メイン >  卓上RPG考  >  「自由」に遊ぶ 理論篇

まずは卓上RPGに限らずに、「自由」というものについて考えてみます。この語の意味は、辞書では次のようになっています。

  • 「自分の心のままに行動できる状態。思うまま」(小学館国語大辞典)
  • 「他から制限や束縛を受けず、自分の意志・感情に従って行動する(出来る)こと。また、その様子」(三省堂新明解国語辞典)

つまり、「私はこうしたい、こうすべきだ、こうしよう」といった「自分の決断」によって行動するなら「自由」である、ということです。そうではなく、「君はこうしたいはずだ、こうしなくてはならない、こうしなさい」といった「他人の命令」によって行動するなら、それは「自由」でなく、他に「管理」されているのだ、といえます。

「自分の決断」と「他人の命令」とが同じ行動を指すこともありますが、どちらに因っているかは明白な違いとなって表れます。同じ人間がやることでも、「自由」な行動は積極的かつ柔軟なものとなり、「管理」されての行動は消極的かつ硬直したものとなるのです。好むと好まざると、これは自律と他律との差ですから、避けられません。

そして「自由」には必ず、その「責任」が伴います。「自分の判断」に従って行動するなら、その過程や結果、予期せぬ悪影響までも自分に属するものとして認め、受け入れ、対応しなくてはなりません。さもなくば、周囲から「無責任」と非難されます。極言すれば、「自由」とは「自分で責任を取る」ことであり、それができると認められた一人前の人間にのみ許されることです。

他方、「他人の命令」に従う限り、そこには「責任」が伴いません。「責任」は「管理」する側にあり、「管理」される側には「無責任」も許されます。子供や部下の「責任」が親や上司に帰せられるように、半人前の人間は「管理」され、その代わり「他人が責任を取ってあげる」のです。もっとも現実には、「責任がある」者が必ずしも「責任を取る」わけではありませんが。

さて、一人前か半人前かはともかく、「自由」に振舞うよりも「管理」されていた方が「楽」(らく)です。得られる結果も、上で「管理」する者の能力次第とはいえ、概ね安定します。自分の力量に自信が無いこと、さして重要で無いことについては、「管理」の中にいる方が無難な選択と言えます。本当にそれで良いならば。

本当の子供でなければ、「管理」の中に留まるのも本人の「自由」です。その「責任」だけは自分で取ることになります。

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