20000715170314
ヒロイックRPGと疑似体験型RPG
2000年07月15日16時03分
20000715170314
日本のRPGに足りないモノ
<p><a target="content" HREF="http://www.rpgjapan.com/cgi-bin/rpgjhall.cgi?code=lobby">RPG雑談所</a>で(2000年07月09日19時22分)に書き込まれた発言を<br />話題の整理のために再掲載します。責任はENT(エント)にあります。<br />-------------------------<br />>仁尾屋孝司氏<br />日本はヒロイックRPG偏重で、疑似体験型RPGが少ない(皆無と言っていいでしょう)ですね。<br />何故かはわかりませんがどこも作らない。<br />そのような現状において、ジャンルの豊富な海外のRPGに対して「学ぶ余地はあまり感じない」と言う結論を出すのは、いささか早計ではないでしょうか。</p><p>加えて、仁尾屋氏の論拠の一つとなっている井上純弌氏ですが、彼の発言には多分にハッタリや偏向を感じます。<br />ビーストバインドの「日本最後のオリジナルTRPG」と言うコピーからしてそうですね。<br />ですので、私は彼の発言に対しては、懐疑的スタンスで受け取った方がいいと思っています。<br />-------------------------</p>
Rick=T(代理掲載:ENT)
2000年07月15日16時03分
20000715170807
RE:日本のRPGに足りないモノ
<p>Rick=Tさん。はじめまして。ENT(エント)と申します。</p><p>|日本はヒロイックRPG偏重で、疑似体験型RPGが少ない<br />|(皆無と言っていいでしょう)ですね。<br />|何故かはわかりませんがどこも作らない。</p><p>ご教示ありがとうございます。<br />ところで、疑似体験型RPGというものはどういったもので<br />海外RPGでいうとどういうシステムのどういう部分なのでしょうか?<br />具体名をあげて教示いただけると実感できて、以後の話も進めやすいと思います。<br />------------------------<br />過去、<a target="content" HREF="http://www.rpgjapan.com/cgi-bin/rpgjhall.cgi?code=lobby">RPG雑談所</a>に(2000年07月09日23時40分)書き込んだものを<br />話題整理のために再掲したものです。</p>
ENT
2000年07月15日16時08分
20000718021310
疑似体験型
<p> 佐伯です。<br /> 話題が出ないようなので、ネタ出しのつもりで疑似体験型について書かせていただきます。一方的な見方であるとは自覚しておりますので、ご意見お待ちしております。</p><p> さて私が「疑似体験型RPG」と聞いて何となくイメージするのは、ルールの扱いが平等であり、世界を再現することに重点を置くゲーム、というものです。</p><p> ルールの扱いが平等というのは、例えば、PCはそれほど特別な存在ではなく、世界の中の一人に過ぎない。よって、ルールにおいて、PCとNPCの扱いに、それほど差をつけない、ということです。<br /> 例えば、ザコ敵10人の判定を10回行うのが、面倒くさいので、数学的に概算するシステムはあるかもしれないけど、N◎VAのように、明確に位置づけを行い「キャストとトループは違う」ということは、あまりしない。</p><p> 世界を再現することに重点を置く、というのは、ルールをその世界の物理法則として扱う、ということです。<br /> その場合、「ストーリーを誘導するためのルール」というのは、物理法則として考えた場合はおかしいので、システムに含めない。</p><p> 例えば、登場判定などは、世界設定やキャラの能力を物理的に表現するルールではないので入れない。</p><p> N◎VAの登場判定ルールの裏にある考え方は、極端に言えば「カメラの外にあるものは、存在しない」というものです。<br /> 彼がカメラの外でそれまで何をしていた結果、そこに登場できたかは、わりとどうでもいい、という。</p><p> それに対して疑似体験型のTRPGでは、「ロールプレイされていない部分においても、世界は、きちんと存在している」という考えでしょう。<br /> だから、シーンに登場したければ、それまでの過程をきちんとプレイすることが必要。</p><p> 「疑似体験」ゲームでは、「現実は物語どおりにはいかない」という部分を楽しむゲームなわけですから、時に、ある種予定調和的なシナリオ誘導システムは不必要であるというわけです。</p><p> もっとも非疑似体験系のRPGで、不条理な出来事、予定外の出来事がおきないかといえばそうではなく、疑似体験系のRPGでも世界の省略が必要な部分はあるわけですが。</p><p> ちなみに、この定義だと、ヴァンパイア・ザ・マスカレードは、かなり疑似体験型に含まれます。</p><p> ご意見をお待ちしております。</p>
佐伯 夕
2000年07月18日01時13分
20000718041613
RE:疑似体験型
<p>佐伯 夕さんへ。はじめましてになりますか。ENT(エント)と申します。</p><p>なるほど、疑似体験型RPGの類型については佐伯さんのご説明で何となく判ったような気がします。</p><p>逆に、登場判定やコネ(情報を獲得するだけでなく協力を期待させられる)など演出やセッションハンドリングなどで、いわゆるマンガ的(シネマティック?)なシステムがヒロイックRPGということになるのでしょうか?</p><p>また、主役、主要なNPC、雑魚NPCを区別するのもヒロイックRPGということになるのかな…</p><p>トーキョーN◎VAなどがここでいうヒロイックRPGということになるんでしょうね。</p>
ENT
2000年07月18日03時16分
20000718050249
ヒロイック型
<p> セッションハンドリング等、世界観でなく、物語を前提としたルールがあるからといって、即、ヒロイックRPGになるとは限らないと思います。</p><p> ただヒロイックなRPGの傾向として、「PCがシナリオを、大きくコントロールできる」という要素が一つあると思います。</p><p> N◎VAの例は前に挙げたので、他の例でいくと、TORGでは、PCが、サブプロット(恋愛)とかを出すと、シナリオ内容にそれが組み込まれるというのがあります。私は未プレイですが、熱血専用の予約シーンというのもあるそうですね。</p><p> で、これは、「物語」を前提としたルールがないと、システム化できません。<br /> ですから、</p><p>・ヒロイックなRPG≒プレイヤーがシナリオをコントロールできるRPG<br />・プレイヤーがシナリオをコントロールできるRPG⊂物語を前提としたルールを持つRPG</p><p> というところではないかと。</p><p> そうした点を含めて、セッションハンドリングルール等は、シネマティックな、ヒーローRPGと、「相性がいい」とは言えると思いますが、それが全てではない、と思います。</p>
佐伯 夕
2000年07月18日04時02分
20000718054236
RE:ヒロイック型
<p>|ヒロイックなRPG≒プレイヤーがシナリオをコントロールできるRPG<br />|プレイヤーがシナリオをコントロールできるRPG⊂物語を前提としたルールを持つRPG</p><p>なるほど、してみるとヒーローポイントがあるRPGは成功失敗/成功段階をプレイヤーがコントロールできるという時点でヒロイックRPGということになるでしょうか?</p><p>そうすると海外ものではヒーローポイントがある「007RPG」や<br />ラックポイントがある「コナンRPG(これはプレイしたことがないので噂に聞いただけ。どんな概念か判りませんが)」はヒロイックRPGということになるのでしょうか。</p><p>まあ、割合/比重にもよりますし、境界事例になりますと<br />「ヒロイックRPG」と「疑似体験型RPG」に<br />きっちり別れるとは考えにくいですが…<br />傾向として最近の国産RPGには「ヒロイックRPG」が<br />多いことになるのかな…</p><p> </p>
ENT
2000年07月18日04時42分
20000718130533
RE:ヒロイック型
<p>#こちらでは初めての書き込みになります。皆さんよろしく。</p><p>疑似体験型と比較した場合のヒロイック型というのは、適用結果としてゲーム世界の物理法則を無視することになるルールを持っている物と言えるのではないでしょうか。<br />「007」や「コナン」は英雄的ではありますが結果的には物理法則には従います。それに対して、「N◎VA」の登場判定や「魔獣の絆」の割り込み行動などでは結果的に物理法則は無視されます。</p><p>「疑似体験型」と「ヒロイック型」ではなく、佐伯さんの言われるように「法則重視型」と「物語重視型」とでもした方が良いと思います。<br />セッションハンドリングに重点を置いたルールがあることが特徴とも言えますので、後者を「セッション重視型」と言い換えてもいいでしょう。<br /></p>
’M’
2000年07月18日12時05分
20000718193104
ヒロイック/疑似体験
<p> ’M’さん、こんにちは。</p><p> まず、「ヒロイック型」にせよ、「疑似体験型」にせよ、私はシステムの問題ではなく、コンセプトの問題だと思っています。</p><p> 時に世界を壊すほどヒロイックに活躍できるか、地味に世界のリアリティを味わうか、というものでしょう。<br /> そのうえで、ヒロイックに活躍するために、物理法則を無視したり、シナリオを変えたり、自己演出をしたりできるようなルールが生まれたのだと思います。</p><p> 佐伯の考える「物語系ルール」というのを、もう一度定義しておきます。<br /> 物理的に考えると、絶対にあり得なくて、セッションを、一つの物語であるという視点から見て、初めて生まれるルールです。<br /> N◎VAの登場判定はそうですし、個人的には007のヒーローポイントも、「ヒーローポイントを使うのは、キャラではなくプレイヤーである」という1点で、物理的にはあり得ない、物語的なルールだと思います。</p><p> で。そのうえで主張したいのですが、疑似体験型のゲームであっても、物語系のルールは、使えると思います。</p><p> 疑似体験型と言っても、結局のところ、シナリオを想定していることには変わりないわけで(本気で想定してないRPGは、普通クソゲーです)、物語構造を意識してゲームを作って損はありません。</p><p> 疑似体験型のゲームは、普通、世界観の説明やら、モンスターやアイテム、キャラクターの能力などといった、物理的なルールで、シナリオ、物語構造を支援しているわけです。</p><p> でも、そこに物語系のルールを入れる必然性は充分にあると思います。<br /> 疑似体験型であっても、世界のあらゆる点を細かく、ルールで再現しようとするとダレます。ゲームの中心になる部分は、できるだけリアルに再現する一方、省略できるところは、どんどん省略していいと思います。<br /> そうした省略部分こそは、実は物語的に処理すべき部分じゃないかと思うわけです。</p>
佐伯 夕
2000年07月18日18時31分
20000718200927
省略の例
<p> 省略部分を物語的に処理する、と言いましたが 例を挙げます。</p><p> 下手な疑似体験型RPGだと、「アイテム作り」という職業が、成立しません。<br /> マジックアイテムを製作して使う人…というのは、わりとみんなやりたい職業だと思うんですよ。でも、なかなかできない。</p><p> 一般的なファンタジーRPGだと、アイテム製作のルールは省略されている。敢えて、PCが製作しようとすると、「マジックアイテムを作るには、それの元になる材料を集めて~」とかなるわけで、冒険の途中に急に作ったりはできないわけです。<br /> で、仮にマジックアイテムを持ってでかけても、数がきっちり決まった手持ちのアイテムしか使えない。しかも、シナリオが終わったら、またアイテムを作ったり買ったりしなければならないから、ど貧乏、等々。<br /> 逆に簡単にマジックアイテムを作れることにすると、「それを売りまくる。パーティの他のメンバーに渡しまくる」等の不条理が生じる。<br /> だから結局、NPC専用になる。</p><p> そういうところの一部を、「無駄」と省略して、物語的に処理した例が、N◎VAのタタラです。<br /> 神技のタイムリーで、「こんなこともあろうかと!」と、何でも取り出せる。作ったアイテムを続けて使いたいなら、「常備化」が必要(タイムリーのアイテムは常備化できません)。</p><p> 「こんなこともあろうかと!」というのは、物理的に言えば大嘘です(笑)。本当にそうしたいなら、シナリオが始まる前に、こっそりGMに耳打ちする必要があるわけですから。<br /> でも、物語的にはこれで正しい。</p><p> 常備化という、お金関係の省略と、アイテム作成の省略を、物語的に処理しているわけです。</p><p> まぁ、ここまでやっちゃうと、ヒロイックすぎるかもしれませんが、こういった省略を使えば、「アイテム作り」という職業が成立し、<br /> そういう発想って、疑似体験型RPGでも必要だと思います。</p>
佐伯 夕
2000年07月18日19時09分
20000719041113
リアリティの省略された部分が物語的に処理する部分かどうか?
<p>ここの話題にある2つのRPGの違いは、私は“ルールを構成する上での”コンセプトの違いだと考えています。</p><p>ヒロイックに活躍できるか/地味にしか行動できないのか、と言う点がコンセプトの違いだとするなら、PCの立場(ゲーム世界への影響度)をどの程度にするかと言う再現性(リアリティ)の違いであると言えます。<br />単にリアリティの違いが、ルールの優劣差などの議論の元になるとは考えられません。ですから、議論の元となった点(“国産”ヒロイックRPGと“海外”疑似体験型RPGの違い)は、それとは別次元であると考えた方が良いと思います。</p><p>それに、世界観に合わない「下手」な省略をした疑似体験型を例に挙げても比較になりません。<br />#そういったもの(一般的なファンタジーRPG?国産の?)こそクソゲーなのです。</p><p>私が考えている点が解りやすくなるように、両者の具体的な例を挙げてみましょう。</p><p>例えば、N◎VAでは神業を使わなくとも各シーンごとに登場判定ができます。では、N◎VAのPCは世界観的にみて常に物理法則を無視できるほどの超常能力者という設定なのですか?違いますね。<br />また、007ではヒーローポイントを使うことでどんなことでも起こせますが、ヒーローポイントが無くなればPCは只の人です。元々、英雄的な行動を行なえる(可能性がある)人物と言う設定なのですから仕方のないことです。</p><p>両者の違いが解りますか?</p><p>前者には、世界観やPC設定を越えたレベルでセッション運営に関するルールがあるのです。<br />これは最近の国産ルールに共通の傾向だと言えないでしょうか?<br />前言にも似たようなことを言っていますが、私は「ヒロイック=セッション運営型RPG」、「疑似体験=世界再現型RPG」と表現したいと思います。<br />つまり、いつでもPC/PLが物語に関係できるようにルールが構成されているかどうか、が違いだと考えているわけです。<br />先の例で言えば、N◎VAはヒロイックなPCを扱い、かつセッション運営ルールを持つ。007はヒロイックなPCが活躍する世界を再現するだけ。となります。</p><p>前者にはセッション運営のルールがある(運営を規定されている)が故の長所と短所があることを忘れてはなりません。<br />長所は、「PLが平等に扱われる」「セッション進行が迅速になる」「システムの習熟によらずPCを上手く扱える」等。<br />#私はこれらの効果に懐疑的です。<br />短所は、プレイング技術の上達を阻害してしまうという点。<br />#口の悪い表現をすれば、そんなルールがあるからGMはセッションハンドリング技術の上達努力を忘れ、PLはPCの行動決定における創意工夫を怠るようになるのです。</p><p>いかがでしょうか?</p><p>#余談ですが、最近のプレイ傾向がヒロイック志向であるなら007も注目されて然るべきですが残念ながらそのような兆しは見えませんね。</p>
’M’
2000年07月19日03時11分
20000719045342
ヒロイックRPGと疑似体験型RPG
<p>>’M’さん</p><p> えーと、一般的な、言葉の感覚の問題として、007のようにヒロイックなPCが活躍する世界は、ヒロイックなRPGと「感覚的に」呼んでいいと思います。</p><p> 国産のRPGvs海外RPGの傾向の差であるなら、おっしゃる通り、セッション運営型RPGvs世界再現型RPGと分けてもいいと思います。</p><p> ただし、セッション運営=「ヒロイックな活躍」とはならないし、非ヒロイックなゲーム=非セッション運営、とはならないと思います。</p><p> システムの傾向と、再現する物語の質(地味かヒロイックか)は、必ずしも一致しない、ということの確認です。<br /> よろしいでしょうか?</p><p><blockquote> 長所は、「PLが平等に扱われる」「セッション進行が迅速になる」「システムの習熟によらずPCを上手く扱える」等。<br /> #私はこれらの効果に懐疑的です。</blockquote> 上記は全て見方を変えれば、マスターにかかる負担を、システムやプレイヤーに分散させる、というものです。<br /> それによって、マスターはシナリオ運営により注意を裂けるわけです。<br /><blockquote> 短所は、プレイング技術の上達を阻害してしまうという点。<br /> #口の悪い表現をすれば、そんなルールがあるからGMはセッションハンドリング技術の上達努力を忘れ、PLはPCの行動決定における創意工夫を怠るようになるのです。</blockquote> プレイング技術の上達って、何なのでしょう?</p><p> 正直、ある人が、セッション運営ルールのあるRPGで面白く遊べ、ないルールで遊べないなら、それは、後者のRPGのほうが、より出来が悪い、としか私には思えません。<br /> TRPGは、ゲームであり、遊ぶためのツールなのですから、使いやすい方がいいのは、当たり前です。</p><p> 道具に人間を合わせるんじゃなくて、人間に合った道具を作るのが道理だと思います。</p><p> あ、もちろん、使いにくいけど、その分、より面白かったり、違った面白さを持っているゲーム、というのは、当然、あります。</p><p> ただ、単純にセッション運営ルールを削ることでより面白くなるとか、セッション運営ルールがあるとつまらなくなる、ということは言えないと思います。</p>
佐伯 夕
2000年07月19日03時53分
20000719052536
セッション運営RPGの弊害
<p> 具体例が思いつかないんですが、セッション運営ルールがあると、どんな技術や、どんな行動上の創意工夫が怠るようになるのでしょうか?</p><p> セッション運営ルールがないと、上達するようなテクニックとはどういうものがあるのでしょうか?</p><p> 興味がありますので、教えていただけるとありがたいです。</p>
佐伯 夕
2000年07月19日04時25分
20000719070123
元々の話題を無視してよいものか?
<p>>佐伯さん<br />まずは確認から。</p><p>>ただし、セッション運営=「ヒロイックな活躍」とはならないし、非ヒロイックなゲーム=非セッション運営、とはならないと思います。<br />>システムの傾向と、再現する物語の質(地味かヒロイックか)は、必ずしも一致しない、ということの確認です。</p><p>どの文を読んで誤解されたのかわかりません。教えて下さい。<br />私が挙げた例では、<br />1.007はヒロイックだが非セッション運営。<br />2.007/N◎VAのどちらもヒロイック。(つまり、システムの傾向はヒロイックか否かに関係ない)<br />と述べています。<br />どちらの例も、あなたが言われていることと同じ事だと思うのですが?</p><p>私は、当初の話題の「日本はヒロイックRPG偏重で、疑似体験型RPGが少ない」という点を考慮して、両者の違いは「セッション運営関係ルールの有無」にあるのではないか?と述べているのです。</p><p>#長文だったため読みにくかったかもしれません。その点はご容赦下さい。</p><p>ここの話題にとっては、セッション運営ルールの長所/短所など補足事項に過ぎません。別の話題<a target="content" HREF="http://www.rpgjapan.com/cgi-bin/rpgjlobby.cgi?code=14">(話題14)</a>として話しませんか?</p>
’M’
2000年07月19日06時01分
20000719072731
話題変更他
<p>>’M’さん</p><p> 前の記事で、</p><p>>「ヒロイック=セッション運営型RPG」、「疑似体験=世界再現型RPG」</p><p> …という一文がありましたので、「007はヒロイックだけど、非セッション運営型である」という点を今一度確認したわけです。こちらの理解が足りず、失礼しました。<blockquote>「日本はヒロイックRPG偏重で、疑似体験型RPGが少ない」という点を考慮して、両者の違いは「セッション運営関係ルールの有無」にあるのではないか?と述 べているのです。</blockquote>という点については、全面的に賛成します。いずれにせよ、確認がとれたということで。お手数おかけしました。</p><p> えーと、元々この話題は、日米のTRPGの傾向の差について語っており、さらに遡れば、その優劣、というか、特長/欠点についても語る雰囲気があったと思います。</p><p> で、それらがセッション重視ルールと、そうでないルールに収斂できるなら、それらのルールの長所/短所について語ることは、元々の話題の無視ではないと考えますが、このへんで移転して、より話題をはっきりさせるのもいいことだと思います。</p><p> 管理人様のほうで問題がなければ、話題14へ移転しようと思います。</p>
佐伯夕
2000年07月19日06時27分
20000719074018
確認しました。
<p>>「ヒロイック=セッション運営型RPG」、「疑似体験=世界再現型RPG」<br />確かに。失礼しました。</p><p>この部分は以下のように書き直しさせて下さい。</p><p>「“Rick=T氏の言う”ヒロイックRPG=セッション運営型」<br />「“Rick=T氏の言う”疑似体験型RPG=世界再現型」<br /></p>
’M’
2000年07月19日06時40分
20000719145838
疑似体験型RPG
<p>申し訳ありません、考えをまとめるのに時間がかかっていますが、とりあえず。</p><p>疑似体験/ヒロイックは馬場講座から持ってきました。<br />馬場講座では、疑似体験願望とは以下のように定義されています。<br />---------------------------------<br />疑似体験願望<br />・現実には出来ない様々な体験をしたい,という願望です。<br />・今までにない新しい疑似体験をするというのが目標となります。<br /> 一応,ゲームの目標に合わせて「勝利」「成功」を目指すものの,実際<br /> には結果は重要ではなくて,途中経過で何を体験できるかが大切になり<br /> ます。<br />・自分のPCが苦労しても,敗北しても,あるいは死亡しても,さほど気<br /> にはしません。それも疑似体験の1つだからです。<br /> 疑似体験をリアルに感じることが出来れば「ゲームに勝った」と思いま<br /> す。逆に,疑似体験が薄っぺらでリアリティがないと感じると,PCの<br /> 成否,勝敗とは関係なく「ゲームに負けた」と思います。<br />・新しい体験が出来なくなることを嫌います。<br /> ですから,毎回,お約束に従って同じパターンで「勝利」するくらいな<br /> ら,毎回違うパターンで苦労,敗北した方がずっとマシです。<br />・ストーリーや設定に関するいい加減さや,ご都合主義を,非常に気にし<br /> ます。疑似体験のリアリティを損なうからです。<br /> リアルで説得力のある「借金苦」や「恐怖による発狂」を疑似体験する<br /> 方が,ご都合主義でいい加減な「大活躍」よりずっと好みです。<br />---------------------------------<br />これは極端な表現ですので、この項目をある程度満足させるものが「疑似体験型RPG」<br />と言えるでしょう。</p><p>そして、個人的には、5番目の項目「疑似体験のリアリティを重視する事」が、<br />もっとも重要だと思っています(もちろん、プレイアビリティを損なわない程度にですが)。<br />そのような意味合いでは、’M’氏の発言にある、<br />>「“Rick=T氏の言う”ヒロイックRPG=セッション運営型」<br />>「“Rick=T氏の言う”疑似体験型RPG=世界再現型」<br />は、とても的確に意を汲んでいただいた表現で、感謝しています。<br /></p>
Rick=T
2000年07月19日13時58分
20000719191443
疑似体験型?
<p> 1~4に関しては、ヒロイック型でも充分にあてはまりますね。</p><p> 1、2は当然ですね。</p><p> 3なんかはヒロイック型のほうが満たします。例えば、疑似体験型であるD&Dでは死がシステム的に大きな重みを持ちます。10レベルファイターが本気でロストしたら、「さほど気にならない」じゃ済みません。マスターの家に火をつけたくなりますな。<br /> それは冗談としても、「過程が面白ければPCが死ぬのは構わない」と安直には言えない気がします。</p><p> 毎回お約束に従って同じパターンで勝利することを目指すのは、ヒロイック型でも忌避されますし、リアリティのある体験をするのが目的なのは当たり前でしょう。</p><p> せいぜい、5の「ストーリーや設定に関するいい加減さ、ご都合主義」に、ひっかかるくらいでしょうか。</p><p> 「登場判定」等は、確かにご都合主義をルール化したものです。これが気になる人もいます。<br /> 個人的には、あらゆる物語と同じく、RPGのシナリオにおいて、多少のご都合主義は必要不可欠であり、ルール化された分ゲーム的な資源と扱えるなら、そっちのほうが納得がいく面もあります。<br /> ただ、これは善し悪しというより、世界観の好みの問題でしょうね。</p>
佐伯 夕
2000年07月19日18時14分
20000719195911
シナリオの継続とPCの死
<p>“セッション運営型ルール”と“世界再現型ルール”の違いですが。<br />端的な例では「シナリオを継続させる為にPCを殺さない」という事を認めるか否かだと思っています。</p><p>○シナリオ中にPCの間違った行動によってPCが死ぬような展開になってしまった。<br />・このPCが死んだ場合、(スキル、設定、その他の要因により)セッションの継続は不可能である。<br />・この死は不可避であり、ルールを超越した手段に頼らなければ救済は不可能である。<br />・PCの間違った行動はPLの責任であり、ダイス目による物では無い。</p><p>さまざまな意見があるでしょうが、実際には次の2つの意見に集約されるのではないでしょうか。</p><p>1.PCの行動がどうであれ、シナリオが途中で終わるのは望ましくないので、殺すべきではない。<br />(セッション運営型ルール?)</p><p>2.PCは自らの行動の責任を取るべきであり、PCを殺しセッションを終了すべきである。<br />(世界再現型ルール?)</p><p>このような考え方はどうでしょうか?<br /></p>
Rick=T
2000年07月19日18時59分
20000719210419
シナリオの継続とPCの死
<p>>1.PCの行動がどうであれ、シナリオが途中で終わるのは望ましくないので、殺すべきではない。<br />>(セッション運営型ルール?)<br />><br />>2.PCは自らの行動の責任を取るべきであり、PCを殺しセッションを終了すべきである。<br />>(世界再現型ルール?)</p><p>これってルールで定められていることなのでしょうか?</p><p>ありよしの知る限り「熱血専用!」「ブレイド・オブ・アルカナ」「パラノイア」などはPCが死んでもセッションは続くので、前提条件からして当てはまらないと思います。</p><p>あるいは「魔獣の絆」のように、比較的簡単にPCは自殺(ロスト)できるシステムで、それをさせないような運営を促すことがルールブックに書かれていることをいっているのでしょうか?<br /></p>
ありよし
2000年07月19日20時04分
20000720000321
「ゲーム」のある部分
<p> ルールを超越した手段でないと救済が不可能なら、セッション運営型「ルール」でも、PCは当然、死亡するのではないでしょうか?<br /> ルールを曲げてシナリオを終えるかどうかは、システムよりも、プレイスタイルの問題だと思います。</p><p> マスターの超越的な介入を認めるゲームは多いですが、「PCが死んだら、積極的に介入しよう」みたいな推奨がされているゲームというのは知りません。</p><p> セッション運営型ゲームにおいても、大半は、「行動の失敗に関して責任を取らないと、ゲーム的に面白くない」という点は意識されていると思います。<br /> その意味、「最終的に失敗したり、自滅したりしても、それはそれで(悔しくはあるけど)結果として受け止め、過程を楽しむ」という姿勢はあるでしょう。</p><p> ただ、ダンジョン潜りゲーなら、「序盤で無駄死に」や「ダンジョン途中で全滅」も一つのドラマですが、ストーリー重視系の場合、失敗するにもクライマックスまで行ったうえでないと、面白いドラマにならない、という傾向ならあるかもしれません。</p><p> その意味で、セッション運営型のRPGであれば、PCはセッション中はなかなか死なないけど、間違った行動によっては、クライマックスやシナリオ終了時に不幸な目に遭う、というようなシステムを取っているものはあります。</p><p> ブレカナなんか、そんな感じですね。キャラは強力なので、殺戮の宴(ラストの戦闘)が始まるまでは、あんまし死なないだろうけど、敵に勝つために無理をしすぎると、最後にPCがロストする。<br /> 天羅なんかは、PCがほぼ死なない代わりに、愚かな行動は、シナリオ的にツケを払わされることになります(NPCを説得できずに身投げされるとか)。</p><p> 要は、そのシステムが、どこに「ゲーム」を認めているかじゃないかと思うんですが(ブレカナは、殺戮の宴、天羅は掛け合い D&Dならダンジョン潜り)。<br /> セッション運営ゲーム系は、クライマックスに「ゲーム」がある場合が多いから、そこまで保たせようと努力する。<br /> ダンジョン潜りゲーも、例えばダンジョンに潜る前からシナリオが破綻しそうだったら、私がマスターなら多少ご都合的な手段を取っても、PCをダンジョンに放り込みます。</p>
佐伯 夕
2000年07月19日23時03分