メイン >  卓上RPG考  >  「自由」に遊ぶ 理論篇

今回は井上純弌氏が説く二種類の「自由」、即ち「何をやってもいい」ことと「準備しなくていい」こととが、「シナリオクラフト」で本当に実現されているか、考えてみます。

「シナリオクラフト」とは、アルシャードフォルティッシモのサプリメント『ウィンカスター・フォーチューンサービス』とアルシャードガイアRPGのサプリメント『エブリデイマジック』とに収められた遊び方であり、次の三つの構成要素から成り立っています。

  • ストーリーパターンテンプレート
    シナリオがどのように展開するか、そのパターンを「シーン」の繋がりとして定めたもの。「オープニングフェイズ」「ミドルフェイズ」「クライマックスフェイズ」「エンディングフェイズ」から成り、各フェイズは複数の「シーン」に分かれる。各「シーン」で起こりうるイベントなどが選択肢として提供され、ランダムまたは任意に選ばれる。「ミドルフェイズ」から「クライマックスフェイズ」に進むためには所定の条件「シナリオフラグ」を満たす必要があり、それができない場合は先に進めないままシナリオ終了となる。
  • ハンドアウトテンプレート
    PC用の背景設定と冒険に繋がる動機、特殊能力を示したもの。どの「ストーリーパターンテンプレート」でも使えるよう、シナリオとPCとの関係は示されていない。
  • ボスキャラクターテンプレート
    「クライマックスフェイズ」用敵キャラクター(NPC)のデータと動かし方を示したもの。どの「ストーリーパターンテンプレート」でも使用できる。

さて、上記三つを組合せて遊ぶ「シナリオクラフト」において、「準備をしなくていい」ことは見事に実現されています。各テンプレートさえあれば、「シナリオはおろか、ゲームマスターの準備もしなくていい」ばかりか、サイコロを振っているだけで「セッション成功」が成立するようになっています。実に秀逸なアイデアであり、優れたルールシステムです。

しかし、少なくとも「ストーリーパターンテンプレート」においては「何をやってもいい」ようにはなっていません。各「シーン」でのイベント選択、内容描写、情報収集のための技能選択、結果の描写などはゲームマスターやプレイヤーの任意ですから、単独の「シーン」内に限っては「何をやってもいい」と言えなくもありません。しかし何をやったとしても、イベント選択の幅が増えることはなく、「シナリオフラグ」達成を判定するルール(サイコロを振ってポイントを溜める)には影響が無く、「クライマックスフェイズ」の内容も変わりません。どのような行動をとっても「シナリオパターンテンプレート」で決められたようにしか進行しないわけですから、むしろ「何をやっても変わらない」「何をやっても同じ」と言えます。

また、「やらなくてもいい」ようにもなっていません。おなじみ「シーン制」ですから「シーン」は勝手に進みますが、その過程での「何もやらない」という行動は、「シナリオフラグ」達成に寄与しなかった、としか扱われません。「やらなければ失敗」なのです。

さて、井上純弌氏は「自由なTRPG」を「何をやってもいい。やらなくてもいい。シナリオはおろか、ゲームマスターの準備もなにもなく、ただそこに街や平原があり、なにもないところにキャラクターが居るだけでいい」ものと説きました。しかし「シナリオクラフト」は、確かに「シナリオはおろか、ゲームマスターの準備もなにもなく」ていいけれど、「何をやっても同じだが、やらなければ失敗」となっています。少なくとも、井上氏が説く通りの「自由なTRPG」では無い、というのが私の結論です。

ところで「シナリオクラフト」は、本当に「想像力の続く限り、無限に」遊べるものでしょうか?答えは「その通り」です。ただし、プレイヤーやゲームマスターではなく、ゲームデザイナーの「想像力が続く限り」。そして各テンプレートが「無限に」提供され続ける限り。「シナリオクラフト」とはゲームマスターの代役をゲームデザイナーが務めるものであって、ゲームマスターから省かれた手間はゲームデザイナーが面倒をみなくてはならないのです。

…余談。実のところ私は「シナリオクラフト」のような仕掛けが大好きで、最近では「ハーンマスター」のランダムエンカウンター表など見て悦に浸ったりもしています。無作為に生じた状況について想像力を巡らすのは、楽しくてなりません。もちろん、ランダムであれば「自由」ということもありませんけどね。

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