論では2)の対処案は無視され、あたかも1)の不具合の対処法は3)しかないかのように書いている。この辺が拡大解釈(というか意図的な論理展開の歪曲)であると、僕は言おうとしています。<br />#言い過ぎかも(^^;</p><p>>鈴吹氏のいうところの「何も出来ない」というのは、鏡さんも書かれているとおり、本当に何も出来ないと言う意味では無くて、「何をしたらいいか判らない」「何でも出来るはずである以上、辿り着けても良いはずのシナリオに辿り着けない」というほどの意味</p><p>この辺の話は特に異論が無いしすでに「6」で書いたんですけど、「何も出来ない人“も”いる」という話にには賛成です。(そうでない人もいるが、その辺は意図的に無視されている?)</p>
紙魚砂
2002年07月04日17時37分
20020704190411
11
たどり着かないとはどういう状況か?(RE:前提が違うというか)
<p>鯵です</p><p>>紙魚砂さん</p><p>>2)ありえる先の展開を網羅的に想定しておく<br />>森の探検<br />>├城に行った場合城の探検をする<br />>└城にたどり着かなかった場合別の冒険をする</p><p>のご意見は<br />7の私の<br />>もしくは自由を限定することなく、PLを楽しませる方法があるのでしょうか?</p><p>という質問の回答にもなりますので、<br />本筋として(笑)話し合いたいと思います。</p><p>さて、この場合ですが</p><p>「城にたどり着かなかった場合」とはどういう状態をさすのでしょうか?</p><p>鈴吹氏の言う「どこにも行けなかった」という状態は<br />A)パーティが古城にたどりつく前に全滅した<br />B)パーティが古城にたどりつく前にプレイ時間が終了した</p><p>のいずれかのはずです。</p><p>A)の場合は、ダイスの運不運という問題もありますし、敵モンスターのレベルが適切であるかどうかという問題もあります。この場合、1)、2)、3)のいずれの方法でもAを回避することは不可能です。<br />(というかこれは一種どうしようもない)</p><p>問題はBの場合です。この場合、紙魚砂さんの2)の方法をとるならば、どこかで「城にたどり着かなかった」(城にたどり着けない)と認識し、シナリオ展開を修正しなければなりません。</p><p>ここでの疑問は以下の二つです。</p><p>1)GMはどういう状態で、「城にたどり着けない」という認識を持てばよいのか?</p><p>2)「別の冒険」とは城の代わりに別のダンジョン等をアドリブで出すということなのか?<br />それは紙魚砂さんの3)の<自力で城にたどり着かなかった場合強制的に城にたどり着かせる>と本質的には同じではないのか?</p><p>という次第です。</p><p>>この辺の話は特に異論が無いしすでに「6」で書いたんですけど、「何も出来ない人“も”いる」という話にには賛成です。(そうでない人もいるが、その辺は意図的に無視されている?)</p><p>これは意図的に無視してると思いますよ。</p><p>>よってプレイできる人間を限定してしまう</p><p>と紙魚砂さん自身も言ってるように、できる・できないで分別すると<br />「できない」人の方がより一般的ですから。</p><p>#そもそもこの記事は「ゲームデザイン」についての記事なので<br />「できない」人を基準に考えるのは当然かと。<br />(不動産屋の徒歩○○分は陸上経験者の徒歩スピードで計測されているわけではありません。むろんその不動産屋が良心的であればの話ですが)</p><p></p>
鯵
2002年07月04日19時04分
20020704195847
12
「できない」人を基準に考えるのは当然か?
<p> 10の紙魚砂さんの意見には私も賛成です。</p><p> 11の鯵さんの疑問2)ですが、<br /> 城にたどり着かない状態でも充分冒険になっていて、それでPLが文句を言わないならば、それはそれでいいのかもしれない。<br /> 例えば森のワンダリングモンスター戦だけで充分PLが楽しんでいればそれでいいし、「日常を楽しむ」タイプのRPGとかならば目的地に辿り付かなくてもいいのかもしれない。<br /> まぁこれも行き着くところまで言ってしまうと、特にシナリオなど与えなくても酒場の中で延々とロールプレイだけして、しかもそれだけで結構楽しくて全然シナリオ本筋が始まらない、なんてのもあるわけですが。それを「上手く遊んでいる状態」と呼ぶのかは謎ですが、紙魚砂さんの言われるように、何も無くとも上手く遊べる人もそうでない人もいる、としか言い様がないのかも。</p><p> <br /> </p><p> </p>
宮本 隆志
2002年07月04日19時58分
20020704234303
13
「自由」とは「放任」にあらず
<p>出遅れましたが、順に返事を申し上げます(_ _)。</p><p>>宮本隆志さん<br />「なにもできない」を違う意味(何をしたらいいのか分からない)で使っているとするなら、件の文章も分かりますね。私ゃまた、意図的な煽動かとも思ってしまいますが(^^;)。</p><p>実はこの「なんでもできるはなんにもできない」という文句は昔にも何度か聞かされた憶えがあるのです。だから、なにがしか意味があるかと思っていたのですが…。理屈に弱い読者/聞き手を狙うだけのものなのかな?</p><p>私もシナリオを作る際には、きっちり決めています。ただ、展開の変化を前提として、様々な展開に合わせ易いようにしています。「GMの予想を上回る解」以外でも別の話になるのが私は嬉しいので。「日常をプレイするシナリオ」はやったことありませんし、したいとも思いませんね(^^;)。</p><p>結局、私の言う「自由」とは「自由放任」ではなく「自己管理」「自己責任」で、「マスターの都合に縛られない」という意味です。「自由放任」だと今度はマスターが「自由」で無くなって、それはそれでまずいので(^^;)。どうもいつも混乱させてしまうので、言葉を替えた方が良いのかもしれませんね。</p><p>Shadowrunの例で言うと、例えば「Shadowrunner推奨」はマスターの権利として当然あるのですが、プレイヤーがそれ以外を強く望む場合はそれもアリ。それによる変化を期待する一方、それで楽しくなかったらそのプレイヤーの責となるということです。(Shadowrunも疎いので何か間違っているかもしれません。)</p>
鏡
2002年07月04日23時43分
20020704235423
14
「できる」と「できない」を分けるもの
<p>>紙魚砂さん<br />発想力とアドリブ能力について、仰る通りだと思います。</p><p>加えて、何かその前提となるものが他にあるのではないかと私は考えております。能力的な「できる/できない」以前に、例えば「勝手なことをしてはいけない」かのような思考があるのではないか、と。</p><p>逆を突けば、「自由」と「自己責任」を心構えとして持つことが出来れば、遊び方も変わってくるのではないかと思うのです。…実は、その狙いはマスターの負担軽減だったりするのですが(^^;)。</p><p>この辺り、「立ち位置」について考えていたことと似てきましたので、後日別の雑記でも触れたいと思っております。</p><p># 鯵さんのご意見は色々と展開しましたので、再度良く考えてから返答いたします(_ _)。</p>
鏡
2002年07月04日23時54分
20020705002114
15
不満を抱くのはGMだけである(れ:たどり着かないとはどういう状況か?)
<p>ども</p><p>>鯵さん<br />>#そもそもこの記事は「ゲームデザイン」についての記事なので<br />>「できない」人を基準に考えるのは当然かと。<br />>(不動産屋の徒歩○○分は陸上経験者の徒歩スピードで計測されているわ>けではありません。むろんその不動産屋が良心的であればの話ですが)</p><p> 底辺を見るのであれば出来ない人を基準にすべきですが、出来ない人でも出来るようにするために多数のランダムイベントチャートなどを満載したシステムは昔からよくありました。あるいはアドリブしやすいように、詳細な多数のデータを満載したシステムも。これらの意図的な無視というのは、そういったかつての多数ある遺産を無視しているわけですので、問題があるというか、客観的見地から言って参考にならないと思います。</p><p> あとまあ、飛躍して日本人の国民性に起因するのでは?というのもあるのではないかと思うんですけど、要するに展開の定まらないセッションというのは</p><p>「絶対的に正しい答えのない問い」</p><p>のようなものだと思います。俗論では、日本人は答えの決まった問いを解くのは得意であるが、正しい答えの特に定まってない実社会で遭遇しやすいような問題を解決する発想力には欠けがちである、というような話。<br /> TRPGにあてはめると、「自由なセッション」というのは「答えのない問い」でありますので、世間一般的に日本人はあまり得意でない。答えの明確な「展開の定まったセッション」はそのシナリオのメカニズムさえ理解すればやるべきことが明確になりますので、日本人にとってはやりやすく受けもよろしいと。<br /> あくまで一般論なので、個人を見ていけばそうでない人は当然いるでしょうし、「今の」日本人もそうであるとは言えないので、結局なんとも言えないんですが。</p><p>-ここまでは蛇足(w。-</p><p>さて本題</p><p>>A)パーティが古城にたどりつく前に全滅した</p><p> 全滅するくらいであればその時点で満足(というか達成感)がある気がします。</p><p>>B)パーティが古城にたどりつく前にプレイ時間が終了した</p><p> そんなに時間がかかっているならPLはそれなりに楽しんでやってる気がするんですが(^^;。</p><p>--<br /> 結局のところ実は展開がシナリオで想定したとおりに行かなかったからと言ってそれを不満に思うのは「GMだけ」だと思いますね。PLにはそれが予想された展開なのか、アドリブなのか測定するすべはありませんし、アドリブでもそれを充実させるシステム・設定・テクニックは存在します。<br /> したがって展開どおり行かなくても楽しいセッションをすることは十分可能かと。</p><p> で、そこで不満を抱いてしまうGMの最終的な評価を決めているのは、</p><p>・そのGMはいったい何のためにTRPGをしているのか?</p><p>だと思います。その目的には大きく言って2つあると思います。</p><p>1)シナリオで想定した面白さをPLに楽しんでもらう<br />2)とにかくセッションさえ楽しければシナリオどおり展開しようがしまいが留意しない</p><p>ここで1)を絶対だと思っていると「自由」は始末に終えない厄介ものという評価になると思うんですけれども、2)の楽しさを理解しているのであれば「自由」も楽しめるのではないかと思います。<br />とりあえず「思っても見ない展開を見て楽しむ」を狙うのであれば、展開の決まったシナリオ・セッションよりは、「なんでもできる」状況を設定したセッションの方が実現しやすいと思いますね。</p>
紙魚砂
2002年07月05日00時21分
20020705071004
16
Re: 不満を抱くのはGMだけである
<p> 「不満を抱くのはGMだけである」というのは、PLにはそもそもそのプレイが成功だったのか失敗だったのか判らないから、というのがあると思いますが。</p><p> なまじ技量のあるGMだと、目的地に辿り着くまでの部分をアドリブで上手にマスタリングしてしまい、PLを楽しませてしまう。と、PLは「あぁ、森をうろつくシナリオだったのか」と誤解してしまう。これではPLには失敗かどうかは判らない。<br /> 一方で、例えば同じようなことを「天羅万象」とか「熱血専用」でやっていたら...多分、PLもおかしいと気付くと思うのですよね。だって、熱いセリフを語り合うべきNPCが一人も出てこずにワンダリングモンスターとか自然障害だけしか出てこなければ、どうしたって何かおかしいと判る。<br /> あるいは「今日は宝物が沢山出てくるダンジョンシナリオだ」と聞かされていて「森の中を歩き回るだけ」だったら、PLにもおかしいと判るし、もしかしたら「話が違う」と不満を抱くのかも。あるいはPLは非常にドラマ性の高い展開を望んでいるのに、日常性が高くてドラマチックでは無い展開だと、やはり不満を持つかもしれません。</p><p> </p>
宮本 隆志
2002年07月05日07時10分
20020705125204
17
アドリブでもドラマは出来る(れ:Re: 不満を抱くのは…)
<p>ども。<br />>宮本さん<br />>一方で、例えば同じようなことを「天羅万象」とか「熱血専用」でやっていたら...多分、PLもおかしいと気付くと思うのですよね。</p><p> この辺のシステムはシステム上で展開を縛ってるんで、そもそも「なんでもできる」状況を出すのにそぐわないシステムだと思いますね。</p><p>>あるいは「今日は宝物が沢山出てくるダンジョンシナリオだ」と聞かされていて「森の中を歩き回るだけ」だったら、PLにもおかしいと判るし、もしかしたら「話が違う」と不満を抱くのかも。</p><p> これは先に「今日は宝物が沢山出てくるダンジョンシナリオだ」と言ってる時点で先の展開を縛っています。</p><p>>あるいはPLは非常にドラマ性の高い展開を望んでいるのに、日常性が高くてドラマチックでは無い展開だと、やはり不満を持つかもしれません。</p><p> この辺は微妙だと思うのですが、2つ対処法があると思うんですけど、</p><p>1)あらかじめドラマチックなシナリオを作っておいてそれをなぞる<br />2)ドラマチックな展開が起きそうな設定をちりばめておいて、セッション上でたまたま上手くはまりそうな展開が見えたところで突然アドリブでドラマチックな展開を導入する</p><p> 1)はわりと普通にやろうとされてる方法だと思います。</p><p> 2)はシステム的フォロー、シナリオ的フォローがあれば実現可能かと。システムで言えば、「深淵」なんかが向いていると思います。実例としては、映画「トゥルーマン・ショー」で、死んだという設定になっていたはずの父親役の人物が、ハプニングでドラマの舞台に出てきてしまったので「父親は実は生きていてこれまで記憶を失っていたため帰ってこなかったのだ」という展開を突然捏造してドラマチックな音楽と共に演出する(見てる人は涙する)というこじ付けをやってました(w。週1のドラマなんかでネタに困ったらとりあえず肉親を殺してみるとか(笑)、仇敵が実は主人公の肉親だったという設定をあとから付け加えて回想シーンを入れるとか。まとめると、アドリブでもドラマチックな展開に(強引に)持ち込む手法(パターン)はあります。</p><p> …ということで、アドリブな展開だからと言って「ドラマチックな展開は出来ない」とは言えないと思いますね。</p>
紙魚砂
2002年07月05日12時52分
20020705125427
18
なんでもできる状況を成功させるシステムとは?
<p>鯵です。</p><p>>紙魚砂さん<br />>さて本題<br />>>A)パーティが古城にたどりつく前に全滅した<br /> >全滅するくらいであればその時点で満足(というか達成感)がある気がします。<br />>B)パーティが古城にたどりつく前にプレイ時間が終了した<br /> >そんなに時間がかかっているならPLはそれなりに楽しんでやってる気がするんですが(^^;。</p><p>私の疑問の<br />>1)GMはどういう状態で、「城にたどり着けない」という認識を持てばよいのか?<br />>2)「別の冒険」とは城の代わりに別のダンジョン等をアドリブで出すということなのか?<br />それは紙魚砂さんの3)の<自力で城にたどり着かなかった場合強制的に城にたどり着かせる>と本質的には同じではないのか?</p><p>回答になってないような気がするんですが、まあそれはそれとして(^^;。</p><p>>結局のところ実は展開がシナリオで想定したとおりに行かなかったからと言ってそれを不満に思うのは「GMだけ」だと思いますね。PLにはそれが予想された展開なのか、アドリブなのか測定するすべはありませんし、アドリブでもそれを充実させるシステム・設定・テクニックは存在します。<br /> したがって展開どおり行かなくても楽しいセッションをすることは十分可能かと。</p><p>確かに、「シナリオで想定したとおりに行かなかったからと言ってそれを不満に思う」GMは存在するかもしれませんが、<br />仮に「そのセッションが楽しかった」ならば、「不満に思う」人は少数かと思います。</p><p>しかし、逆に言えば、そのセッションが楽しくなければPL、GM<br />ともに不満の残るセッションになります。<br />さらに、事前に準備した古城探索シナリオよりもアドリブの「未開の森探索シナリオ」の方が<br />楽しくないセッションになる確率が<確実に>高いと思いますが。</p><p>#素朴な感想としてもし、私がPLで古城にたどり着けないまま終わったら、楽しくないセッションだろうな、と思うので。(似たようなシチュエーションで似たような経験をしたことがありますし)</p><p>>アドリブでもそれを充実させるシステム・設定・テクニックは存在します。</p><p>とのことですが、この部分は非常に興味があります。<br />「なんでもできる」状況を設定した上で、面白いセッションを成功させるシステム・設定・テクニックとは<br />なんでしょうか?<br />特にシステムは知りたく思います。</p><p>なお、紙魚砂さんのあげているランダムイベントチャートは</p><p>1)GMの進行の手助けにはなるかもしれないが、PLの行動の指針にはならない<br />2)「ランダムイベントチャート」は「街道をいく」「街で探索する」「ダンジョンを探索する」という<br />PLが行動を決定した後に使用されるものであり、かつそのランダムチャートの結果から<br />シナリオの展開を発展させるのは極めて難しい(さらに面白くするのはもっと難しい)</p><p>と思います。</p><p>「詳細な多数のデータを満載」については、何のデータ(敵モンスター?装備?)が詳細で多数なのか不明なことと、「詳細」で「多数」なことが「なんでもできる状況」でのセッションの成功を導くとは思えないので、評価不能です。</p><p>>宮本さん<br />>なまじ技量のあるGMだと、目的地に辿り着くまでの部分をアドリブで上手にマスタリングしてしまい、PLを楽しませてしまう。</p><p>そのとおりだと思います。おそらく紙魚砂さんもアドリブで上手にマスタリングできるのでしょう。<br />問題はそのアドリブが「個人のスキルによるもので、しかもセッションの成功が担保されない」ところにあるのだと思います。<br />その理論を推し進めていくと、「システムやシナリオはいらない」ということになってしまいますから。</p><p></p>
鯵
2002年07月05日12時54分
20020705130314
19
深淵のシステムのどこがアドリブに向いているか?(re:アドリブでもドラマは・・・)
<p>書込みが前後しました。(^^;。<br />>紙魚砂さん</p><p>深淵のシステムのどの部分がアドリブに向いているのでしょうか?<br />例示の箇所ではわかりかねますので・・・</p><p></p>
鯵
2002年07月05日13時03分
20020705151342
20
「なんにもできない」ような「なんでもできる」とは
<p>myrtです。初めまして。ROMしてたのですがこれだけ気になりまして...</p><p> 私は「なんにもできない」ような「なんでもできる」とは、常に文字通 <br />り「なんでもできる」なら、何かをできないようにすることができない、<br />という意味だと思っています。</p><p> 理論的に言うと、「状態集合Sの中のどの状態からも任意の状態に遷移で<br />きるとすれば、任意の状態に遷移できない状態に遷移することは絶対にで<br />きない」と言ったところでしょうか。例で言えば、以下のようにすべての<br />行動に意味が見出せなくなることだと考えています。</p><p> 「君のPCは死亡した。」<br /> 「じゃあ生き返る。何でもできるんだから。」<br /> 「では君のPCは不死鳥のように生き返った。」<br /> 「ちょっと待てよ。死んでいたらできないことなんて無いんだ。じゃあ<br />生き返る必要はないわけで...そもそも生きている意味そのものがないんじ<br />ゃないか??」</p><p> 実際にプレイしようとするとPLの想像力という制限がかかる上、運営上<br />「何でもできる能力を使うとき以外は通常の制限に従う(ドラえもんのもし<br />もボックス状態)」になるかもしれませんが。「願いの指輪」の運用例なん<br />かも考慮に入れると面白いと思います。</p><p> この観点で見ると、例えば「人間であるPCの能力限界及び現状制限の元で<br />なんでもできる。行動により状況が変化すると制限も変化するときがある」<br />というのは十分に制限が効いている状態だと思います。</p><p> ですから、「なんにもできないようななんでもできる」という話は今議論<br />されていることとはあまり関係がない次元の話なんじゃないでしょうか。</p><p></p>
myrt
2002年07月05日15時13分
20020705224127
21
17-19へのフォロー
<p>17:紙魚砂さん</p><p>>...システム上で展開を縛ってるんで...</p><p> あー、まぁ確かにそうかもしれませんね。まぁ、要するに、どういう状況ならば、PLが「予定と違う」と気付くかという例ということで。</p><p>>...突然アドリブでドラマチックな展開を導入する</p><p> そうですね。私も実は深淵とかは念頭に置いてました。天羅なんかもそういうのに向いてますよね。あとは、単発シナリオだったら気楽なのかも。<br /> 私は普段はD&Dのキャンペーンを主に遊んでますが、キャンペーンだと予め伏線としてドラマ的なネタを考えておいたり小出しに出しておけたり出来るので、ネタには困りにくい。一方で、本当にその場のアドリブだけでやるのは「後々、色々矛盾が生じて苦しくなったりしないか?」とどうしても慎重になってしまったりとかしたりも。<br /> そういう意味では、「深淵」とかはまさにアドリブなどの技能を鍛えるには良いRPGなのだろうなと思います。</p><p>18:鯵さん</p><p>>そのとおりだと思います。おそらく紙魚砂さんもアドリブで上手にマスタ<br />>リングできるのでしょう。<br />>問題はそのアドリブが「個人のスキルによるもので、しかもセッションの<br />>成功が担保されない」ところにあるのだと思います。<br />>その理論を推し進めていくと、「システムやシナリオはいらない」という<br />>ことになってしまいますから。</p><p> えー。この辺は鯵さんと私とは大きく意見が違うところかもしれない。</p><p> 実のところ、私は良いゲームというのは、「誰がGMやPLしても必ず成功するゲーム」だとは思ってません。GMやPLの腕がはっきりと出るゲームの方が良いと思ってます。(鈴吹氏もTokyoNOVAについては、これは”簡単な”ゲームでは無いと、誇らし気に書いているし。)<br /> そういうゲームであればこそ、もっと上手に遊ぼうと思うし、上手に遊べれば嬉しい、と思ったり。あるいは、プレイの上手な友人を持っていることを幸せに思うとか。そして、もっとRPGの腕を磨こうとか思う。<br /> 常に成功するようなものが遊びたいならば、良く出来たボードゲームを遊べばいいじゃん、とか思ってます。<br /> そんな訳で、システムもシナリオも、成功する為の大きな助けにはなるし、万人向けのヒット作になる為には不可欠だとは思うけど、最後に頼るのは個人の技量だろう、とは思ってます。</p><p> が。そうは思ってはいますが、アドリブが成功した嬉しさと、念入りに準備したシナリオをマスタリングした嬉しさは、また別ものだったり。</p><p> 私の普段のマスタリングスタイルは「予定とずれたらアドリブでPCの行動を予定シナリオに誘導する」なのですが、ごくまれに、違ったスタイルを試したくなってPLに誘導無しで自由にさせてみて、しばしば(当然の結末なのかもしれないが)予定と全然違って、後から後悔とか反省したりとか。<br /> そんな訳で、鈴吹氏の書いていることってのは、割と私の実感通りだったりするのですね。</p><p>19:鯵さん</p><p>>深淵のシステムのどの部分がアドリブに向いているのでしょうか?</p><p>*「実は生きていてこれまで記憶を失っていたため帰ってこなかったのだ」などのドラマチックな運命が91種類ルールブックに載っている。</p><p>*それをカードでランダムに引いて決めることが出来る。</p><p>*PCもその手の運命を必ず2、3個持っている。</p><p>*普通のファンタジーRPGより幻想的な物語を遊ぶ為のRPGで、背景世界もより幻想的。なので、「主人公が生まれた直後に姿を消した(死んだと思われていた)父親が、30年の月日を超えて姿を現わした」といっても、あまり違和感が無い。</p><p>とかでしょうか。<br /> 確かにアドリブ向きのゲームだと思います。<br /></p>
宮本 隆志
2002年07月05日22時41分
20020705233908
22
れ:「なんにもできない」ような「なんでもできる」とは
<p>ども。</p><p>>myrtさん<br /> 実はよく考えたらmyrtさんがおっしゃられる辺りの話が一番この掲示板の趣旨に沿った話題だと思うんですけど(笑、</p><p>>ですから、「なんにもできないようななんでもできる」という話は今議論<br />されていることとはあまり関係がない次元の話なんじゃないでしょうか。</p><p> これはちょっと違うと思います。ここで言われている「何でも出来る」状況というのはあくまで</p><p>・シナリオレベルで展開を制限しないシチュエーション</p><p>のことを言っていると思います。で、</p><p>>この観点で見ると、例えば「人間であるPCの能力限界及び現状制限の元で<br />なんでもできる。行動により状況が変化すると制限も変化するときがある」<br />というのは十分に制限が効いている状態だと思います。</p><p>とmyrtさん自身がおっしゃられるとおり、シナリオ上「なんでもできる」状況であっても実際は本当に何でも出来るわけでなく、シナリオ上でない制約が数多くある。<br />で、「(シナリオレベルでの)何でも出来る状況」でも「何かできる」人というのは、シナリオレベル外の制約を利用して面白い展開を考え出すことが出来る人だと思います。</p><p>例えるとこの差は、例えば目の前に白い壁があったとして</p><p>「なんにもできない」人は「何にもないただの白い壁だ」と答え、<br />「何かできる」人は「その壁はコンクリートの上にペンキで白塗りした壁で、下の方はきれいに塗られているが上の方は塗る人間の手が届かなかったためかところどころちゃんと塗られてないところがある」と答える、</p><p>…というような劇的な発想の差があるのだと思います。<br />ただ、この辺の差は「ちょっと視点を変えるだけで見えるようになる」程度の差であり、そんなようなシチュエーションに遭遇して一度乗り越えるだけで誰でも出来るようになると思うんですけれども。</p>
紙魚砂
2002年07月05日23時39分
20020706013905
23
れ:深淵のシステムのどこがアドリブに向いているか?
<p>>鯵さん<br /> 深淵はどこら辺がアドリブに向いているかという点ですけれども、すでに宮本さんが結構説明してくれてますけど、</p><p>・そのPCにとって面白い展開をもたらすであろう設定が最初からシステム的にキャラクターに付加されるので、GM・PLはそのいくつかの面白そうな展開の中から適当に選んで提案し合うことが出来る。</p><p>てところですね。</p><p>具体的に言うと、</p><p>「縁故」…PCにとって親しい人の設定<br /> →GMがわざわざNPCを考えなくても「縁故」を登場させればそれだけでドラマになる。「縁故」が苦境に立ったりすればそれだけでPCも巻き込む良い口実になる。</p><p>「運命」…ランダムで決まる。突然忘れていた過去の重要な記憶が捏造されたり、突然あと3日で死ぬことになったり、突然自分の身体に魔族の血が流れていることがあきらかになったり、突然婚約者が出来たりする(笑。その状況をただきちんとプレイするだけでドラマになる。</p><p>…といった感じですか。</p><p>>宮本さん<br />> そうですね。私も実は深淵とかは念頭に置いてました。天羅なんかもそういうのに向いてますよね。あとは、単発シナリオだったら気楽なのかも。</p><p> この辺は賛成です。天羅は業とかがランダムじゃないんで、テンプレートを選ぶ時点でキャラの展開が読みやすく、最初から自分の嗜好に合ったテンプレートを選んでおけばそれだけでシナリオなくても遊べるって感じですか。</p>
紙魚砂
2002年07月06日01時39分
20020706015539
24
楽しめるかどうかはPLの自己責任である(展開を縛るセッションと縛らないセッションの比較)
<p>#鏡さんのよくおっしゃられる「自己責任」の辺りの話題を元に、展開を縛るセッションと「なんでもできる」展開を縛らないタイプのセッションの比較検討をしてみました。<br />#どうも「なんでもできる~」の論とは外れてきたので別のところで議論したほうがいいような気もするんですけど(w。</p><p>0)前提<br /> まず、ここでは「事前にシナリオが準備され、それをなぞることを主眼としたセッション」を「予定調和セッション」、「何でもできる状況を楽しむセッション」のことを「拡散志向セッション」と呼ぶことにします。</p><p>1)「予定調和セッション」と「拡散志向セッション」のギブ・アンド・テイク<br /> 「拡散志向セッション」をやる場合重要なのは、GMとPLがお互い何を与え合うか?で、実際その内容は「予定調和セッション」とは根本的に異なっています。</p><p><予定調和セッション><br />GMが与えるもの:予定された安定した楽しみ。予定調和のための行動制限。<br />PLが与えるもの:基本的に、GMが望む展開沿うように協力する形で参加すること</p><p><拡散志向セッション><br />GMが与えるもの:どんなアクションにも対応できるような舞台を準備することで自由を与える<br />PLが与えるもの:GMから与えられた舞台で、自ら楽しむ方法を見つけること</p><p>2)「予定調和セッション」の思想<br /> 「予定調和セッション」では、GMはシナリオで想定した“楽しさ”をPLに伝える(共感させる)ことを目的とします。</p><p>利点)GMと嗜好を合わせられる人間であれば、それなりに完成された楽しみを得ることができる。<br /> 展開が読みやすいのであまり発想力を駆使しなくても安心して楽しめる。<br />欠点)GMと嗜好を合わせられない人間には楽しめない。<br /> 展開が比較的狭く、PLはもしやりたいことがあっても、それがセッションの展開から大きく離れてしまうものであればそれを断念しなくてはならなくなる。</p><p>3)「拡散志向セッション」の思想<br /> 「拡散志向セッション」では、GMは、実際PLがどう楽しむか規制しません。極端な話、GMの趣味に合わなかろうが、シナリオで想定したのとまったく違う楽しみ方になろうが、タッチしません。重要なのは、PLがとにかく「自分のやり方で」楽しんでくれたかどうかだけです。そしてその代償として「楽しめなかったとすれば、それはPLのせいでもある」。と規定します。</p><p> このスタイルではGMはさまざまな状況に対応しなければならないという負荷を負う代わりに、実際PLが楽しむかどうかについて気を遣うことを(一部)放棄します。</p><p> この方法論の元になる考え方はこんな感じだと思います。</p><p><b>「すべての人間は嗜好が違う。<br /> GMがPL全員を同時に楽しませる『楽しみ』を提供するのは不可能である。<br /> であるならば、PLが『自分の楽しみ』を自ら実現できる舞台のみ提供し、実際楽しむかどうかについてはPL自身にゆだねよう」</b></p><p> このスタイルの利点は、PL同士がまったく好みの合わない人たちの集まりだったとしても、それぞれが個別に、ある一定水準以上の楽しみを得ることができるというところです。<b>そのPLが自ら楽しもうとしてプレイするならば</b>。</p><p>利点)PLはそれぞれ独自に「自分の楽しみ方」を追求できる。<br /> 好みの違う人間同士が集まってもそれぞれが個別に楽しめる。<br />欠点)楽しみは人から与えられるものだと思っているPLは楽しめない。<br /> その分発想力・思考力を要求する。</p>
紙魚砂
2002年07月06日01時55分
20020706161242
25
FEARがなそうとしていること
<p> ども、お久しぶりです。tatuyaです。</p><p> 一連のテキスト、興味深く読んでいました。<br /> まあ、結局、鈴吹流にしても鏡流にしても、参加者にどのようにセッションに参加させるかというスタンスの差なんだろうなぁと、思います。であるのに関わらず、鈴吹氏が、他の可能性を切り捨てるような言動を繰り返すのはどうかとか思わなくはないです(まあ、いわゆる“政治的な発言”なのでしょうが…)。</p><p> さて、今回ちょっと一言差し挟みたいのは、そういうことから少しずれたことなのですが、ある意味、現在のFEARの考え方を如実に現していると思われる部分の指摘です。</p><p>>深淵のシステムのどの部分がアドリブに向いているのでしょうか?</p><p> この問いに対して、宮本様、紙魚砂様は、「ランダムで入手される運命」を例として示しました。<br /> なるほど確かに、深淵において運命とは、ゲームにおいてPLに渡された資源として極めて強大なものです。運命を受け入れた瞬間、そのキャラは世界の一背景から切り離され、一個の独立した人格として、世界に積極的に戦いを挑むことになるでしょう。運命はランダムに渡されるが故にGMとしてはコントロールが困難であり、そこで、PLGM含めた参加者全員による真のサバイバルが展開されることになります。<br /> FEARにとっての懸念はまさに、ここでした。この、サバイバルの状態を、コントロールする術はないのか? 参加者全員が、それを出来るのであれば構わないけども、コントロールできない場合、悲惨なセッションが待っているだけではないか。誰でも良いから、管理し、コントロールする参加者が必要ではないのか。<br /> そして、FEARが考えだしたものこそ、GM主導型のシステム作りだったわけです。<br /> プレアクトを行い、コネや宿業を事前に配布し、イメージをすりあわせつつ、イベント中心でのシナリオを提供してキャストの神業の使いどころを限定しつつ、たとえどのようにセッションが脱線しようとも最後はクライマックスによってブレイクスルーする。最後に、終わりよければすべて良し、PLに自由にエンディングを演出させて終わらせるのです。<br /> ここで気を付けるべきことは、コネ、神業など(かつては)PLが自由に選択でき、行使できた様々な資源が、FEARによって、プレアクトにGMから管理された形でPLに手渡されているという構図です。たとえその資源がいかに強大であったとしても、GMという管理者によって管理されているのであれば、牙を抜かれた狼のごとく、たやすく管理が可能となるでしょう。深淵においても、PLに配られる運命をGMがシナリオに合わせて事前に決定しておくというプレイスタイルがあることを忘れてはいけません(そしてこれは、ルールブックでも是認されているプレイスタイルです!)。</p><p> とまあ、同じ、運命やコネ、神業という資源であっても、それをどのようにセッティング・配置するかでプレイスタイルは随分と変化するのですね。</p><p> 多分、FEARがなそうとしていることは、PLに資源を与えつつ、それをいかにしてコントロールするかということなのではないのかなぁと思うわけですよ。まあ、ここでの問題は、GMによって事前に選定されたものを、PLの資源と言えるのかどうか、という問題なのですが…管理されたもの、使いどころがあらかじめ指定されたものを資源と呼べるのか、それが、ここでの根本的な疑問点となるのでしょう。</p><p> 私ですか? そのときに気分に合わせて、使い分けています、ええ(邪笑)。</p>
tatuya
2002年07月06日16時12分
20020706230034
26
「プレイヤーの不満」がなぜマスターに問われるのか
<p>>鯵さん<br />遅くなりましたが、ご質問に返答を申し上げます。</p><p>>プレイ後、PL側から不満がでた場合、どうなるのでしょうか?<br />>PLから「つまらなかった」という感想が出た場合、<br />>PLに自由を与えた結果、古城に辿り着けなかったのだから仕方ないということになるのでしょうか?</p><p>結論から言うと、答えは「その通り」です。</p><p>ただ、ここで考えていただきたいのは、「プレイヤーがマスターに不満を言う」という行為がなぜ生じるのか、ということです。私が考えるに、それは「マスターが面白い話(人間関係や冒険)を与え、プレイヤーがそれを楽しむ」という構造があるからなのです。それが先にあるから、「面白くなかったじゃないか!」と言えるのですね。</p><p>プレイヤーが「自己責任」の下で「自由」に行動を決めていくのであれば、つまらない展開とは自分が好んでした行動がつまらなかったということであり、他人に文句を言うことではないのです。もちろんこれを成立させるには、参加者全員の認識に加え、シナリオを「プレイヤー/PCの活躍の場」として構築することが必要となりますが。</p><p>回答になりますでしょうか。</p>
鏡
2002年07月06日23時00分
20020706231348
27
鈴吹氏の文章における「なんでもできる」の意味>myrtさん
<p>>myrtさん<br />紙魚砂さんが書込22で仰っていますことと、私も概ね同じ意見です。</p><p>鈴吹氏言うところの「なんでもできる」というのが「なんでもできる能力」を指して、それを問題視しているなら私も納得できます。しかしながらダブルクロスの例や件の体験談などから、それを扱っているわけではないと判断しております。</p><p># ダブルクロスのPCは「万能」で無いのが素晴らしい、とは言ってませんでしょ。</p><p>正直言うと、「状態集合S」云々のあたりは良く分かりませんでしたので、読み違いがありましたらご指摘ください(_ _;)。</p>
鏡
2002年07月06日23時13分
20020706232544
28
私のも政治的発言だったりして…>tatuyaさん
<p>>tatuyaさん<br />貴重な参考意見をありがとうございます。説得力ある論旨で、なるほどと思いました。</p><p>鈴吹氏の今回の文章については、私も「政治的な発言」だと判断しております。二種遊ばれるよりは、片方のファンばかりになった方が彼にとって都合が良いでしょうから。</p><p>で、もちろんそれは、もう片方をこよなく愛する私にとっては都合が悪い。金にこそなりませんが、今回の雑記は私からの政治的発言とも言えますわな。本音は、業界紙からの攻撃の下、生き残りをかけて必死なのですけどね(^^;)。</p>
鏡
2002年07月06日23時25分
20020707010126
29
ここが問題の確信だと思います(re:「プレイヤーの不満」がなぜ・・・)
<p>鯵です。ご回答ありがとうございました。</p><p>>プレイヤーが「自己責任」の下で「自由」に行動を決めていくのであれば、つまらない展開とは自分が好んでした行動がつまらなかったということであり、他人に文句を言うことではないのです。</p><p>ここが、この議題の確信だと思います。<br />まず、私はコンベンションの経験として、件の鈴吹氏のような出来事にあったことが有るんですね。実際私は楽しくなかった。</p><p>そのシナリオの冒頭GMはこう言いました。<br />「なにをしてもいいですよ」<br />と。<br />私は困ってしまいました。「なにをしてもいい」といわれても私のキャラクターのやりたいことは「冒険にでること」です。当たり前です。でもできないんです。冒険にでることは。<br />なぜなら、そこに情報がないから。<br />結論からいうと実際に冒険にでるまでに2時間(!)以上かかってしまいました。GMはPLの一人一人に「なにをしてもいい」と言い、PLに宣言させ、話を展開させていったからです。結果皆の行動の結果を「冒険にでる」というパーティ全体の行動にするまで2時間もかかってしまったわけです。<br />結果、目的のダンジョンにも辿り着けずゲームが終わりました(^^;</p><p>まさしく「なんにもできなかった」わけです。</p><p>ゲームがつまらなかったのは私のせいなのでしょうか?</p><p>違うと思います。<br />PCが「自由」に振る舞うには「システム」や「情報」という名前の「自由を限定するもの」が必要なのです。皮肉なことに。<br />限定されて初めて「ここまでの範囲で自由に振る舞えば面白い展開になる」「この行動は無意味な行動ではない」というものが初めて鏡さんや紙魚砂さんのいう「責任」をもって行動を選択できるのです。</p><p>(※ただTRPGにいわゆる「戦術的SLG」的な楽しみを求めるのであれば城に辿り着けようがなんだろうがそこに<出来事>さえあればいいので問題なにのですが・・・前回の鏡さんへの質問はこのことを確認するためのものです)</p><p></p>
鯵
2002年07月07日01時01分
20020707014352
30
「自由」と「GMが想定していない展開」が混同されてないか?
<p>鯵です。<br />前回の題名の「確信」は「核心」です(^^;</p><p>>紙魚砂さん、宮本さん<br />おそらく、「自由」と「GMが想定していないシナリオ展開」(=アドリブ)を混同されてます。(私も一部してました(笑))</p><p>●運命<br />カードでランダムに決める(キャラメイク時、ゲーム中)<br />→GMより運命カードが渡される<br />→PCの自由意志の決定ではない。むしろ運命に行動を示唆されるので<br />PCの自由は制限される<br />●背景世界<br />幻想的な世界設定<br />→コミカルな行動や、平凡な行動、それによる展開は望めない<br />→PCの自由は制限される</p><p>●縁故<br />→そのNPCを無視した展開はできない。そのNPC絡んだ<br />行動がPCに求められる<br />→PCの自由は制限される</p><p>もちろん深淵はアドリブ的展開のゲームに「も」向いてます。<br />理由はPC行動が縁故や夢歩きで限定、もしくはGMの示唆によって、ある程度コントロールできるからです。</p><p>クールメカニクスの件の文章読み直してみたんですが、鈴吹氏は「GMの思ってるようにシナリオを進めるべきだ」とは書いてない。むしろ自由を推奨してます。</p><p>鈴吹氏の論旨は「PCに自由な行動/行動決定をさせつつ、なおかつゲームそのものが破綻しないようにしつつ、そのPCの行動を容認するためには、PCの行動が自然と限定されるのがよい」ではないでしょうか。</p><p>GMの想定していない展開を求めるプレイこそ、自由は限定されるべきではないでしょうか。<br />そのほうがPCも思い切り自由なことができますし。(「その行動はいくらなんでもだめ」といわれなくてすむ)</p><p></p>
鯵
2002年07月07日01時43分
20020709021646
31
微妙に違うと思われます(れ:核心ほか)
<p>かなり飛躍しますが(w)、重要なのは</p><p>・「PLが」セッションにおけるPCの制限を「自分で」選ぶことが出来る。<br /> (これを「TRPGにおける自由」と言いたい(笑))</p><p>・シナリオで想定しなかった展開になってもシステム的フォロー、GMの知識等によって「話を面白く膨らませることが出来る」</p><p>・PL/GMが見て、このPCの話の展開はこうなると面白くなりそうというのが読み取りやすいものが、比較的アドリブオンリーでもプレイの方向性を読みやすい。ただし制限しすぎるのは面白くないので、自由→選択となる程度の制限が適度。</p><p>・PLの望んだ展開になることは保証されない<br /> 思い通りにならないことを楽しむ。</p><p>で、鯵さんの体験談の件ですが、</p><p>>そのシナリオの冒頭GMはこう言いました。<br />>「なにをしてもいいですよ」<br />>と。<br />>私は困ってしまいました。「なにをしてもいい」といわれても私のキャラクターのやりたいことは「冒険にでること」です。当たり前です。でもできないんです。冒険にでることは。<br />>なぜなら、そこに情報がないから。<br />>結論からいうと実際に冒険にでるまでに2時間(!)以上かかってしまいました。GMはPLの一人一人に「なにをしてもいい」と言い、PLに宣言させ、話を展開させていったからです。結果皆の行動の結果を「冒険にでる」というパーティ全体の行動にするまで2時間もかかってしまったわけです。<br />>結果、目的のダンジョンにも辿り着けずゲームが終わりました(^^;</p><p>割とよくあるケースだと思うんですけど、この手のプレイで重要なことは</p><p>「あなたのキャラクターの人生設計は出来ていますか?」</p><p>というところだと思います。それも「自己責任」の内に入るでしょう。<br />要するに「冒険をしたい」という目的があった場合、</p><p>・どんな冒険をしたいのか?<br />・それを実現するにはどんなステップを踏めばいいのか?</p><p>を自分で考える必要があります。ただボーっとしてるだけで冒険できる人はいません(リアリティを鑑みるなら)。<br />さらに</p><p>>なぜなら、そこに情報がないから。</p><p>というのであれば、「当然」情報を集める必要があります。情報は寝っころがってても入ってはきません(今はTV見てるだけでも情報が入る便利な時代ですが)。それらの事前状況まで自分で考えることを楽しめるかという問題だと思います。<br />24の</p><p>>欠点)楽しみは人から与えられるものだと思っているPLは楽しめない。</p><p>に該当しますね。</p><p>この辺は例えて言うなら「旅行」に似ていると思います。<br />交通経路や宿泊施設、目的地まで決まっている「観光旅行」的セッションをしたいのか?<br />交通経路を考え(電車で行くときれいな風景が見れるとか、飛行機で行くと機上食がおいしいかもとか)、宿泊施設を考え、目的地もすべて自分で考え、実際に実行し、現地で調査不足などで思っても見ないところでトラブルに巻き込まれたりする「自作旅行」的セッションをしたいのか?</p><p>実際の話、人それぞれ好みが違うので、どちらか一方のみが好きな人もそれぞれいますし、どちらも楽しめる人もいます。<br />ただそれだけの違いに過ぎないと思いますね。</p>
紙魚砂
2002年07月09日02時16分
20020709110954
32
かなり違うと思います(笑)(re:微妙に違うと思われます)
<p>鯵です。</p><p>とりあえず誤解だけ訂正しておきます。</p><p>>ただボーっとしてるだけで冒険できる人はいません(リアリティを鑑みるなら)。</p><p>えーと…私もアホではないので(笑)<br />・酒場に行って情報を集める。<br />・仲間の僧侶と教会に行って話をしてみる<br />・街を歩いて冒険の種をさがす<br />(怪物/盗賊が出現している、どこそこにある財宝の噂などはないか、などの情報の聞き込み)</p><p>くらいはしました。</p><p>結果は、まあ、わかると思いますが<br />「空振り」<br />でした。(「とくにないなあ」以外のセッションに関係ある返答は返ってこなかった(笑))<br />2時間たったあとで盗賊ギルドから依頼がきた(笑)</p><p>>楽しみは人から与えられるものだと思っているPL</p><p>えーと・・・まあ、率直な話、楽しみは人から与えられるものだと思ってません、はい。TRPGはお互いに楽しむものだと思ってますから。(と言うより純粋に<楽しみは人から与えられるものだと思っているPL>なんてそうそういないと思いますが・・・)<br />けど、まあ、楽しもうと努力したんですが、楽しくなかったわけですよ。実際。</p><p>こういう場合も楽しくないのはPLの責任なんでしょうか?</p><p></p>
鯵
2002年07月09日11時09分
20020709172948
33
それはGMが悪いでしょう(笑)(れ:かなり違うと思います(笑))
<p>ども。</p><p>>鯵さん<br />31でも書きましたが</p><p>>・シナリオで想定しなかった展開になってもシステム的フォロー、GMの知識等によって「話を面白く膨らませることが出来る」</p><p>というのが自由な展開のセッションでは重要で、PLの責任も増えますが、GMもPLに合わせて一緒に楽しめる方向性を模索する必要があります。シナリオではその展開は規定しないので、システム・世界観を元にGMがアドリブで対処することになります。</p><p>ということで、GMとして「基本として」やるべきことをやっていないという点で「悪い例」だと思います。ふむ。</p><p>#ちなみに疑問なのですが、他の人の様子はどうだったんでしょうか?</p>
紙魚砂
2002年07月09日17時29分
20020709174647
34
Re:「なんにもできない」ような「なんでもできる」とは
<p> 紙魚砂さんが指摘されたように、鈴吹氏は「シナリオレベルで展開を<br />制限しないシチュエーション」について議論しているように思えます。</p><p> つまり、「なんでもできる能力があるとき、それはなにもできないの<br />と同じことだ」という意味においての「なんでもできるのはなんにもで<br />きない」話とは違ったことを議論しているのではないか、と思います。</p><p> なぜ違っていると思うことを書いたかというと、鏡さんが「『なんで<br />もできる』は『なんにもできない』」という状況に出会ったことがない<br />と書かれていたので、参考までにと思いまして。<br /></p>
myrt
2002年07月09日17時46分
20020709214348
35
鯵さんの例ではマスター側に問題があると思います
<p>>鯵さん<br />質問と意見をどうまとめようか悩んでいたら一部実例をいただけましたので、結論から。</p><p>鯵さんの例で楽しめなかったのは、<b>マスター側に問題があります</b>。なぜなら、プレイヤーは行動によって希望を表明しているのに、それがシナリオの展開に活かされていないからです。</p><p>そのマスターは「なにをしてもいいよ」と仰ったそうですが、それならば「なにをしても」それなりの反応を返さなくてはいけません。ひょっとしたら「盗賊ギルドが行き先を教える」というシナリオが既にあり、それをプレイヤーが見つけるのを待っていたのかもしれません。もしそうならそれが鈴吹氏の例でいう「古城」に相当するのでしょう。</p><p>プレイヤーに問題がある状況というのは紙魚砂さんも仰っていますが、「自分たちが何をしたらいいか決められない」「したいことはあってもそれをPCの行動として伝えない」「したくない行動を取る」などの場合で、それで不満なのは自業自得なわけです。</p><p>なお、シナリオでどこまで決めていいのかと考えると、例えばダンジョンを置くのは良いと私は考えます。ただ、そことの関係はプレイヤーが決めてよい、と。そこに行かなくてはいけないとか、これこれこういう目的で行くのだとかはプレイヤーが自ら決めることです。</p><p># 正直、「自由」なシナリオのための構造についてはまだ未整理なのですが(^^;)。</p><p>>PCが「自由」に振る舞うには「システム」や「情報」という名前の「自由を限定するもの」が必要なのです。</p><p>「自由放任」の意味だとしても、「情報」を「自由を限定するもの」とするのには私は賛成できません。そういう使い方もできますけどね(^^;)。けど、それを基本としてしまうのは…。</p><p># ちなみに「情報」云々は鈴吹氏の文章でも文脈上不可解な部分です。存在意義が不明。</p><p>余談ながら、PCの行動というのも、プレイヤーがマスターに伝える情報の一種です。「財宝の噂を尋ねる」ことは、「財宝探しの面白さをこのシナリオに期待しますよ」と伝えることになるのです。</p>
鏡
2002年07月09日21時43分
20020711011352
36
実際に「なんでもできる」状況で「何かできる」人の割合
<p> とりあえず僕がGMするときには「なんでもできる」状況が多いんですが(w、その極端なケースで「何も解らない」というシチュエーションをやることがあります。これはmyrtさんのおっしゃられるような形而上学的な「なんでもできる」状況に近くなります。というのは、PLはそのPCに課せられた制約をまったく知らないわけですから、理論上「どんな不可解な行動を実行しようとしてもそれは『おかしい』と評価されることがない」という意味で完全に自由となります。(ただ、行動を始めた瞬間制約がかかり始めるわけですが(w))。</p><p> さて、こういった状況に置いてみると、そのPLが以下の4つのタイプのどれであるか一目瞭然でわかります。</p><p>1)自分で行動を考えて道を作っていくことを楽しめるタイプ<br />2)とりあえず何かしようとするけれども計画性がないので空回りするタイプ<br />3)何をしたらいいか思いつくことが出来ずに硬直するタイプ<br />4)行動することを放棄するタイプ(このタイプはこのスタイルに向いていない)</p><p>ちなみにこの前この手のセッションをやったときには、</p><p>1)…1人<br />2)…2人<br />3)…1人<br />4)…2人</p><p>でした。PLは6人中4人が初めてプレイする人で、だいたい外部で初めての人と相手にプレイするとどこでも同じくらいの割合になりますね(よっぽどつわものが集結しない限り(w))。1)の人はどこでも1~2人くらい。4)の人も1~2人くらい。<br />実際のプレイとしては1)の人が道を作ってくれるので、それを元に他の人も巻き込んでいくようなプレイをしていくとわりと上手くまとまるようです。</p><p>ということで、</p><p>>鯵さんwrote<br />>と言うより純粋に<楽しみは人から与えられるものだと思っているPL>なんてそうそういないと思いますが・・・</p><p>については実体験上平均で2~3割くらいは確実にいるものと思われます。<br /> むしろ鯵さん自身がここまでの書き込みからしますと1)のタイプのアクティブなプレイヤーと思われますので、希少価値があるというか、GMやってて楽させてもらえそうな感じなんですけど(w。</p><p> あと蛇足ですが、ダンジョンシナリオってかなり自由なんですよねえ。<br /> どういう順序でダンジョン内部を回るか自由ですし、引き返すのも自由、好奇心に任せて大した利益も見込めないのに最後まであさり尽くすのも自由。シティーアドベンチャーも主要ポイントだけ設定してそこだけリアクションしておけば擬似的にダンジョンシナリオのようにプレイできるんですけど、そんな感じにダンジョン物→シティーアドベンチャーとステップアップしてきて「大枠は決まっているけれども細部でどう行動するかは自由」な感じのセッションをしてきた人の方が「何でもできる」状況でも自分で率先して行動できる人が多いような感じがします。「自由」に慣れているというか。<br /> ちなみに僕のところのかつての内輪では、「自由」になんかしておくとどこまでも突っ走って行ってしまってちっとも話が収束しないので(w、やむを得ず制限を明示的に設けて話をまとめるという感じになってましたね。そういうわけでやたらと制限のあるセッションはかなりPLに嫌われてたんですけど、外部だとそうでもないようだし、まあ環境の違いというところなんでしょうか。</p>
紙魚砂
2002年07月11日01時13分
20020711171633
37
自由の限定は悪いことではない
<p>鯵です。<br />>鏡さん<br />>「自由放任」の意味だとしても、「情報」を「自由を限定するもの」とするのには私は賛成できません。そういう使い方もできますけどね(^^;)。けど、それを基本としてしまうのは…。</p><p>えーと(^^;)。</p><p>例えば、あるPLが近くにある未開の森の情報を得たいと思ったとします。<br />その時PCたちがいる場所は人口10人程度の小さな村で、冒険者ギルドや盗賊ギルドはありません。<br />PC達は自分達の状況を正確に把握しているとします。つまり、「この場所には冒険者ギルドや盗賊ギルドはない」という情報があるわけです。<br />この場合、(余程特殊な場合を除いて)冒険者ギルドや盗賊ギルドから情報を得ようという行動をPLは起こしません。<br />この状況が「PL(PC)が自ずから自分の自由を制限する」状況です。</p><p>鏡さん自身も述べておられるように常に「PCの自由を制限しよう」という意図で情報を出すわけではありません。そうではなくて、情報というものは、発信者の意図に関わらず、必然的にPCの自由を制限するものなのです。</p><p>「自由を限定する」というとなんだかネガティブなイメージですが、別の言い方をすれば「行動の指針を与える」ということではないでしょうか。羅針盤を見るのは、どこにでもいける自分の自由を羅針盤によって限定している・・・と。</p><p>#余談ながら、以上のことからも<br />鈴吹氏の文章で鏡さんのプレイ<br />スタイルを否定する箇所はどこにも存在しないと思います</p><p>>余談ながら、PCの行動というのも、プレイヤーがマスターに伝える情報の一種です。「財宝の噂を尋ねる」ことは、「財宝探しの面白さをこのシナリオに期待しますよ」と伝えることになるのです。</p><p>ここの部分は文意が不明なのですが、どういう意味でしょうか?<br />例証するまでもなく、財宝の噂をたずねることは財宝探しの面白さを期待するとは限らないと思いますが・・・</p><p></p>
鯵
2002年07月11日17時16分
20020711192838
38
結果「なんでもできなかった」のでは?
<p>>紙魚砂さん<br />>#ちなみに疑問なのですが、他の人の様子はどうだったんでしょうか?</p><p>他の人にセッションの感想を聞いたわけではないので、正確な感想は計り兼ねますが、私の主観で申しますと、他の方々はまずい食事をだすレストランに入ってしまった時(しかもオーナーシェフがテーブルの近くにいる)のような微妙な表情をしていました(笑)</p><p>>>>鯵さんwrote<br />>と言うより純粋に<楽しみは人から与えられるものだと思っているPL>なんてそうそういないと思いますが・・・<br />については実体験上平均で2~3割くらいは確実にいるものと思われます。</p><p>疑問としては、</p><p>1)このセッションに参加したPLの6人中少なくとも5人は、結果的に、要因がPLもしくはGMのどちらにあるにせよ、「なんでもできる」状態で「なんにもできなかった」。このケースだけに限定しても8割以上が「なんでもできる」状態で「なんにもできなかった」のではないか?さらにこの場合、GMの紙魚砂さんがいわゆる「自由な」セッションに熟練していることを鑑みると、平均では、かなりの高確率で「なんでもできる」状態で「なんにもできない」状態に陥るのではないか?</p><p>2)紙魚砂さんの示した2)、3)、4)の人は本当に<楽しみは人から与えられるものだと思っているPL>なのか?詳しい状況は不明だが少なくとも「空回りした」人は行動を起こしている以上、楽しもうとしたのではないか?<br />(個人的にはたとえ1)の人でも場合によっては2)→3)の変遷を辿って4)にいきつくこともあるかと思います。私の例示した事象がまさにそれ(^^;)))</p><p>3)素朴な疑問として、このセッションは成功といえるのか?1)はもちろん1)以外の人は楽しかったのか?</p><p>というところです。</p><p>>あと蛇足ですが、ダンジョンシナリオってかなり自由なんですよねえ。</p><p>蛇足なのでアレですが、ダンジョンこそ「「プレイヤーが「できる」ことを"限定"しやすい」と思うんですけど。その意味で鈴吹氏が例示しているダブルクロスの「ステージ」と同じかと。</p><p></p>
鯵
2002年07月11日19時28分
20020711195950
39
話題別掲示板への移動を提案します。
<p>ごぶさたしています。’M’です。<br />永らくROMしておりましたが、少し気になったので。</p><p>どうも議論の主体が「雑記」そのものへの意見や感想ではなく、<br />「「なんにもできない」とは「何ができない」のか」<br />という主張(宣伝文句?)についてのものになっているように見えます。</p><p>…ですので、ここは意見感想を書く場として残しておいて、焦点の話題については話題別掲示板に移動した方がよろしいのではないかと思いますが、いかが?>ALL</p>
’M’
2002年07月11日19時59分
20020711234425
40
話題別掲示板への移動に賛成
<p>’M’さんからいただいたご指摘のとおり、確かに話題別掲示板への移動した方が良さそうですね。特に鯵さんの意見は、私めの雑記を対象としたもののようですが、「雑記への意見」としては勿体無い書き込みもありますし(^^;)。</p><p>どういう趣旨の話題とするか、またどこからどこまでの書き込みをそちらに複写すべきか等、どなたかアイデアがありましたらぜひ仰ってください。即、新話題を<a href="http://www.rpgjapan.com/talk/topic.cgi" target="_top">話題別掲示板</a>に開設していただいても結構です。</p><p>なお、</p><p>>鈴吹氏の文章で鏡さんのプレイスタイルを否定する箇所はどこにも存在しないと思います</p><p>…との、鯵さんのご意見についての返答は、今少し考えてから書き込みます(_ _)。</p>
鏡
2002年07月11日23時44分
20020712002053
41
移転の方針としては(案)
<p> 忙しいので移転の方の手続きとかやってる暇がないんですけど(^^;、個人的には「何でもできる」とか「自由」なセッションの良い点・悪い点・難しい点・難しい部分をクリアする方法などが客観的に議論できればいいと思います。政治的発言として、そういうスタイルの遊び方もあるということをはっきりさせておきたいですね(w。とりあえず主観・好みの話が混ざらないように、鈴吹氏の話はキッパリ切り離して議論したいですが。</p><p> で、セッションがうまく行かなかった例として鈴吹氏の話とか鯵さんの話が出てますが、それは、「GMが悪い」のであって「遊び方が悪いのではない」という結論で良いんでしょうかね?特に反論も出てないですが(w。いまのところサンプルとして適当でない例ばかり出続けてますので(w、この辺でサンプルとして適切な例の話が出るといいと思うんですけど。</p><p> あと、鏡さんのおっしゃられる「自由/限定」と鯵さんのおっしゃられる「自由/限定」が、言ってる意味がまったく違うので、その辺も調整していただけるといいかなと思います(w。</p>
紙魚砂
2002年07月12日00時20分
20020714071813
42
TRPGにおける「情報」の二面性
<p>アキトです。たまたま流れ着いたので以後ROMしようかなと思ってます。</p><p>わりとどーでもよいことかもしれませんが、読んでて思いついた感想です。</p><p>≫鯵さん<br />>「自由を限定する」というとなんだかネガティブなイメージですが、別の言い方をすれば「行動の指針を与える」ということではないでしょうか。羅針盤を見るのは、どこにでもいける自分の自由を羅針盤によって限定している・・・と。</p><p>情報は「状況を限定し発想の幅を狭める」という側面と「状況を限定し発想難易度を引き下げる」という側面があるかと思います。「行動の指針を与える」はこの両方の意味で感じますが「自由を限定する」は前者に大いに傾いてると思います。</p><p>そういう点から「情報は『自由を限定する』」と表現すると、読み手に誤った印象を与えることになるので、あまり得策ではないと思いました。</p>
アキト
2002年07月14日07時18分
20020714071830
43
TRPGにおける「情報」の二面性
<p>(重複により削除)</p>
アキト
2002年07月14日07時18分
20020714154347
44
移転等、しばらくお待ちください
<p>話題別掲示板への移転等について検討を進めております。ここまでの話を読み直しておりますと、やはり幾つかの視点が交錯しているように思われまして、それらをどう分けるかが問題ですね。</p><p>紙魚砂さんのご指摘のように「自由」「限定」の意味、更には「なんでもできる」「情報」等の受け取り方も人によって異なるようで…。いっそすべて別の言葉で言った方がよいのかも。</p><p>実のところ交流会(7月20日)の準備でこちらにあまり集中できない状況ですので、この件についてはしばらくお時間をいただきたいと思います。鯵さんへの返答も含め、私の次回書込は、勝手ながら7月21日以後とさせていただきますので、ご了承ください(_ _)。</p>
鏡
2002年07月14日15時43分
20020718222823
45
どうしてスタイル論になるのか?
<p>鯵です。<br />>紙魚砂さん<br />>個人的には「何でもできる」とか「自由」なセッションの良い点・悪い点・難しい点・難しい部分をクリアする方法などが客観的に議論できればいいと思います。政治的発言として、そういうスタイルの遊び方もあるということをはっきりさせておきたいですね</p><p>賛成です。<br />「自由」なセッションの運営方法には興味ありますし。<br />ただここで問題になっている鈴吹氏のコラムには<br />TRPGの遊び型(スタイル)を否定している部分は<br />全く見当たらないので、正直困惑しています。</p><p>>で、セッションがうまく行かなかった例として鈴吹氏の話とか鯵さんの話が出てますが、それは、「GMが悪い」のであって「遊び方が悪いのではない」という結論で良いんでしょうかね?特に反論も出てないですが(w。</p><p>えーと、まあ反論するまでもなく、悪い例というわけではありません。(なぜかについてはすでに説明済みだと思うので述べませんが…)<br />それより「遊び方が悪い」という意見は鈴吹氏の文章でもこの掲示板でも出てないとおもうんですけど。</p><p>>あと、鏡さんのおっしゃられる「自由/限定」と鯵さんのおっしゃられる「自由/限定」が、言ってる意味がまったく違うので、その辺も調整していただけるといいかなと思います(w。</p><p>違いますよ。(笑)<br />私は(そしてたぶん鏡さんも)概念的な「自由/限定」の意味でこの言葉を使っているのではありません。鈴吹氏のコラム上での「自由/限定」の意味するところを話しています。<br />従ってその箇所の認識が違うところから意見の相違が生まれてるので。</p><p>#>アキトさん<br />前述した理由から、ご指摘の内容はちょっと受け入れがたいのですが。</p><p>とにかく</p><p>>>これらを総合して想定されるRPG像は次の通りである。<br />シナリオには、PCの行動をも含めた「予定された展開」が組み込んである。<br />マスターは、「予定された展開」からPC(=プレイヤー)が外れないよう操作(ハンドリング)する。<br />「予定された展開」通りに結末がついた状態を「セッションの成功」と呼ぶ。またそうすることができなくなった状態を、「セッションの失敗」(「ゲームの破綻」「セッションの崩壊」)と呼ぶ。</p><p>という鏡さんの感想が生まれたのはなぜか、というところが私の最大の疑問点です。</p><p>鈴吹氏が実際にどう思ってるのかは定かではありませんが、少なくとも鈴吹氏のコラムから、</p><p>>鈴吹氏の今回の文章については、私も「政治的な発言」だと判断しております。二種遊ばれるよりは、片方のファンばかりになった方が彼にとって都合が良いでしょうから。</p><p>という「プレイスタイルを抑圧論」を結論づけるのは、誤読の域を通り越しているのではないでしょうか?<br />くりかえしますが、鈴吹氏は「自由なセッションはよくない」とか「予定された展開以外のセッションは失敗だ」とは一言も言っていないのですから。</p><p></p>
鯵
2002年07月18日22時28分
20020719005510
46
れ:どうしてスタイル論になるのか?
<p>ども。</p><p>>鯵さん<br /> とりあえずタイトルに対する返答ですが、その辺の話の方が有意義な話が出来そうで、この掲示板の趣旨にはそぐわないので移転しましょうというただそれだけですね。正直なところ、鈴吹氏が言ってられることが正しいかどうかにはあまり興味が無いので(w。</p><p>>えーと、まあ反論するまでもなく、悪い例というわけではありません。(なぜかについてはすでに説明済みだと思うので述べませんが…)<br />それより「遊び方が悪い」という意見は鈴吹氏の文章でもこの掲示板でも出てないとおもうんですけど。</p><p> とりあえず、こちらとしては</p><p>「失敗例として挙げられたセッションがことごとく設計レベルで破綻している」</p><p>という話は書いたんですけれども、「そんなことはない。あれは『何でもできる』状況を採り入れる唯一のプレイの仕方である」というようなことを実証するような論理的な回答はどこにも見当たらないのですが?(^^;</p><p> とりあえず</p><p>「鯵さんの環境ではセッションの設計の良し悪し云々以前に『何でもできる』状況ではPLは何も出来る人がいない(らしい)」</p><p>という話は書かれてたように思うのですが、それは鏡さんのところの環境ではそうでもないらしいし、僕のところの環境でもそうではないので、反論としては成立してないと思うんですけど。また、そういう人間が多いか少ないかに関しては、実証のしようもないし、水掛け論になるので、今後は触れないことにしたいんですけどね。</p><p>>「自由」に関しての認識のずれについて<br /> とりあえず、アキトさんの話ですけれども、ひょっとすると鏡さんのおっしゃられる「自由」と鯵さんのおっしゃられる「制限」は表現と観点が違うだけで同じものを指しているのではないか?とか、お二方がまったく同じセッションをやってプレイがうまく行ったとして、その同じセッションを鏡さんは自由な部分に注目して「自由だ」と言い、鯵さんは制限の効いた部分に注目して「制限がある」と言うのかもしれないというような行き違いがある気がするんですが(推測)。<br /> 例えば僕はダンジョンシナリオは(ある意味)極めて自由なシナリオスタイルだと思います。鯵さんはダンジョンシナリオこそ「制限」の付いたシナリオだと認識するわけですよね?詳細説明は省きますが、鏡さんとの間でも同様の認識の違いがあるのかも。</p><p> その辺を確認してもらえるとわりと有意義な話が出来るんじゃないかと思うんですけれども。</p><p>>という「プレイスタイルを抑圧論」を結論づけるのは、誤読の域を通り越しているのではないでしょうか?<br />>くりかえしますが、鈴吹氏は「自由なセッションはよくない」とか「予定された展開以外のセッションは失敗だ」とは一言も言っていないのですから。</p><p> まず、業界の人間がそんなことをはっきり言うはずがないので(w、「(表面上)そんなことは言っていない」という反論はあまり意味が無いものと思われます。「~はダメ」「~は悪い」「~は失敗」とかいう言葉は禁句らしいので(w。</p><p> そういうわけで、“仕方がないので(w”「~という風に読み取れたがそれはおかしい」というレベルの話しか出来ません。</p><p> まあ、この辺を議論するとしたら、鏡さんの解釈が鏡さんの主張されたとおりになった根拠となる記述について、鯵さんはどう解釈されるのかを個別に筋道立てて説明していただくのがいいと思います。あるいは、鯵さん自身の鈴吹太郎氏の論の中での「自由」云々に関する話の全体的解釈をこちらの鏡さんの論と対比する形で論理的に筋道立てて書いていただくのもいいかもしれません。</p><p>#なかなかめんどくさそうですが(^^;。</p>
紙魚砂
2002年07月19日00時55分
20020719123928
47
興味がないならしょうがないですね
<p>鯵です。<br />>紙魚砂さん<br />>とりあえずタイトルに対する返答ですが、その辺の話の方が有意義な話が出来そうで、この掲示板の趣旨にはそぐわないので移転しましょうというただそれだけですね。正直なところ、鈴吹氏が言ってられることが正しいかどうかにはあまり興味が無いので(w。</p><p>なるほど、そうなんですか。<br />私は、<br />・この掲示板は鏡さんの雑記に対する感想を書く場所である<br />・鏡さんの雑記が鈴吹氏のコラムに対する感想/意見である以上、鈴吹氏のコラムに対して「正しいと思う/正しくないと思う」「共感できる/共感できない」という所は、誰しも興味を持っている(でなければ書込みの意味が無い)</p><p>という2点を前提で話を進めてまいりましたので、紙魚砂さんと話がかみ合わないのも道理ですね。</p><p>こうなった以上、この掲示板で私の発言は紙魚砂さんにとって無意味、無価値だと思うので、紙魚砂さんの言ってることに個別に反論(もはや反論というレベルではないような気もしますが(^^;)はしませんが、一つだけ。</p><p>>で、セッションがうまく行かなかった例として鈴吹氏の話とか鯵さんの話が出てますが、それは、「GMが悪い」のであって「遊び方が悪いのではない」という結論で良いんでしょうかね?特に反論も出てないですが(w。</p><p>1:鈴吹氏のコラムは「TRPGデザイン論」を述べている文章であり、プレイスタイル(遊び方)論について論じた箇所はどこにもない。(前述済み)<br />2:1を踏まえているので、私(=鯵)もプレイスタイル論について論じてはいない。<br />3:1より、鈴吹氏や私の例は、「なんでもできる」は「なんにもできない」の例であり、プレイスタイルを否定するものではない(前述ずみ)<br />4:3より、<「GMが悪い」のであって「遊び方が悪いのではない」>という結論は、そもそも論旨に合っていない。(また「GMが悪い(=GMは別の対応をすればよい)」という意見は<「なんでもできる」は「なんにもできない」の中に包括されている(前述ずみ。また鈴吹氏のコラムでも触れられている))<br />5:3に関連して、<なんでもできる」は「なんにもできない」>が「PLが行動そのものを放棄している」という状態をさすならば、それは問題である。(PLが自由(=行動)を行使する意志自体を持っていない為)しかし、私の例でも鈴吹氏の例でもそれにはあたらないようである(前述ずみ)</p><p>#余談ですが、38で私が疑問を呈したように紙魚砂さんの例は<「なんでもできる」は「なんにもできない」>好例のようにもおもえるんですけども(^^;)</p><p></p>
鯵
2002年07月19日12時39分
20020720005622
48
焦点はどこにあるか?
<p>ども、いきなり口を出すようですが。</p><p>>1:鈴吹氏のコラムは「TRPGデザイン論」を述べている文章であり、プレイスタイル(遊び方)論について論じた箇所はどこにもない。(前述済み)</p><p>これがそもそも違うように思います。</p><p>「なんでもできる」は「なんにもできない」の例が、「GMが悪い例」であることは了解されていると思いますが、この「GMが~」とは「GMのマスタリングが~」と言い換えることができます。<br />また、「マスタリング」とはPLに対して「遊ばせ方を提示するもの」であり、これは「GMの遊び方」であるとも言えます。<br />つまり、鈴吹氏や鯵氏の例は、良くない「遊ばせ方の提示(PL側)/遊び方(GM側)」を挙げたものと言えるのです。</p><p>これは「プレイスタイル(遊び方)を論じている」とは言わないのでしょうか?</p><p>もう一点。<br />そもそもセッションの失敗例を挙げたとて、必ずしもその失敗原因が「使われたゲームのデザインの良否」にあるなどとは言えないのですが。</p><p>たしかに、「セッションが失敗した(する)のはゲームデザインにGM/PLを失敗に導く要因があるからだ」と主張することは自由です。(笑)<br />しかし、その要因が「PLが自由に行動できる(デザインだ)から」というのなら、それは、その因果関係を証明してからにして欲しいものです。<br />そういうデザインでも失敗に至らないGM/PLもいるのですから、それを無視して一方的に「ゲームデザインの不備だ」などと言うのは間違いでしょう?<br />そういうデザインで、失敗してしまう人達と失敗しない人達には、それぞれに適したゲームデザイン(論)があるはずではないでしょうか。</p><p>もちろん、両方に共通したデザイン(論)もあるでしょう。<br />でも、上記のように互いの差異を考えると、「鈴吹氏のコラム(デザイン論)は一方の人達のことしか考えていないのではなかろうか?」という疑問が拭えません。</p><p>ですから、私は鏡氏のこの考えにこそ共感を覚えます</p><p>>その特化の方向性を確認することで、それらがそういう遊び手に向いているのかを確認し、同時に他の遊び手のための方向性を確認できれば良いと考えている。<br /></p>
’M’
2002年07月20日00時56分
20020721192435
49
デザインは誰の為?
<p>鯵です。<br />>’M’さん<br />また、「マスタリング」とはPLに対して「遊ばせ方を提示するもの」であり、これは「GMの遊び方」であるとも言えます。<br />つまり、鈴吹氏や鯵氏の例は、良くない「遊ばせ方の提示(PL側)/遊び方(GM側)」を挙げたものと言えるのです。<br />これは「プレイスタイル(遊び方)を論じている」とは言わないのでしょうか?(※1)</p><p>言わないと思います(笑)<br />仮に’M’さんの言う通りだとしたら、</p><p>>「なんでもできる」は「なんにもできない」の例が、「GMが悪い例」であることは了解されている(※2)</p><p>と、’M’さん自身が述べておられることからも以下の結論が導き出せます。</p><p>(1)マスタリング=GMの遊び方=プレイスタイルである(※1より)<br />(2)「GM(のマスタリング(=シナリオ設計も含む))が悪いことはあることは了解されている」(※2より)<br />(3)(1)、(2)より鈴吹氏と鯵の例は「プレイスタイルが悪い例である」ということができる</p><p>と、なってしまい、結論はすでに出ていることになりますが。(^^;)<br />#余談ながら、上記から「鈴吹氏や鯵の例のマスタリング=プレイスタイルは、鏡さんや紙魚砂さんのプレイスタイルにあたらない」という結論も導きだせますが、これはこれで鈴吹氏のコラムは鏡さんや紙魚砂さんのプレイスタイルに述べているわけではなく、別のプレイスタイルのことを言ってるのですからこれまた議論の余地はないかと(^^;)</p><p>>しかし、その要因が「PLが自由に行動できる(デザインだ)から」というのなら、それは、その因果関係を証明してからにして欲しいものです。</p><p>因果関係では鈴吹氏のコラムでも証明(?)されていますし、この掲示板でも証明されていると思いますが…。</p><p>>そういうデザインで、失敗してしまう人達と失敗しない人達には、それぞれに適したゲームデザイン(論)があるはずではないでしょうか。</p><p>んー、まあ素朴な感想として<br />「このルールはこう運用されるはずだ」とか<br />「このルールを運用すれば失敗しない」とか<br />「これこれこーゆーテクニックをつかえば失敗しない」<br />という前提の元に作られたゲームがたくさんあったのではないでしょうか?(笑)</p><p>前述しましたが、失敗しない人は失敗しないからいいわけで、失敗する人(≒初心者)を前提にシステムデザインはされるべきではなかろうかと。</p><p>>その特化の方向性を確認することで、それらがそういう遊び手に向いているのかを確認し、同時に他の遊び手のための方向性を確認できれば良いと考えている。</p><p>これには私も同意しないわけではないですが(FEARのゲームはゲームによって求められる遊び方が、かなり違う為。たとえばS=FクラッシクとS=Fアドバンストでは遊び方がかなり違う)、鏡さんが求めている遊び方はすくなくともこの鈴吹氏のコラムで否定されるべきものではないと思うわけです、ハイ。</p><p></p>
鯵
2002年07月21日19時24分
20020721222710
50
問題の整理をしましょうか
<p>#興味ないはずだったんですが、論理展開が矛盾してるので、そこだけ指摘しておきます(w。</p><p> とりあえず鯵さんの論と他の方の論の論じている場所がまったく違うので、その辺の整理をしますね。</p><p>--<br />1)鈴吹氏や鯵氏の例は、良くない「遊ばせ方の提示(PL側)/遊び方(GM側)」を挙げたものと言えるのです</p><p>とりあえずこの件については、</p><p><問題ケース><br />条件1)GMが展開を想定している<br />条件2)先の重要な展開の前に「何でも出来る」という状況を持ってくる</p><p>以上のケースは「悪い遊び方(プレイスタイル)」ということで異論はないですよね?</p><p>--<br />2)TRPGセッションで発生する「何でもできる」状況とは?<br /> 以下の状況が考えられます。</p><p>・マスタリングレベルの話<br /><1>1)の「問題ケース」<br /><2>1)の「問題ケース」の条件1を改訂<br /> →条件1改定案)GMは先の展開を網羅的に想定しておき、PCの行動に合わせて対処する</p><p>※鈴吹氏の話では<2>は無視されてます。(「無視」と「否定」は違うので要注意)</p><p> 上記から、鈴吹氏の話では<2>のケースを無視している時点で網羅的に「何でもできる」状況を取り扱っていないことはあきらかです。が、鯵さんの論で、この件について網羅的に検証することは鈴吹氏の論の主眼ではない、ということは証明されています。</p><p>--<br />3)システムレベルの対処法<br /><1>システム上で展開が限定されるようにしておけば状況は改善される<br /><2>システム上でアドリブ対処法がサポートされていれば状況は改善される</p><p>※鈴吹氏の話では<2>は無視されてます。(「無視」と「否定」は違うので要注意)</p><p> ここが主眼の部分ですが、話の主眼の部分で<2>のケースを無視しており、まったく網羅的でありません。よって情報操作が行われているのはあきらかと結論付けることができます。</p><p>--<br />4)結局鈴吹氏の論で言わんとしたところは?</p><p><問題ケース><br />条件1)GMが展開を想定している<br />条件2)先の重要な展開の前に「何でもできる」という状況を持ってくる</p><p>・上記の問題ケースを揚げた上で、条件1に関してはまったく無批判である。<br />・よって、鈴吹氏の論で想定している「TRPGのセッション」とは「GMが展開を想定しているのが前提のセッション」であると文脈から結論付けることが可能である。</p><p> したがって、鏡氏の読み取った「鈴吹太郎氏が優先するもの」の結論</p><p>1.シナリオには、PCの行動をも含めた「予定された展開」が組み込んである。<br />2.マスターは、「予定された展開」からPC(=プレイヤー)が外れないよう操作(ハンドリング)する。<br />3.「予定された展開」通りに結末がついた状態を「セッションの成功」と呼ぶ。またそうすることができなくなった状態を、「セッションの失敗」(「ゲームの破綻」「セッションの崩壊」)と呼ぶ。</p><p>は、文脈から言って、そう受け取ることも十分可能である。</p><p>--<br />こんなところだと思います。</p>
紙魚砂
2002年07月21日22時27分
20020722010352
51
問題整理ありがとうございます
<p>鯵です</p><p>>紙魚砂さん</p><p>整理してくれてありがとうございます。<br />お手数をおかけしました(^^;)</p><p>おかげで私のほうもわかりやすく説明できます。</p><p>>以上のケースは「悪い遊び方(プレイスタイル)」ということで異論はないですよね?</p><p>えーと、異論があります(^^;)<br />「GMのマスタリングが悪い」というのは異論はないですが、それはプレイスタイルの同義ではないというのは<br />前述の通りです。<br />いみじくも下で紙魚砂さん自身が「マスタリングレベル」と「システムレベル」の「対処法」と<br />おっしゃってるように、鯵や鈴吹氏の例はプレイスタイルとは関係ないということになりますが。<br />(「プレイスタイル」に対処法があるということが変な話ですね)<br />10000歩ゆずって、仮に万が一、鈴吹氏と鯵の例が<br /><「以上のケースは「悪い遊び方(プレイスタイル)」>だとしても、それは<br />紙魚砂さんや鏡さんが好み、推奨しているプレイスタイルとはまったく違うもの<br />なので、ここで論じる必要性はないかと思います。</p><p>>上記から、鈴吹氏の話では<2>のケースを無視している時点で網羅的に「何でもできる」状況を取り扱っていないことはあきらかです。が、鯵さんの論で、この件について網羅的に検証することは鈴吹氏の論の主眼ではない、ということは証明されています</p><p>・・・「網羅的」という言葉の意味を混同してるんじゃないなかなあ、という疑念はさておき。</p><p>1)>シナリオ設定と、プレイヤー=PCの行動決定と、ルール上の処理と、ランダム要素による誤差と、ゲームマスターの判断との間で、そのいずれもが予測できない物語が創造され、それを目の当たりにする楽しみ(鏡さんの書き込みより)</p><p>という鏡さんの文章が象徴するように、そもそもTRPGでPLはもちろん、GMでさえも「網羅的に予測」することは不可能でないのか。(もし網羅的に予測できるのなら「予測できない物語が創造」されることは不可能である</p><p>2)10000歩ゆずって網羅的に予測することが可能だとしても、それは紙魚砂さんのような<br />GMが格別に巧い人「のみ」用いることのできる技術である。大抵の人は(=鈴吹氏や鯵の例のGM)<br />PLから「GMのマスタリング・シナリオ設計が悪い」といわれることになる。<br />これが「ハンドリングが悪い」ということではないのか?そして「それはつまらないゲームだ(鈴吹氏コラムより)</p><p>>ここが主眼の部分ですが、話の主眼の部分で<2>のケースを無視しており、まったく網羅的でありません。よって情報操作が行われているのはあきらかと結論付けることができます。</p><p>・・・・・・コラム上で情報操作もなにもないと思いますが、それはさておき。<br />>システム上でアドリブ対処法がサポートされていれば状況は改善される</p><p>というのはすでに前述の話題だと思いますが・・・18、19、30あたりをご参照ください。<br />・そもそも「自由」と「アドリブ」が混同されていないか?<br />・システム上でサポートされている例として「深淵」をあげているが、「深淵」はすくなくとも<br />「アドリブ」はともかく「自由」をサポートする部分はないのでは?</p><p>という私の疑問はすでに前述ずみですが・・・</p><p>>よって、鈴吹氏の論で想定している「TRPGのセッション」とは「GMが展開を想定しているのが前提のセッション」であると文脈から結論付けることが可能である。</p><p>あの・・・(困惑)<br />例えば、「PLは古城に辿り着いてそこの地下牢からお姫様を助け出し、そのお姫様さまから城の最深部にいるドラゴンの弱点を聞き出す。PL達は城の最深部にいく途中にグレーターデーモンにあうが、未開の森で見つけた「錆びた槍」でグレーターデーモンを倒す。そしてドラゴンと対決し、勝利するが、そこになぜか地下牢であったお姫様が登場。実は先程倒したドラゴンは贋物でありこのお姫様こそ真のドラゴンだったのだ!だがPL達は地下牢でお姫様の額に奇妙な紋章があることに気づいている。そして真の姿になったドラゴンの額にも紋章がある。PL達はドラゴンの唯一の弱点である額の紋章を攻撃し、勝利。財宝を持って街へと帰還する」・・・というぐらい展開を予想していれば「GMが展開を想定しているのが前提のセッション」と言ってもいいでしょうが、「PCが古城の森にいく」というのを</p><p>>「GMが展開を想定しているのが前提のセッション」であると文脈から結論付けることが可能である。</p><p>というのはいくらなんでも無理があるのではないでしょうか?</p><p>したがって</p><p>>1.シナリオには、PCの行動をも含めた「予定された展開」が組み込んである。<br />2.マスターは、「予定された展開」からPC(=プレイヤー)が外れないよう操作(ハンドリング)する。<br />3.「予定された展開」通りに結末がついた状態を「セッションの成功」と呼ぶ。またそうすることができなくなった状態を、「セッションの失敗」(「ゲームの破綻」「セッションの崩壊」)と呼ぶ。</p><p>・・・・・・は、文脈から言って、そう受け取ることは「いくらなんでもムリがあるんじゃないんだろーか」</p><p>こんなところだと思います。(^^;)</p>
鯵
2002年07月22日01時03分
20020722030518
52
れ:問題整理ありがとうございます
<p>ども~。</p><p>>鯵さん<br /> お願いですが「前述の通りです」と書かれるときには必ず「参照先」を書いてもらえるとありがたいのですが。でないと何が「前述」なのかさっぱりわかりません(w。</p><p>--<br />>「GMのマスタリングが悪い」というのは異論はないですが、それはプレイ>スタイルの同義ではないというのは<br />>前述の通りです。</p><p>下記をご覧ください。</p><p>>鯵さんwrote(49デザインは誰のため?)<br />>(1)マスタリング=GMの遊び方=プレイスタイルである(※1より)<br />>(2)「GM(のマスタリング(=シナリオ設計も含む))が悪いことはあることは了解されている」(※2より)<br />>(3)(1)、(2)より鈴吹氏と鯵の例は「プレイスタイルが悪い例である」ということができる</p><p>'M'氏の記述から「マスタリング=プレイスタイル」であると読解されたのは鯵さん自身です。それを撤回されるのであれば「(プレイスタイル)」の記述は削除してください。</p><p>--<br />>という鏡さんの文章が象徴するように、そもそもTRPGでPLはもちろん、GMでさえも「網羅的に予測」することは不可能でないのか。(もし網羅的に予測できるのなら「予測できない物語が創造」されることは不可能である</p><p>ええ、「網羅的」の意味を二重に使っているのが問題ですね(^^;。言いたいのはこういうことです。</p><p>2)TRPGセッションで発生する「何でもできる」状況とは?(改訂)<br /><ケースA><br />条件1)GMが展開を想定している<br />条件2)先の重要な展開の前に「何でも出来る」という状況を持ってくる</p><p><ケースB><br />条件1)GMは先の展開を網羅的に想定しておき、PCの行動に合わせて対処する<br />条件2)先の重要な展開の前に「何でも出来る」という状況を持ってくる</p><p>単純に考えてA,Bの2ケースが論理的にありえるはずである。が、鈴吹氏の論ではBのケースは無視されている。</p><p>--<br />>1)>シナリオ設定と、プレイヤー=PCの行動決定と、ルール上の処理と、ランダム要素による誤差と、ゲームマスターの判断との間で、そのいずれもが予測できない物語が創造され、それを目の当たりにする楽しみ(鏡さんの書き込みより)</p><p>>という鏡さんの文章が象徴するように、そもそもTRPGでPLはもちろん、GMでさえも「網羅的に予測」することは不可能でないのか。(もし網羅的に予測できるのなら「予測できない物語が創造」されることは不可能である</p><p>この辺は詭弁ですね(w。意味なしかと。(いちおう次の論と合わせて「網羅的」の意味をつめていく必要はあると思います。)</p><p>--<br />>2)10000歩ゆずって網羅的に予測することが可能だとしても、それは紙魚砂さんのような<br />>GMが格別に巧い人「のみ」用いることのできる技術である。大抵の人は(=鈴吹氏や鯵の例のGM)<br />>PLから「GMのマスタリング・シナリオ設計が悪い」といわれることになる。<br />>これが「ハンドリングが悪い」ということではないのか?そして「それはつまらないゲームだ(鈴吹氏コラムより)</p><p> これについては議論する場所が移ってから議論しましょう(長くなりますし)。技量のあるGMにしか出来ないについては同感です。はるかずっと前に</p><p>・GMにアドリブ能力が要求されるので誰にでも出来るわけではない</p><p>という趣旨のことを書きました。</p><p> ここから先は認識が異なるところですが、シナリオ的サポート・シナリオ的サポート・経験・テクニックによって、ほとんど、どんなGMでもこの問題をクリアすることが可能であると僕は考えます。別にそんなことを知らなくても、自力でそういう不確定な状況でもアドリブで対処できるという人はいるようですし。</p><p>--<br />>・そもそも「自由」と「アドリブ」が混同されていないか?<br />>・システム上でサポートされている例として「深淵」をあげているが、「深淵」はすくなくとも<br />>「アドリブ」はともかく「自由」をサポートする部分はないのでは?</p><p>この辺もまた別枠で議論すべきと思いますが、</p><p>自由な展開でも話を盛り上げたい<br />→アドリブサポートがあれば盛り上げることが出来る</p><p>という連鎖があるので、</p><p>・アドリブサポートされている→自由なスタイルもサポートされる</p><p>という話の展開があります。</p><p> まあ、本当に「自由」であることを主張するならFローズ辺りのシステムが適当と思われるのですが。深淵の「自由」というのは、「常に展開が一つに縛られてはいない」と言う意味での自由ですね。(詭弁くさいけど(笑))</p><p>--<br />>「PCが古城の森にいく」というのを<br />>>「GMが展開を想定しているのが前提のセッション」であると文脈から結論付けることが可能である。<br />>というのはいくらなんでも無理があるのではないでしょうか?</p><p> とりあえず「GMが展開を想定しているのが前提のセッション」というのは</p><p>・「PCが古城にいく」</p><p>のことであって</p><p>・「PCが古城の森にいく」</p><p>のことではありません。まぎらわしいですが(笑。</p><p> で、「PCが古城にいく」については、シンプルかつ典型的な「GMが展開を想定しているのが前提のセッション」だと思われます。「PCが古城にいく」ということを事前に決めておくわけでしょ?「PCが古城にいかない可能性もある」ということは誰でも考え得ると思うのですが、その可能性を排除しているわけですから。</p>
紙魚砂
2002年07月22日03時05分
20020722122726
53
認識が違いすぎるんでしょうか?
<p>鯵です。</p><p>>紙魚砂さん<br />>お願いですが「前述の通りです」と書かれるときには必ず「参照先」を書いてもらえるとありがたいのですが。でないと何が「前述」なのかさっぱりわかりません(w。</p><p>すいません、わかりにくかったですね。<br />以後気を付けることにします。</p><p>>'M'氏の記述から「マスタリング=プレイスタイル」であると読解されたのは鯵さん自身です。</p><p>えーと・・・・・・(^^;)</p><p>>鯵49<br />>つまり、鈴吹氏や鯵氏の例は、良くない「遊ばせ方の提示(PL側)/遊び方(GM側)」を挙げたものと言えるのです。<br />>これは「プレイスタイル(遊び方)を論じている」とは言わないのでしょうか?(※1)</p><p>>言わないと思います(笑)</p><p>で「マスタリング=プレイスタイル」をきっぱり否定しているんですけど。(^^;)<br />その後の文章は「仮に(’M’さんの主張が正しかったとしたら)」と’M’さんの主張が正しいとしたら<br />こういう結論になりりますよ、と述べているんですが。</p><p>しかし、この部分は私の述べ方がまずかった部分もあるかもしれないので些細な事(かもしれない)ですが、<br />問題は次の部分かと。</p><p>>それを撤回されるのであれば「(プレイスタイル)」の記述は削除してください。</p><p>「(プレイスタイル)」の記述を削除すると以下の紙魚砂さんの記述はすべて意味を<br />なさなくなるんですが・・・・・・</p><p>>この辺は詭弁ですね(w。意味なしかと。</p><p>この「詭弁」って</p><p>1)間違っていることを、正しいと思わせるようにしむけた議論。道理にあわない弁論。「―を弄(ろう)する」<br />(2)〔論〕〔sophism; sophistry〕人をあざむくため故意に行われる、虚偽の推論。→虚偽 </p><p>の意味だと思いますが、「詭弁」と断定するからには「詭弁」であることをきっちり証明して欲しいですね。</p><p>>(いちおう次の論と合わせて「網羅的」の意味をつめていく必要はあると思います。)</p><p>という後述の文章からでは<br />詭弁であるという証明にはなんにもならないですが(笑)</p><p>>・GMにアドリブ能力が要求されるので誰にでも出来るわけではない<br />という趣旨のことを書きました。(※1)</p><p>これには同意します。しかし、その後の文章の</p><p>>ここから先は認識が異なるところですが、シナリオ的サポート・シナリオ的サポート・経験・テクニックによって、ほとんど、どんなGMでもこの問題をクリアすることが可能であると僕は考えます。別にそんなことを知らなくても、自力でそういう不確定な状況でもアドリブで対処できるという人はいるようですし。(※2)</p><p>とは明らかに矛盾するんですケド。</p><p>※1:誰にでもできるわけではない<br />※2:どんなGMでもこの問題をクリアすることが可能である</p><p>「誰にもでできるわけではない」と(シナリオ的サポート・シナリオ的サポート・経験・テクニックによって)「ほとんど、どんなGMにでもこの問題をクリアすることが可能である」という2つの事象は明らかに矛盾してますが。<br />(こういうのが紙魚砂さんのいう「詭弁」なんでしょうか(^^;))</p><p>>自由な展開でも話を盛り上げたい<br />→アドリブサポートがあれば盛り上げることが出来る<br />という連鎖があるので、<br />・アドリブサポートされている→自由なスタイルもサポートされる<br />という話の展開があります。</p><p>もはや「盛り上げる」というのが意味不明なんですが(笑)<br />意訳すると「網羅的な展開を予測していなくてもアドリブがサポートされていれば自由な展開でも面白いゲームになる」ぐらいの意味ですかね?<br />(アドリブサポートが必要な時点で「網羅的に展開を予測する」ことの困難が証明されていると思いますが)</p><p>>まあ、本当に「自由」であることを主張するならFローズ辺りのシステムが適当と思われる</p><p>Fローズのどのシステムの部分が「自由(に適している。システム的なサポートがある)」であるのか別掲示板でもかまわないのでご教授願いただければ嬉しく思います。</p><p>>深淵の「自由」というのは、「常に展開が一つに縛られてはいない」と言う意味での自由ですね。(詭弁くさいけど(笑))</p><p>30で述べている通り、深淵はここで述べられている「なんでもできる(PLの)自由」をサポートされていないのでは?という私の主張を(しつこいようですが)繰り返し述べさせていただきます。<br /><深淵の「自由」というのは、「常に展開が一つに縛られてはいない」と言う意味での自由>は「なんでもできる」状況とは直接関係ありません。(ちなみにこーゆーのは詭弁とはいわず、誤謬といいます(笑))</p><p>>で、「PCが古城にいく」については、シンプルかつ典型的な「GMが展開を想定しているのが前提のセッション」だと思われます。「PCが古城にいく」ということを事前に決めておくわけでしょ?</p><p>えーと・・・・・・認識の違いなのかな(^^;)<br />紙魚砂さんの例だと99%のTRPGセッションは<br />「GMが展開を想定しているのが前提のセッション」になるとおもうんですが、違います?<br />私は「GMが展開を想定しているのが前提のセッション」というは「PLの選択によって展開・結末が変化することがない」ぐらいに思ってるんですケド。</p><p></p>
鯵
2002年07月22日12時27分
20020722173150
54
認識が違いすぎます(w(れ:認識が違いすぎるんでしょうか?)
<p>ども。</p><p> ええ、まず52の書き込みに関して、多数の誤謬がありましたことをお詫びします。m(_^_)m。「詭弁」は少々言いすぎでした。今後は気をつけることにします。</p><p> さて、またレスをたくさん書きますと推敲時間の少なさから誤謬が多発し議論が混迷する可能性が高いと思われますので、論点を絞らせてもらいたいと思います。</p><p> まず、この議論で共通認識を得るための第1歩と思われるいちばん基本的な内容だと思うんですけれども、</p><p>>鯵さんwrote<br />>>で、「PCが古城にいく」については、シンプルかつ典型的な「GMが展開を想定しているのが前提のセッション」だと思われます。「PCが古城にいく」ということを事前に決めておくわけでしょ?<br />>えーと・・・・・・認識の違いなのかな(^^;)<br />>紙魚砂さんの例だと99%のTRPGセッションは<br />>「GMが展開を想定しているのが前提のセッション」になるとおもうんですが、違います?<br />>私は「GMが展開を想定しているのが前提のセッション」というは「PLの選択によって展開・結末が変化することがない」ぐらいに思ってるんですケド。</p><p>ということで、鯵さんの論から行きますと、鈴吹氏の論の中では</p><p>・「PLの選択によって展開・結末が変化する」というタイプのセッション・シナリオは、まったく想定されていない</p><p>…という結論でよろしいでしょうか?</p><p>#これまで延々いろいろ書いてきたのは、ただそれが言いたかっただけなんですが(w。</p>
紙魚砂
2002年07月22日17時31分
20020722190659
55
そこの認識がずれてましたね
<p>鯵です。</p><p>>紙魚砂さん<br />>ということで、鯵さんの論から行きますと、鈴吹氏の論の中では</p><p>・「PLの選択によって展開・結末が変化する」というタイプのセッション・シナリオは、まったく想定されていない</p><p>…という結論でよろしいでしょうか?</p><p>違います(^^;)</p><p>>鯵30<br />>鈴吹氏の論旨は「PCに自由な行動/行動決定をさせつつ、なおかつゲームそのものが破綻しないようにしつつ、そのPCの行動を容認するためには、PCの行動が自然と限定されるのがよい」ではないでしょうか。</p><p>というわけで私の意見は前述ずみです。<br /></p>
鯵
2002年07月22日19時06分
20020722214530
56
話題掲示板27を開設しました
<p>話題27として「自由」なシナリオやプレイについて考えるための掲示板を開設しました。当雑記と関わらずに意見交換をするための場としてご利用ください。</p><p>→話題27「<a href="http://www.rpgjapan.com/talk/topic.cgi?27" target="_top">「自由」なプレイを考える</a>」</p><p># ちと話題が大雑把ですが、その分幅広い発想/意見を受け入れる、ということで(^^;)。</p><p>もちろん当雑記へのご意見ご感想はこちらで継続していただいて結構です。</p><p># 鯵さんへの回答は次の書込にて(_ _)。</p>
鏡
2002年07月22日21時45分
20020723000939
57
鯵さんへの回答:鈴吹氏の文章は私の遊び方を阻害する、他
<p>>鯵さん<br />永らくお待たせしましたが、鯵さんの疑問への回答を申し上げます。既に他の方から同様の意見が出されているものもありますが、若干私とは考えが違うような例もありますので、改めて書き込みます。</p><p>><i>鈴吹氏の文章で鏡さんのプレイスタイルを否定する箇所はどこにも存在しないと思います</i> (書込37)<br />><i>私は(そしてたぶん鏡さんも)(中略)鈴吹氏のコラム上での「自由/限定」の意味するところを話しています。</i> (書込45)</p><p>両方とも違います。鈴吹氏が肯定的に言うところの「自由」が「<b>GMによって管理された範囲での自由</b>」であり「<b>自由に感じる選択肢</b>」であるのに対し、私の言うそれは「<b>GMから独立した自由</b>」であり「<b>各プレイヤーによって自己管理される自由</b>」のことです。そして前者の考え方が普及した場合、後者の推進が阻害される恐れがあります。鈴吹氏の「自由」を「正しい」と捉えた者が私の考え方を「間違っている」と判断し、私の遊び方が否定される可能性を心配しております。</p><p># 余談ですが、私とてこのスタイルしか遊んだことがないわけではありませんよ(^^;)。</p><p>><i>1.シナリオには、PCの行動をも含めた「予定された展開」が組み込んである。(中略)は、文脈から言って、そう受け取ることは「いくらなんでもムリがあるんじゃないんだろーか」</i> (書込51)<br />><i>鈴吹氏の論旨は「PCに自由な行動/行動決定をさせつつ、なおかつゲームそのものが破綻しないようにしつつ、そのPCの行動を容認するためには、PCの行動が自然と限定されるのがよい」ではないでしょうか。</i> (書込30)</p><p>鈴吹氏は、「未開の森を探検したPCが古城に着かなかった」ことを「どこにも行けなかった」と評価しております。このことから、「予定された展開」(古城に着く)通りにならなかったことを「ゲームの破綻」としていると判断しました。後者(書込30)の文を「PCに自由に森を探検させつつ、なおかつ古城に着けるようにしつつ…」と読み替えると、やはりその理論に辿り着いてしまうのです。</p><p>>><i>「財宝の噂を尋ねる」ことは、「財宝探しの面白さをこのシナリオに期待しますよ」と伝えることになるのです。</i><br />><i>ここの部分は文意が不明なのですが、どういう意味でしょうか?</i> (書込37)</p><p>「財宝の噂」を尋ねたPCに「財宝の噂」を与えれば、よもや「いや、財宝探しなどしたくない」とは言いますまい。もちろん「財宝の噂」があるか否かを決めるのはゲームマスターの「自由」です。「PCが財宝の噂を尋ねる」ことが「予定された展開」で無ければ、ですが。</p><p>ところで鈴吹氏の文章ではマスタリングとデザインの話の両方が混ざっています。過去の体験として挙がった例は「GMとして期待する展開と相性の悪いシナリオ構造を用いた」というマスタリング上の失敗(少なくとも、使用したゲームのデザインに起因する旨の記述は無い)であり、それをゲームデザインによって回避しようとしているのです。しかしその失敗がシナリオやマスタリングで解決可能と考える者ならば、デザイン以外の話をすることも妥当でしょう。</p><p>答え損ねている点などありましたらご指摘願います(_ _)。</p>
鏡
2002年07月23日00時09分
20020723155332
58
阻害の原因を教えてください
<p>鯵です。<br />>鏡さん<br />ご回答ありがとうございます。</p><p>鯵としましては<br />57の鏡さんのご意見には<br />いろんな疑問・反論があるのですが、<br />(特に「財宝の情報云々についてはますます???なのですが(^^;))認識の差違を埋める為にも<br />まず以下の事柄に疑問を集約したいと思います。</p><p>※整理:鏡さんの意見(の一部)<br />(1)鈴吹氏は「自由」は「GMによって管理された範囲での自由」と考えている<br />(2)鏡さんの自由は「GMから独立した自由(=各プレイヤーによって自己管理される自由)」と考えている<br />(3)鈴吹氏の(1)の考え方が普及した場合、(2)の鏡さんの考え方の推進が阻害される恐れがある。<br />(4)鈴吹氏の(1)の考え方を「正しい」と捉えた者が鏡さんの(2)の考え方を「間違っている」と判断し、鏡さんの「遊び方」が否定される可能性を鏡さんは心配している。<br />(鏡さんの57の書込みより)</p><p>●鯵の疑問点</p><p>1)鏡さんの「GMから独立した自由」とはどんな事象をさすのか?同様に鈴吹氏が述べた(と鏡さんが認識している)ところの「GMによって管理された範囲での自由」というのはどんな事象をさすのか?<br />また(1)の鈴吹氏の考え方は鈴吹氏のコラムのどの部分から読み取れるのか?</p><p>2)「GMから独立した自由」と「GMによって管理された範囲での自由」は片方の認識が普及した場合、もう片方の意見の推進が阻害されるほど、両立を許さない対概念な事象なのか?</p><p>3)2)により鏡さんの(2)の推進が阻害されるとなぜ鏡さんの「遊び方」が否定されることになるのか?</p><p>1)について多少補足いたします。<br />鏡さんの「自由」についての考え方は鏡さんのコラムの【●私の考える「自由」と「限定」】の箇所や他の書込みでも述べられていますが、あまりに抽象的なように思います。<br />実際に起こった事象でも概念的な事象でも構わないのですが、</p><p>・「GMから独立した自由」とはPL/PCのどういった行動/発言、もしくは状態を指すのか?同様に「GMによって管理された範囲での自由」とはPL/PCのどういった行動/発言、もしくは状態を指すのか?</p><p>という点についてご回答いただきたく思います。</p><p>以上の3点にご回答頂ければ嬉しく思います。</p><p></p>
鯵
2002年07月23日15時53分
20020723183349
59
テクニックのルール化
<p>初めまして、夏ミル金といいますよろしくお願いします。</p><p>>ところで鈴吹氏の文章ではマスタリングとデザインの話の両方が混ざっています。過去の体験として挙がった例は「GMとして期待する展<br />>開と相性の悪いシナリオ構造を用いた」というマスタリング上の失敗(少なくとも、使用したゲームのデザインに起因する旨の記述は無い)<br />>であり、それをゲームデザインによって回避しようとしているのです。しかしその失敗がシナリオやマスタリングで解決可能と考える者なら<br />>ば、デザイン以外の話をすることも妥当でしょう。</p><p>私が思うに、シナリオやマスタリングの失敗を減らすのにルールを使おうというのが鈴吹氏の考えなのではないでしょうか。<br />システムやマスタリングの失敗の「全て」をこのレベルで解決できるようにはいささか時間がかかります。<br />解決のテクニックを身につける前にマスターは難しいものだと考えて以後マスターを断念する人も多いのではないでしょうか。<br />となると、マスターが必須というTRPGの性質上TRPGユーザーは少ないままになってしまう。<br />そこでよりテクニックを使いやすくするためにテクニックをルール化して明確にしようといういとがあるのではないでしょうか。<br />鈴吹氏の「ゲームデザインのためのタクティクス」でマスタリング、シナリオレベルの話がしばしば出ることから私はこう考えています。</p><p>もちろんテクニックをルール化することにより運用の範囲が狭まるという欠点はあるでしょう。<br />しかしながらこれはテクニックをいまだ身につけていないものにとってはそれが明確化されているのでけっこう使いやすいものです。</p><p>この方法は最良とはいえませんが、よりよい方向に近づける方法の一つ灘と考えます。<br /></p>
夏ミル金
2002年07月23日18時33分
20020724020455
60
「目的」と「手段」の区分け、及び鈴吹氏の論の「公正さ」の検証
<p>ども。</p><p>>鯵さんwrote(「53認識が違いすぎるんでしょうか?」より)<br />>もはや「盛り上げる」というのが意味不明なんですが(笑)</p><p> とりあえず私から見ると「最も重要なこと」だと考えるのですが、鯵さんにはご理解いただけなかったようなので(爆)、以下解説しようと思います。ついでに鈴吹氏のコラムが批評文として「公正」であるかどうかについても検証してみます。</p><p> さて、とりあえず鈴吹氏の論を再度読み直してみたのですが、その論の結論「自由に限定する」の話については賛成ですが、途中の展開がおかしいと思います(特に「どこに行ってもいいよ」の辺り)。<br /> コラムから引用しますと、</p><p>・“シナリオが始まらない”自由は本当に楽しいと言えるのであろうか?(鈴吹氏wrote)</p><p>と鈴吹氏は主張しています。要するに</p><p>・“(GMが決めた)シナリオ”が始まる+(制限された)自由=楽しい</p><p>と言いたいわけです。ところが、ここで勘違いされているのは</p><p>・楽しむ(=盛り上がる)=TRPGを遊ぶ「目的」<br />・(GMが決めた)“シナリオ”を始める+(制限された)自由=楽しいセッションを実現するための「手段」の一つ</p><p>です。この「手段」と「目的」を混同している点がおかしい。</p><p> はっきり言って、「目的(楽しむ)」さえ実現できるのであれば「手段」は何でも良いわけです。鈴吹氏の提唱する「手段」は、「目的」を達成するためのたった一つの方法に過ぎない。</p><p> ですから、もし鈴吹氏の論が「公正」な論であるならば、問題ケースを出し、その対処法として一つの「手段」を提案する時には、「その他の手段」についても検証すべきです。批評文として最低限のマナーと言っていいでしょう。不公正だと叩かれがちな長時間CM(?)ですら、よく商品宣伝に他社製品との比較を出して表面上「公正さ」をアピールしています。<br /> 鈴吹氏の論では、それすらやっていません。</p><p> 要するに</p><p>・鈴吹氏の論は批評文として最低限検討するべき事項を検討してない、まったく「不公正」なコラムである</p><p>と言うことができるわけです。</p><p>--<br /> で、ここで10000歩譲るとしましょう。</p><p> ひょっとすると、</p><p>・「問題ケース」で「目的」を達成する対処法は鈴吹氏の提唱するたった一つの対処法しかないので、それしか書かなかったのかもしない。</p><p>まずこれについて検証しましょう。</p><p>問題)「なんでもできる」状況でGMの思ったとおりの展開にならず「楽しめなかった」場合どうすれば良いのか?</p><p> ここで、ごく普通に考えるならば、まず最初に</p><p>「思ったとおりの展開にならなくても何とか楽しめる方法を考えればよい」</p><p>という対策案が浮かぶと思います。“前提条件を変えない”ごく常識的な対処法と言っていいでしょう。</p><p> さて、これについて鈴吹氏の論で何か書かれていますでしょうか?</p><p> どこにも書かれていません。信じられないことに、鈴吹氏の論では、多くの人が即座に思いつくであろう、このごく初歩的な対処法については何も書いてありません。その代わりに、いきなり前提を覆す極めて革新的な</p><p>「自由を限定する」</p><p>という対処法についてだけが書いてあります。</p><p> これはおかしくないでしょうか?</p><p> 「自由を限定する」という突飛な対処法を思い付いたのに、「思ったとおりの展開にならなくても何とか楽しめる方法を考えればよい」というごく常識的な対処法を思い付かないということがありえるでしょうか?ゲームデザイナーとして長くやってられるほどの方が。私は、常識的に言ってありえないと思います。かなりの高い確率で思いついたはずだ。そう思います。</p><p> ということはつまり「思い付いたが書かなかった可能性が高い」ということになります。</p><p> これは何を意味するんでしょう?私はこう邪推します(w。</p><p>・鈴吹氏はあのコラムにおいて「公正な」コラムを書くことをやめ、「不公正な」、自分のプレイスタイルと自社製品をアピールするため“だけ”の宣伝文書を書くことを選んだ可能性が高い</p><p>--<br /> さらに、ここで10000歩譲るとしましょう。</p><p> 「文字数の制限で書く余裕がなかったのだ。(w」</p><p> そうかもしれません(1ページしかありませんし(w))。残念なことですが、それでも例のコラムが「不公正な」宣伝文書であるという結論には変わりがありません。</p><p>--<br /> またさらに、ここで10000歩譲るとしましょう。</p><p> 「サプリメントの宣伝で頭がいっぱいで公正な論証ができなかったのだ」</p><p> そうかもしれません(忙しそうですし(w))。残念なことですが、それでも例のコラムが「不公正な」宣伝文書であるという結論には変わりがありません。</p>
紙魚砂
2002年07月24日02時04分
20020724035541
61
re: 49 デザインは誰の為?
<p>#追いつくのがやっとですが、ひとまずレスを。</p><p>>>これは「プレイスタイル(遊び方)を論じている」とは言わないのでしょうか?(※1)<br />>言わないと思います(笑)<br />>仮に’M’さんの言う通りだとしたら、<br />>>「なんでもできる」は「なんにもできない」の例が、「GMが悪い例」であることは了解されている(※2)<br />>と、’M’さん自身が述べておられることからも以下の結論が導き出せます。<br />(中略)<br />>と、なってしまい、結論はすでに出ていることになりますが。(^^;)</p><p>私が「了解されている」としたのは、下記の2点ともに否定される論証がなされていないからです。</p><p>No.8:紙魚砂さん<br />>ということで結局「例が悪い」という結論になると思うんですけど(w。<br />No.35:鏡さん<br />>鯵さんの例で楽しめなかったのは、マスター側に問題があります。</p><p>ですので、この場合、「結論はすでに出ている」と考えて良いと思いますが。</p><p>誤解しないで欲しいのは、この“結論”とは、「鈴吹氏のデザイン論」についてのものではなく、「例が不適切」「GMが悪い例である」ことについてのものである、という点です。</p><p>なお、これにより下記の「否定」はありえないことになるのですが・・・。</p><p>No.53:鯵さん<br />>で「マスタリング=プレイスタイル」をきっぱり否定しているんですけど。(^^;)</p><p>--</p><p>>因果関係では鈴吹氏のコラムでも証明(?)されていますし、この掲示板でも証明されていると思いますが…。</p><p>要因が「デザインに“も”起因する」ことは証明されているかもしれませんが、氏のコラムでは「デザインに“のみ”起因する」ように誘導されていると思います。<br />ですので、「デザインに“のみ”起因する」ことが証明されるのを期待しているのですけど。</p><p>--</p><p>>前述しましたが、失敗しない人は失敗しないからいいわけで、失敗する人(≒初心者)を前提にシステムデザインはされるべきではなかろうかと。</p><p>初心者向けのデザイン論ならばそれでも良いのですが、元々そういう前提で書かれていないのでは?</p><p>あと、できれば自説(デザイン論/べき論)は別の場所で展開していただくとよろしいのではないかと。</p><p></p>
’M’
2002年07月24日03時55分
20020724153201
62
re:「目的」と「手段」の区分け、及び~
<p>鯵です。</p><p>>紙魚砂さん<br />>とりあえず私から見ると「最も重要なこと」だと考えるのです</p><p>そのご意見には異論はありません。</p><p>>ですから、もし鈴吹氏の論が「公正」な論であるならば、問題ケースを出し、その対処法として一つの「手段」を提案する時には、「その他の手段」についても検証すべきです。批評文として最低限のマナーと言っていいでしょう。</p><p>…たとえばですね、「TRPG関連の書籍は高い」という事象があって、その対処方法として「書籍形態をすべて電子化すべきだ」という「手段」を提案したとします。<br />その時に「その対処方法を論じた文章は「その他の手段」について検証していない。最低限のマナーも守っていない」という反論がでた場合、その意見を受け入れられますか?<br />私は受け入れません。<br />なぜならば「その他の手段について検討すること」は「対処方法を論じた文章」を読んだ読み手や実際に行動を行うものがやればいいわけで、「ある対処方法を論じた文章」そのものへの批判にはならないからです。(「自分の手段以外はまったく認めない!」というならその他の手段についての証明は必要でしょうが…。)<br />もちろん、検討しないよりはしたほうがいいでしょうが、ある事象を検討する場合、TPOにあわせて必ず「時間」とか「文章量」という制限がかかりますので。(逆説的にすべての「その他の手段」の検討を雑誌媒体で行うことは不可能です)<br />#というか「問題ケースを出し、その対処法として一つの「手段」を提案する時には、「その他の手段」についても検証すべきで、それは最低限のマナーだ」というのは、生まれて初めて聞いたマナーなんですケド(^^;))</p><p>>問題)「なんでもできる」状況でGMの思ったとおりの展開にならず「楽しめなかった」場合どうすれば良いのか?</p><p>この問題定義自体、鈴吹氏のコラムでの問題と同意ではないんじゃ…?という疑念もあるんですか、<br />まあ、10000歩ゆずって(笑)同意としたとしても、「思ったとおりの展開にならなくても何とか楽しめる方法を考えればよい」という対処方法が鈴吹氏のコラムで検討される可能性はゼロだと思います。<br />なぜなら、「思ったとおりの展開にならなくても何とか楽しめる方法を考えればよい」というのは、対処方法でもなんでもないからです。<br />「何とか楽しめる方法を考えればよい」といわれて「そうか、何とか楽しめる方法を考えればいんだ!」と思って「何とか楽しめる方法」を考え付ける人は速やかにその才能をTRPGのみならず全人類の為に役立ててもらいたいと思います。(笑)<br />鈴吹氏の論の反証があるなら、その「楽しめる方法」を考え付ける「システム・設定・テクニック」を挙げて初めて反証になります。<br />#「何とか楽しめる方法を考えればよい」で考えつけなかった結果が</p><p>だから私は18で</p><p>>なんでもできる」状況を設定した上で、面白いセッションを成功させるシステム・設定・テクニックとは<br />なんでしょうか?</p><p>と聞いています。<br />(Fローズのどの部分が上記に該当するのかご回答お待ちしてます)</p><p>よって<br />>鈴吹氏はあのコラムにおいて「公正な」コラムを書くことをやめ、「不公正な」、自分のプレイスタイルと自社製品をアピールするため“だけ”の宣伝文書を書くことを選んだ可能性が高い</p><p>という結論は</p><p>じゃすい 【邪推】 <br /> (名)スル<br />ひがみから、悪い方に推測すること。「二人の仲を変に―された </p><p>とはいいませんが<br />「いくらなんでも無理があるんじゃないだろーか」</p><p>と思います。</p><p></p>
鯵
2002年07月24日15時32分
20020724230320
63
回答:阻害の原因
<p>>鯵さん<br />書込58の(1)~(4)のまとめについて概ね結構ですが、(1)について補足します。</p><p>><i>(1)鈴吹氏は「自由」は「GMによって管理された範囲での自由」と考えている</i><br />><i>鈴吹氏が肯定的に言うところの「自由」が「GMによって管理された範囲での自由」であり「自由に感じる選択肢」であるのに対し、</i>(鏡の書込57)</p><p>(1)で語られているものは「鈴吹氏が肯定的に言うところの『自由』」です。他に「鈴吹氏が否定的に言うところの『自由』」がありまして、私はそれを「GMによる管理に収まらない自由」であろうと判断しております。</p><p>><i>1)鏡さんの「GMから独立した自由」とはどんな事象をさすのか?</i><br />><i>「GMから独立した自由」とはPL/PCのどういった行動/発言、もしくは状態を指すのか?</i></p><p>マスターが用意した場所や人物、事件などを尊重/利用すれども、プレイヤーはPCの行動をそれらに限られずに決定できる状態。また妥当性があればプレイヤーから新たなそれを提案することもできましょう。</p><p>「森の古城」の例で言うと、古城の存在や位置を知っていたとしても、古城に行くか否か、何のために行くのか、またどのようになったら帰るかなどを、プレイヤーが自分で決めて良い状態です。鯵さんの「小さな村」の例で言うと、面白そうな噂が無いのなら、もっと大きな町に行ってよい状態です。</p><p>私の過去の経験では、「敵に寝返ったばかりか、戦いを挑んできやがったPC」「一歩も入ることなく燃やされてしまったアンデッドの館」などがありました。マスターや他のプレイヤーの想定を越えていましたが、卓上RPGである以上それはありえることとして受け入れられました。</p><p>><i>鈴吹氏が述べた(と鏡さんが認識している)ところの「GMによって管理された範囲での自由」というのはどんな事象をさすのか?</i><br />><i>「GMによって管理された範囲での自由」とはPL/PCのどういった行動/発言、もしくは状態を指すのか?</i></p><p>マスターの都合(=予定された展開)を外れない範囲でのみ、プレイヤーはPCの行動を決定することが許される状態です。</p><p>「森の古城」の例で言うと、マスターが「PCは古城に着くべし」と決めたなら、古城に着く限りにおいて森の探検が許される状態です。鯵さんの「小さな村」の例で言うと、マスターが「このダンジョンに行くべし」と決めたなら、その情報を得るまでそこで行動し続け/待ち続けなければならない状態です。</p><p>><i>(1)の鈴吹氏の考え方は鈴吹氏のコラムのどの部分から読み取れるのか?</i><br />三つ挙げます。<ul><li><i>真っ白なマップではなく、必要な情報をリストアップすることで、PCは自主的に「そこに行く」という選択ができるようになるのだ。</i> (3段目)</li><li><i>自由に感じるRPGはよいRPGだ。したがって、うまいデザインとは、プレイヤーの自由を殺さずに、自主的にPCの行動を制限させるということなのである。</i> (3段目)</li><li><i>自由に感じるが、自然に選択肢が限られるゲーム」これが「良いゲーム」だ。</i> (3~4段目)</li></ul>マスターがリストアップした情報、制限された行動、限られた選択肢の中で「自由に感じる」ことを鈴吹氏は良いものと判断していると読み取りました。</p><p>><i>2)「GMから独立した自由」と「GMによって管理された範囲での自由」は片方の認識が普及した場合、もう片方の意見の推進が阻害されるほど、両立を許さない対概念な事象なのか?</i></p><p>異なる認識を持つ者同士が同じ卓を囲んだ場合に、プレイに支障が生じる恐れがあります。</p><p>「GMから独立した自由」を期待する「プレイヤーA」と「マスターA」、「GMによって管理された範囲での自由」を期待する「プレイヤーB」と「マスターB」とを想定してみましょう。A同士、B同士なら問題ありませんが、異なると次のような状況が起こりえます。<ul><li>「プレイヤーA」が「マスターB」の想定した管理範囲から外れる行動を取る場合。逸脱が軽度ならばマスターにストレスが溜まるだけで済む。重度の場合、マスターはプレイヤーの行動を却下しまくるか、対処を放棄して「セッション崩壊」を宣言、更に「プレイヤーA」の糾弾を始めることもありえる。</li><li>「プレイヤーB」が「マスターA」の(最初から存在しない)管理範囲が分からないまま行動している場合。軽度の場合は大きな問題にはならない。重度の場合、行動指針を与えられないプレイヤー、行動してもらえないマスター共にやる気を失う恐れがある。この場合も糾弾大会が開催される可能性あり。</li></ul>このような状況を無くす方法は二つあります。ひとつは、誰もが両方を認識し(できれば合意を得て)プレイに臨むこと。もうひとつは、全員の認識を片方のみに統一することです。</p><p>><i>3)2)により鏡さんの(2)の推進が阻害されるとなぜ鏡さんの「遊び方」が否定されることになるのか?</i></p><p>私の遊び方は、先述したところの「マスターA」であり「プレイヤーA」です。Bの存在を知っていますから、それに合わせることも可能でしょうが、できればAの遊び方をしたい。Bが「正しい遊び方」になったところで、私がAを行ったならば、最悪私は糾弾大会の標的として吊り下げられることでしょう(^^;)。</p><p>以上、長くなりましたが一通り回答したと思います。いかがでしょうか。</p><p># 「情報」について改めて考えてみましたところ、鈴吹氏や鯵さんが「狭義の情報」を言っているのに対し、私は「広義の情報」を言っておったようです。これについては場所を移すか、いずれ雑記に整理したいと思います。</p>
鏡
2002年07月24日23時03分
20020724231409
64
失敗回避の検討レベルと、ルールによる回避の懸念
<p>>夏ミル金さん<br />>私が思うに、シナリオやマスタリングの失敗を減らすのにルールを使おうというのが鈴吹氏の考えなのではないでしょうか。</p><p>なるほど、仰る通りだと思います。次回雑記で扱う予定ですが、「ブレイクスルー機能」こそはそのためのルール群でありましょう。</p><p>さて、プレイの失敗の回避は、様々なレベルから考察することができます。思いつくままに並べますと…<ul><li>マスターやプレイヤーの認識、心構え</li><li>参加者間の意思疎通。コミュニケーション能力</li><li>プレイング/マスタリングの技術。アドリブ能力やデータ理解など</li><li>シナリオ構造と作成のノウハウ</li><li>ルールデザインやルール選択</li><li>背景世界に関する知識</li></ul>…など。上記の内、私が特に注目しているのは「認識、心構え」と「シナリオ構造」なのですが、それはさておき(^^;)。</p><p>ルールによる解決も確かに効果は素晴らしいのですが、両刃の剣的な面もあります。好き嫌いが分かれる程度ならともかく、遊び方や遊び手をゲーム単位で選別する危険が心配されるのです。…もちろんどのレベルでもそれ一辺倒になれば選別の恐怖はあるのですが。</p><p>あと、ルールでフォローされてしまうと、技術を得る必要がなくなってしまわないか、という心配もあります。ただ同様のやり取りが以前「登場判定」についてありました。ルールなどなくても登場できるだろうという私の考えに対し、「登場する」という概念を知らない者が「登場判定」を経験すると他のゲームでも登場できるようになる、というご意見をいただきました。なるほどそういうこともあるのかもしれないと思いましたが、しかしいつも良い結果に繋がるとは限りませんので…(^^;)。</p>
鏡
2002年07月24日23時14分
20020725002558
65
それは、贔屓のしすぎでは?
<p>>鏡様<br />>「プレイヤーB」が「マスターA」の(最初から存在しない)管理範囲が分からないまま行動している場合。軽度の場合は大きな問題にはならない。</p><p>これは、「プレイヤーにストレスが溜まるだけで済む。」と言い直すべきではないでしょうか?<br />その場合こそまさに、鈴吹氏の言う「『なんでもできる』とは『なにもできない』」の典型例だと思いますので。最初に、宮本様が「自分のマスタリングの失敗談を含めた経験と自戒から言えば」と言及していますし、これはわりと見逃せないことだと思います。</p>
tatuya
2002年07月25日00時25分
20020725172529
66
re: 64 失敗回避の検討レベルと、ルールによる回避の懸念
<p>> …など。上記の内、私が特に注目しているのは「認識、心構え」と「シナリオ構造」なのですが、それはさておき(^^;)。</p><p>私の場合は「シナリオ構造と作成のノウハウ」に注目しています。<br />これも考えることの多い分野です。</p><p>> <br />> ルールによる解決も確かに効果は素晴らしいのですが、両刃の剣的な面もあります。好き嫌いが分かれる程度ならともかく、遊び<br />> 方や遊び手をゲーム単位で選別する危険が心配されるのです。…もちろんどのレベルでもそれ一辺倒になれば選別の恐怖はあるの<br />> ですが。</p><p>鏡さんはルールによる解決を狙った手法に関してはいささか否定的な考えを持っているようですね。<br />しかしながら、どの手法も適切なところで適切な方法を使わなければうまく働かないのは十分に考えられることです。<br />ことさらルールによる解決手法を否定する理由にはならないでしょう。</p><p>> <br />> あと、ルールでフォローされてしまうと、技術を得る必要がなくなってしまわないか、という心配もあります。ただ同様のやり取<br />> りが以前「登場判定」についてありました。ルールなどなくても登場できるだろうという私の考えに対し、「登場する」という概<br />> 念を知らない者が「登場判定」を経験すると他のゲームでも登場できるようになる、というご意見をいただきました。なるほどそ<br />> ういうこともあるのかもしれないと思いましたが、しかしいつも良い結果に繋がるとは限りませんので…(^^;)。</p><p>これは難しい問題ですね。技術の習得というのはよほど確立された教育法、学習法でない限りどれが効果を発揮したかはその結果を<br />見るまで長い時間がかかりますし、思うとおりの結果が出ても実は全然別の要素が原因だったということすらあります。<br />なので、この手の論議は往々にして観念論になりますし、私もかなり抽象的な意見しか述べることができません。<br />せいぜいまだはっきりわからないのだからその手法を否定すべきではないと言う私のスタンスに沿った意見をならべるだけになります。</p><p>さて、この登場判定に関する「ルールでフォローされてしまうと、技術を得る必要がなくなってしまわないか」という質問を鈴吹氏<br />にぶつけた場合どういう考えを述べるか。<br />鈴吹氏に質問をする立場も機会もありませんが、「ゲームデザインのためのタクティクス」の第6回にこれを類推することのできる記述がありました。<br />「段階的に無視されるルール」の部分です。解釈は分かれるでしょうがここから考えると、鈴吹氏は「技術がつけば無視、つかなければ使う」とこた<br />えるのではないでしょうか。<br />これを良しとするか否定するかはまた別問題です。<br /></p>
夏ミル金
2002年07月25日17時25分
20020725235211
67
贔屓かもしれませんが、根拠がないわけでもありません
<p>>tatuyaさん<br />確かに私が好きな遊び方については贔屓してしまっているかもしれませんが(^^;)。</p><p>「問題にならなかった」例というのが頭に浮かんだので、あまり色々は考えずにそう書いたのですね。その例というのは実は(tatuyaさんにもご参加いただいた)第1回RPG日本コンベンションでのD&D3eプレイだったのですが…。もっとも、よく考えてみるとアレがどこまで「自由」であったか、今となっては迷いもありますが。</p><p>つまるところは、「プレイヤーB」が何か行動さえしてくれれば「マスターA」は対処できるだろう、という判断でした。</p><p>この件については、先に開設しました「話題掲示板27」の方で後日また考えてまいりたいと思います。</p>
鏡
2002年07月25日23時52分
20020726002343
68
ルールによる回避には抵抗があります
<p>>夏ミル金さん<br />正直、私は「ルールによる解決」に抵抗を感じます。ルールというものが最もオフィシャルな部分であるからです。過去に色々ありまして(^^;)、オフィシャルなものが持つ力に強い警戒心を抱くようになったせいなのですが…。こういう考えを持つ者がいても良いだろう、くらいに考えております。</p><p>>まだはっきりわからないのだからその手法を否定すべきではない</p><p>その考えは理解できます。同様に「はっきりわからないのだから肯定すべきではない」とも。私とて新しい試みを潰したいわけではありませんが、最悪のケースを考えておくことも必要でしょう。</p><p>「ゲームデザインのためのタクティクス」第6回の件、ご意見をありがとうございます。同誌は購入済ですが、熟読してはおりませんでした。改めてよく読んでみたいと思います。</p>
鏡
2002年07月26日00時23分
20020727022354
69
訂正の薦め
<p>>鏡様<br />>「問題にならなかった」例というのが頭に浮かんだので<br />>つまるところは、「プレイヤーB」が何か行動さえしてくれれば「マスターA」は対処できるだろう、という判断でした。</p><p> ああいや、それは違います。<br /> ここで問題となるのは、「プレイヤーにストレスが溜まる」ことです。<br /> それは、「『プレイヤーA』が『マスターB』の想定した管理範囲から外れる行動を取る場合」において、「PLにストレスが溜まる」ことが問題となるのではなく、「GMにストレスが溜まる」ことが問題となるのと同じです。<br /> なぜならば、(軽度の場合)「『プレイヤーA』が『マスターB』の想定した管理範囲から外れる行動を取る場合」のケースであれば、自分の思い描いたとおりにプレイしているのは「プレイヤーA」であり、「『プレイヤーB』が『マスターA』の(最初から存在しない)管理範囲が分からないまま行動している場合」自分の思い描いたとおりにプレイしているのは「マスターA」だからです。彼らは自分の思ったとおりにプレイしているのですから、ストレスは溜まるはずもありません。</p><p> ふむ、こういう言い方であれば、鏡様の発言は、より正確には、</p><p>「プレイヤーA」が「マスターB」の想定した管理範囲から外れる行動を取る場合。逸脱が軽度ならばマスターにストレスが溜まるだけで済む。重度の場合、マスターはプレイヤーの行動を却下しまくるか、対処を放棄して「セッション崩壊」を宣言、更に「プレイヤーA」の糾弾を始めることもありえる。<br />「プレイヤーB」が「マスターA」の(最初から存在しない)管理範囲が分からないまま行動している場合。軽度の場合は大きな問題にはならない。重度の場合、行動指針を与えられないプレイヤー、行動してもらえないマスター共にやる気を失う恐れがある。この場合も糾弾大会が開催される可能性あり。<br /> ↓<br />「プレイヤーA」が「マスターB」の想定した管理範囲から外れる行動を取る場合。逸脱が軽度ならばマスターにストレスが溜まるだけで済む。重度の場合、マスターはプレイヤーの行動を却下しまくるか、対処を放棄して「セッション崩壊」を宣言、更に「プレイヤーA」の糾弾を始めることもありえる。『結果、行動を却下・糾弾されるプレイヤーA共々やる気を失う。』<br />「プレイヤーB」が「マスターA」の(最初から存在しない)管理範囲が分からないまま行動している場合。軽度の場合は『プレイヤーにストレスが溜まるだけで済む。』重度の場合、行動指針を与えられないプレイヤー、行動してもらえないマスター共にやる気を失う恐れがある。この場合も糾弾大会が開催される可能性あり。</p><p>と、訂正すべきでしょう(『』内、追加・訂正部分)。<br /> 逸脱が軽度の場合は前述したとおりですし、重度の場合、両者は共に自分が思い描いたプレイングがまったく出来ていないわけですから。</p>
tatuya
2002年07月27日02時23分
20020727084611
70
69への同意 / 話題10の議論で得られた成果
<p> 話題27への移行とかを考えたり忙しかったりでちょっと出遅れましたが。</p><p> 概ね私の言いたいことは69とかでtatuyaさんが述べて下さったかと思います。</p><p> あと、色々思うに、「何をしたらいいのか判らないPL」の行動選択として、「とりあえず出来ることをする(例えばPCは酒場のウェイトレスのおねえさんに声をかける)」とかをし始めたとして、それって果たして「やりたいことをやる自由」なのかぁ、とか。本当にやるべきことは思い付かないので、とりあえず何でもいいけど何か出来ることをする、という状態が良いのか、というのは人それぞれなのではないかと。<br /> 私が遊んでいる仲間の中には、PLサイドからの提案能力の高い人もいます。背景世界サプリメントとかも良く読んでいて、有名NPCとか有名な場所とかを自分で組み合わせて、「次回は...という展開のシナリオを希望」とか出してくるPLもいる。でも、全員がそういうPLでは無い。<br /> ある種のPLは、自分で提案する能力(背景世界とか物語の類型的パターン知識とかGM経験とか?)が無いとか、かけるべき手間暇が無いとか、あるいは、GMから提示された選択肢から最良の選択肢を選ぶだけを望むだけとか、要するに自分からの提案を望まない人もいる。</p><p> RPGはどの遊び方が正しい、などということは無い --- 強いて言うならばGMとPLが楽しく遊ぼう以上のものなんて無い --- と思うので、どの遊び方であるべきだというのはまずい。(そういう意味では、特定の遊び方だけを正しいと思わせるような記事は(もしそういう文章ならば)問題なのかも。)</p><p> 一方で、今回の話題10の議論の結果明確になったこととして、「GMから独立した自由」「GMによって管理された範囲での自由」に2つに大別されるRPG上での好みがあることがはっきりしたのではないかと思います。<br /> RPGプレイ開始前とか、キャンペーン開始前に、GM側からPLにどちらの自由を提供するのかをPLに説明しておけばプレイ中の齟齬は大幅に減るでしょう。そういう意味で我々は、こういう議論を通じて「RPGのプレイスタイルを記述する用語」というのを手に入れつつあるのだと思う。(USENETのrec.games.frp.advocacyとかではこの手の議論が行われているのですが。いつかはこれらの紹介記事を書かなきゃとは思ってはいますが。)<br /> そして例えば、RPG日本のオフ会のGMからの紹介記事とかで、「私の卓はGMから独立した自由を提供する卓です」とか説明出来るようになるといいのではないかと思います。<br /> これはこの掲示板での議論から得られた有益な成果なのではないかと思うのですが。<br /></p>
宮本 隆志
2002年07月27日08時46分
20020728003535
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「自由」について、今後更に考えてまいります
<p>丁寧に教えていただいたのに申し訳ないのですが、ここでの訂正は留保させてください(_ _;)。</p><p>正直なところ、tatuyaさんが仰る「プレイヤー(B)にストレスが溜まる」(書込69)という状況が理解できませんが、それは私が「プレイヤーA」だからなのかもしれません。あるいは「プレイヤーB」というのが、宮本さんが仰るような「何をしたらいいのか判らないPL」や「自分からの提案を望まない人」ばかりと考えるなら分かりますが、そこまで言ってしまってよいものかと…。</p><p>とりあえず、<b>書込63でのプレイヤーA/B、マスターA/Bの組み合わせについての記述は、再考の余地のあるものである</b>、とここで認めることで一応決着とさせてください。</p><p>あと、今回皆さんのご意見をいただいて気付いたことですが、私は「GMから独立した自由」「GMによって管理された範囲での自由」と単純に分けましたが、これらは更に何段階かに分けて考えた方が良いようです。今のところ「世界」「舞台」「物語」の三段階を考察中で、それによって宮本さんの問い(それって果たして「やりたいことをやる自由」なのかぁ)についても考えてみたいなどと思っております。またプレイヤーやマスターの好みに合わせた自由度を選択しやすくできるかも知れません。この件については、話題27に書き込みたい考えです。</p><p>この雑記10は、鈴吹氏のコラムにあった「自由」と「限定」の考え方への異論を呈することにありました。問題提起はできたということで、更なる考察は話題27の方に移動ということで願います。私もいま少し考えを整理したうえで、そちらに参加する予定です。</p>
鏡
2002年07月28日00時35分
20020729185858
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鯵のまとめ。(^^;)
<p>えー、なんだか店じまいっぽい雰囲気なので(笑)超簡潔に自分の意見を述べてみます。</p><p>(前提)<br />・TRPGはどんな遊び方をしてもいいし、ましてやある特定の遊び方をオフィシャル(=製作者サイド)から強制されることなどあってはならない、(と鯵は思う)<br />・以下に述べる意見は鈴吹氏のコラムを対象にしており、実際鈴吹氏がどう考えているかは問題にしていない。</p><p>(1)鈴吹氏は【どこにもいけなかった】=【マスターが行って欲しいところに行けなかった】と述べているのか?</p><p>鏡さんは<br />「このマスターは「未開の森探検シナリオ」の結末を「古城に着く」と決めていた。しかしながら、( 2でやったことからすれば至極当然なことに)プレイヤーは彼の期待通りには動かなかった。不満は期待の裏返しであるから、このマスターは強く不満を感じ、彼はそのプレイを失敗/破綻/崩壊したものと認識したものと思われる。(鏡さんの雑記より)」と書いている</p><p>仮に</p><p>・古城を発見したが古城に行きたくかったので行かなかった。<br />・古城に行く途中に別に面白いものを見つけたので行かなかった。</p><p>という状況ならば、鏡さんの意見は正しいと思う。しかし、鈴吹氏の文章からはそうは読み取れない。PL達は森をうろうろしただけである。つまり、</p><p>・PLは「古城に行く」という自由を行使していない<br />・PLは「古城にいかない」という自由を行使していない<br />・PLは「XXX(特定の場所・もしくは事象)に行く(かかわる)」という自由を行使していない</p><p>と言うことができる。この状況が鈴吹氏のいう【どこにもいけなかった】ではないだろうか。</p><p>(2)「GMによって管理された範囲での自由」とはなにか?</p><p>「GMによって管理された範囲」というのはいいかえれば「GMがマスタリングできる範囲」といいかえることができないだろうか?<br />鈴吹氏が問題にしているのは、鏡さんが例示した「敵に寝返ったばかりか、戦いを挑んできやがったPC」「一歩も入ることなく燃やされてしまったアンデッドの館」という状態ではない。それは「GMの想定外の展開」であるが、「GMよって管理された範囲=マスタリングできる範囲」であるから問題ではない。問題は</p><p>>自由」を愛する私自身、まったく「制限」をしたことが無いかというとそうでもない。ゲームマスターの際、かなり露骨な「土下座」というテクニックを(不本意ながら)時折使う。(鏡さんの雑記「「自由」雑感」より)</p><p>という「「GMによる管理に収まらない自由」を懸念しているのではないだろうか?<br />(ちなみにこのような事態は<br />63でいうところのA、Bいずれでも起こり得る)</p><p>(3)(1)、(2)より鈴吹氏のコラムは鏡さんの遊び方を否定していないと思う。</p><p>以上です。</p><p></p>
鯵
2002年07月29日18時58分