メイン >  卓上RPG考  >  「自由」に遊ぶ 理論篇

回転翼さんからトラックバックをいただきました。大変良いご指摘に感謝します。

私の考える「自由」は、「何をやってもよい」とほぼ同義です。おそらく私の説明が不足しているのは、「何」の部分に入るものは「行動」であって、「結果」ではない、ということでしょう。つまりは「どのような行動をやってもよい」ということであって、「結果」は誰の「自由」にもなりません。

例えば、プレイヤーが自分のPCによってNPCに「殴りかかる」という「行動」を取らせるのは、「プレイヤーの自由」です。ただし「殴りかかる」ことの「結果」が「殴った」となるか「殴れなかった」となるかは、「ゲームデザイナーの自由」である行為判定ルールで決められます。また「ゲームマスターの自由」であるNPCの「行動」も行為判定ルールに組み込まれ、結果に影響を与えるでしょう。「結果」は三者(判定が無ければ二者)の「行動」の間に発生するわけです。

「それが過程や結果に活かされる」の「それ」には、「行動」と「結果」の双方が含まれます。「結果」が「殴った」にせよ「殴れなかった」にせよ、「殴りかかる」という「行動」は同じです。「結果」のみならず「行動」が、そのNPCの次の「行動」などに影響し、更にはシナリオ全体の流れにも関わっていく。これが「過程や結果に活かされる」ということです。

他方「管理」においては、シナリオ内でのPCの「行動」は「プレイヤーの自由」ではなく、「ゲームマスターの意図」に合わせることが求められます。結果を管理者を任せることを代償にして、プレイヤー間の「結果平等」が期待されるのです。

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