RPG日本

リプレイがRPGを滅ぼす

現在の日本RPG界を築き上げた立役者はリプレイでした。
しかし今リプレイがRPGを滅ぼそうとしています。

文責:鏡

はじめに

かつて一部の者が輸入版によってのみ遊んでいたRPGは、この十年間で大いにその対象を増やしました。その広がりの立役者は、この業界の頂点に立ったといっても過言ではないグループSNEと、彼らがRPG紹介に最適の手法として提唱する“リプレイ”という表現形態でした。SNEのみならず数多くの者によって多数のリプレイが著され、それらが数多くの(特に若年の)者たちにRPGの存在を知らしめ、興味を持たせ、そして参加させていきました。小説、漫画、アニメ以外の物語構築手法を知った彼らの幾割かは、熱心な遊び手となりました。現在のRPG界はリプレイが育てたものであると言ってよいと私は考えます。

しかし私の体験から判断するに、今のRPG界は奇妙な停滞に囚われています。惰性と馴れ合いが、物語創造の情熱と歓喜を蝕んでいます。私は友人との対論や考察から、この状態の原因の一端がリプレイにあるという結論に達しました。現在のRPG界を育て上げたリプレイが、今度はそれに滅びを与えつつあると。

以下に、私がその結論に至った考察をまとめます。拙文ではありますが、RPGを愛好する諸氏の論壇に一石を投じ、日本RPG界発展のための考察の一助となれば幸いです。

資料

私が最初にまとめた論文を友人に読んでもらったところ、彼は幾つかのリプレイ書籍を挙げ、それらを今一度読んだ上で論をまとめ直す事を勧めてくれました。

彼が挙げたものに更に数冊を加え、私が参考としたリプレイ書籍として以下に記します。

  1. 安田均「D&Dリプレイ ミスタラ黙示録①」電撃ゲーム文庫、1995
  2. 山本弘「盗賊たちの狂詩曲 ソードワールドRPGリプレイ集①」富士見ドラゴンブック、1989
  3. 友野詳「ルナル・サーガ・リプレイ 第1部 四姉妹篇(上)」角川スニーカーG文庫、1993
  4. 水野良「RPGリプレイ 封印伝説クリスタニア」電撃ゲーム文庫、1994
  5. セブン・フォートレス・リプレイ(RPGマガジン誌掲載)
  6. エルジェネシス・リプレイ(ゲーマーズ・フィールド誌掲載)

※この論考を書くに当たり、コンプティーク誌連載の「ロードス島戦記」第1部以後、3~5年間の雑誌掲載リプレイ等を参考としましたが、未整理により、掲載ができません。ここに不手際を陳謝すると共に、補足申しあげます。(1998年10月11日、紀和之さんの御指摘により補足)

考察

以下に、リプレイがRPG停滞の原因の一端となっているという仮説に至った私の考察過程について記述します。

(リプレイはレポートである)

今リプレイと呼ばれている表現形態は、日米双方のRPGのマニュアルにおいて“プレイの例”として頻繁に使用されているものです。ただしそれらは、ルール・システムの適用・解決手順の例か、ゲーム・プレイの雰囲気を伝えるためのものであって、どちらにしても非常に短い場面に終始します。一つのシナリオ・プレイ全て、更にはキャンペーンの全てをすらこの形式で表現するのは、日本の“リプレイ”の最大の特徴といえるでしょう。ただ双方に共通する点は、それらが共に実際あるいは架空のプレイの報告であることです。「リプレイとはプレイのレポートである」この事をまず確認しておきます。

(リプレイの二つの特徴)

プレイのレポートであるリプレイには二つの大きな特徴があります。ひとつは「物語の登場人物ではなくゲームの参加者を描写している」こと、もうひとつは「小説などに比べて作成が容易である」ことです。

リプレイの文中に記されるのは、そのプレイに参加しているプレイヤーやマスターの間で交わされる会話やルールの適用手順です。グループSNEの安田均氏はリプレイについて「会話の様子が伝わってくるはずですし、そのときどきのルールの適用の感じもわかって、面白さがそのまま伝わる」(山本弘「盗賊たちの狂詩曲 ソードワールドRPGリプレイ集①」まえがき、p.4)と語っています。ただし最近の傾向としては、その文章の重点はルールよりも会話に費やされているようです。これは「ルール適用に習熟するためのマニュアル」よりも「物語としての面白さ」が読み手に求められていると著者らに判断されたせいでしょう。また自分たちのプレイの発表をしたいというアマチュア的な意図もあるかも知れません。

リプレイの文章は、その構成はほぼ決まっています。それは、先の安田氏の言葉を借りると「芝居の台本のように、セリフとト書きがあって、セリフで実際のプレイの様子を、ト書きでルールの説明を」(同上、p.4)することであり、私が知る範囲ではこの形式から外れたものはないようです。このことはリプレイの作成を、多くの情景や心理の描写などの脚色を不可欠とする小説などよりも容易なものにしています。そもそもレポートとは、過程や結果などの事実に忠実な記録であって、その作成には特別な能力は不必要(というより必要であってはならない)です。もちろん手間と努力は必要ですが、天性の才能のようなものが要求されることはありません。極端なことを言えば、リプレイは誰にでも書くことができるのです。

リプレイの二つの特徴はRPGを普及させるに際して大きな効果を発揮し、先の安田氏の言葉通りゲーム・プレイの面白さを伝える絶好のメディアとして働きました。

しかし、これら二つの特徴は長所と同時に短所も含んでおり、それがRPGに触れた者たちに与えた影響もまた小さくはなかったと私は考えます。

(マニュアルとしてのリプレイ)

リプレイは「ルール適用のマニュアル」と「プレイの面白さの紹介」の二つの面を持っていますが、その他にもう一つ危険な要素を持っています。それは「“面白いプレイ”のマニュアル」という面です。TRPGは「想像世界で繰り広げられる物語を体験する楽しみ」と「仲間同士で語り合い時間を共有する楽しみ」の二つの面白さを与えてくれます。プレイに参加するプレイヤー(マスターを含む)全員が、各々の頭の中で一つの世界を共有し、架空世界での物語をリアルタイムに体験していくのであり、このような時間を共に過ごすことは非常に楽しいことです。しかしリプレイはこの楽しみの全てを表現することはできません。リプレイができるのは、楽しそうにプレイをする他人の会話を羅列することだけです。もしRPGの楽しみを体感した経験の少ない者(初心者など)が、楽しそうなプレイが描かれたリプレイを読んだ場合に、それを「楽しいゲームプレイのお手本」として読み、その真似をすることに終始してしまいはしないかと、私は心配しています。(リプレイを読むとその参加者のプレイそのものがよく分かりますが、私の読んだ範囲では見本になるほど優れたプレイやマスタリングは皆無で あり、お手本としての価値自体もありません。)杞憂かもしれませんが、読むべき典籍にあたらず、リプレイばかり読んでいる者がいた場合に、そのような傾向があっても不思議ではないと考えます。

(リプレイの質)

次に、小説などに比べて作成しやすいという点は、その作品としての「質」の面で問題となります。リプレイは、その表現の制限(描写が限定される、無駄なセリフが多くなる、など)のためどれほど上手い人が書いても下手な小説以上のものにはなりません。逆に書き手にそれほど能力が無くともそこそこの出来にはなりますが、しかし下手なリプレイを出版することは、リプレイが潜在的にもつ影響力の危険の大きさを考えると、きわめて危険なことです。出版社がリプレイ作品をどのように評価し出版しているのか知りませんが、重要な問題でしょう。(もっとも、きちんとした小説を出版できるほどの才能を持つ人は、リプレイを書く暇があったら良質の小説を書くでしょうが。)何であれ、関連書籍の質が業界の将来を占うのは間違いないので、作品の質を厳しく問うことは大切であると考えます。

(リプレイは役に立つか)

リプレイは、RPGのプレイ状況を説明するのにはもっとも適したものです。しかし既にプレイ経験がある者が、より面白いプレイを目指してその腕を磨こうとする時には参考となるどころか、害になります。その文中に著されているのは、その著者たちが行ったプレイの残骸であって、読者の糧とはなりません。RPGの面白さをプレイヤーのセリフの中に表現することはできませんし、これからのプレイを高めるために必要なことは、様々な知識と経験を積みそれを応用することであって、他人のプレイを覗き見することではないのです。

RPGはもっとも現実の社会生活に近いゲームです。想像世界に関する知識と同じくらい、社会生活で必要な知識や経験もゲームプレイには必要ですし、またその質を高めてくれます。リプレイの中に登場するプレイヤーたちは既に多くの経験を積んでいる人かもしれませんが、それを紙面から手に入れることは不可能です。自分の体で憶える以外に道はありません。ゲームプレイに必要な能力を手に入れなければ、どれほど多くのプレイを繰り返しても今以上の面白さを味わうことはできません。マンネリに気づきゲームを離れるか、気づこうとしないまま惰性でゲームを続けるだけでしょう。現在のゲーム業界の状態がそうでないとは、私には思えません。

結論

リプレイはRPG業界発展には不可欠なものでした。またプレイ経験の無い者にとっては最適の入門書となるでしょう。

しかしリプレイには、「プレイ上達の資料にならない」「悪いマニュアルとなりうる」「質を向上させにくい」などの問題点があります。私はこれらの点が原因となって、現在のRPG業界を停滞に陥らせている、と考えています。

RPG経験者にとってリプレイは不要なものです。上達を目指す経験者は、リプレイを読む時間があったら、あらゆる事柄に関して自らの知識と経験を積むべきでしょう。他人と違った知識・経験と日常的な社会経験とが結びついた時、その者のプレイ能力は間違いなく向上し、また業界全体の活性化にもつながるでしょう。

結論の後に来るもの=代替案

(資料としての代替案)

プレイの上達を願う者がリプレイの代わりに読むべきであると、私が考えるものを以下に挙げます。

  1. 小説:ジャンルに関係なく、情景・心理・行動の描写はプレイ能力に直結します。文字から情景を視覚的に捉えることは基礎的な想像力を鍛えます。またプロットラインを多く知ることは、シナリオを味わう力となるでしょう。
  2. 空想世界に関する資料:ゲームの舞台となる世界の事物に関する資料です。例えば中世ヨーロッパ風ファンタジーなら、武具や城の資料のみならず、当時の日常生活、常識や宗教観などがプレイの役に立つでしょう。
  3. 現実世界に関する資料:一見ゲームと関係なくとも、応用が利くものは少なくありません。ジャンルを限らず、多くに当たることがプレイに深みを与えるでしょう。文庫本の社会生活に関するハウツー本などもお勧めです。

この他、ゲーム小説・サプリメント・シナリオなどももちろん読むべきなのですが、これらの出版数が涙が出るほど少ないのが現状です。定期刊行の専門紙がこのような記事に紙面を割くのが最も良いのですが。

(報告としての代替案)

またリプレイは、同人誌のようなアマチュア的な活動報告には適していると思いますが、リプレイ以外にそのような報告を載せるための媒体として、「プレイ・レポート」の作成を提案します。

なお、このサイトの別ページで私自身のプレイレポートの掲載を計画していることをお知らせしておきます。

おわりに

私がこの論文を書くに至った発端は、昨今のゲーム関係の書棚や専門誌の紙上にリプレイが溢れていたこと、その割に資料的な出版が少ないこと、リプレイは読んでもつまらない上に得るものが少ないこと、そして特に、それらのリプレイが決して悪い評価を受けていないようであったことでした。つまらないものを無批判に受け入れる者が面白いゲーム・プレイをすることはできないと私は考えます。

リプレイは現在のRPG業界では趨勢であり、リプレイ批判を良く思わない方は多いと思いますが、この論がいかなるものであれ、RPGの現況に対する議論に火を付けることになれば、幸甚この上ありません。忌憚ないご意見・ご感想をお待ちしております。

最後になりましたが、この論文を記すに当たり、友人各位には多様なる協力をいただきました。心より感謝申し上げます。

(1997年5月1日作成。1998年2月5日「結論の後に来るもの=代替案」に二つの見出しを追加。1998年10月11日「資料」に注記を追加)

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