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    <title>卓上RPGを考える</title>
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    <updated>2012-01-30T13:19:38Z</updated>
    <subtitle>鏡(kagami@rpgjapan.com）が卓上RPGについて考えたこと、など(ご意見はご自身のブログからどうぞ。トラックバックを頂ければ、別エントリーでお返事いたします。)</subtitle>
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    <title>ゴールデンルールの向き不向き</title>
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    <published>2012-01-30T12:47:38Z</published>
    <updated>2012-01-30T13:19:38Z</updated>

    <summary>「ゴールデンルール」に向いているゲームプレイと、向いていないゲームプレイについて</summary>
    <author>
        <name>鏡</name>
        <uri>http://www.rpgjapan.com/</uri>
    </author>
    
        <category term="11 ゴールデンルール考" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.rpgjapan.com/kagami/">
        <![CDATA[<p>ここまで考察した通り、FEAR社が導入した「<strong>ゴールデンルール</strong>」とは、「<a href="http://www.rpgjapan.com/kagami/2011/11/gm.html">極端なゲームマスター主導</a>」と「<a href="http://www.rpgjapan.com/kagami/2011/12/post-249.html">ゲームデザイナー主導</a>」とを指向しています。両者を不可分とすれば、全体のヒエラルキーは次のようになります。カッコ内は、若干の補足。</p>

<blockquote><ol>
<li>ゲームデザイナー(の意図)</li>
<li><strong>ゴールデンルール</strong>(という<strong>遊び方</strong>)</li>
<li>ゲームマスター(とそのシナリオ)</li>
<li><strong>ルールシステム</strong>(および世界設定)</li>
<li>プレイヤー(とそのキャラクター)</li>
</ol></blockquote>]]>
        <![CDATA[<p>このようなヒエラルキーを「ルールの基本」とし、「あらゆるルール、およびデータなどに優先」することで、それに向いているゲームプレイは遊び易くなり、向いていないゲームプレイは遊び難く、あるいは遊べなくなります。</p>

<p>まず、<strong>「ゴールデンルール」に向いているゲームプレイ</strong>について。</p>

<ul>
<li>コンベンションのように、しばしば<strong>初対面の相手と、制限された時間内に遊ばねばならない</strong>場合に向いています。それ以外でも、ゲームプレイ以外のコミュニケーションを望まない場合に向いています。どう遊ぶかを、自分たちで決めなくて良いためです。</li>
<li>小説や映画などを創るように、<strong>ゲームマスターが用意した物語を、参加者全員で協力して完成させていく</strong>ゲームプレイに向いています。</li>
<li>「<strong>上手なゲームプレイ</strong>」なるものがあると信じて、それを全員で目指す場合に向いています。「上手なゲームプレイ」とはしばしば、ゲームマスターの予定通りにプレイヤーが動いたことを指します。</li>
<li><strong>能動的なゲームマスターと受動的なプレイヤー</strong>との組み合わせに向いています。ゲームマスターは「シナリオの中でプレイヤーにやらせたいこと」を明確に持ち、そうなるよう誘導します。権限と責任、そして労力はゲームマスターに集中します。</li>
<li><strong>リプレイを書く</strong>ためのゲームプレイに向いています、多分。</li>
</ul>

<p>次に、<strong>「ゴールデンルール」に向いていないゲームプレイ</strong>について。</p>

<ul>
<li>ゲームシステムをどのように用いて遊ぼうか、などと語り合って「遊び方」を決める過程を楽しみたい場合には向いていません。こういう贅沢な遊び方は、環境面で難しかろう、とも思いますが。</li>
<li>能動的なプレイヤーと受動的なゲームマスターとの組み合わせには向いていません。プレイヤーが各々「シナリオの中でキャラクターにやらせたいこと」を持ち、ゲームマスターはそれを調整するだけなら、権限と責任、そして労力は分散します。</li>
<li>創作の練習としてのゲームプレイには向いていません。</li>
</ul>

<p>最後の「創作の練習としてのゲームプレイ」については、大塚英志『<strong>キャラクター小説の作り方</strong>』(講談社現代新書)を参照のこと。例えば「ゲームマスターは常に脇道に逸れそうになるキャラクターを何とか事前に考えたプロットに誘導させることでお話を進行させることに上達するはず」(p.179)としていますが、「ゴールデンルール」の下ではゲームマスターがプレイヤーを誘導し易くなるので、その練習にはならないわけです。</p>

<p>ところで<strong>「ゴールデンルール」は、必ずしも初心者向きではありません</strong>。「小説や映画のようなゲームプレイ」「リプレイのようなゲームプレイ」を望む初心者、「何をすれば良いか」の通りに遊びたい初心者には向いています。しかしながら、「どのように遊びたいか？」と話し合うところから始めた方が良い初心者もいて、そういう者には向いていないのです。</p>

<p>結局のところ、<strong>向き不向きがある</strong>、とはごく当たり前で、「ゴールデンルール」とて<strong>万能でも万人向けでも無い</strong>、というだけのこと。自分の好みを「万人向け」と信じて問題を起こすよりは、それが何に向いているか、何に向いていないか、と事前に考察しておいた方が良いのです。</p>

<p>それでもまた、やはり「その名に反して」とは言わなくてはなりません。参考までに、本来の「ゴールデンルール」(黄金律)とはどのような概念なのか、次回まとめておく予定です。「金科玉条」ではありませんよ。</p>]]>
    </content>
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    <title>ゴールデンルール以外のヒエラルキー</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.rpgjapan.com/kagami/2012/01/post-251.html" />
    <id>tag:www.rpgjapan.com,2012:/kagami//4.550</id>

    <published>2012-01-14T12:30:28Z</published>
    <updated>2012-01-18T14:00:58Z</updated>

    <summary>「ゴールデンルール」が無いゲームシステムにおける「遊び方」の決定について</summary>
    <author>
        <name>鏡</name>
        <uri>http://www.rpgjapan.com/</uri>
    </author>
    
        <category term="11 ゴールデンルール考" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.rpgjapan.com/kagami/">
        <![CDATA[<p>今回は、本来の「クトゥルフ神話TRPG」(CoC)などのように、<strong>「ゴールデンルール」や「FEAR型成長点ルール」を用いていないゲームシステムの「遊び方」</strong>について述べます。そこでは、どのようなヒエラルキーが成立するのか、というと、厳密には「ヒエラルキー」にはならないのだけど。</p>]]>
        <![CDATA[<p>まずは定義。ここでいう<strong>「遊び方」とは、ルールシステムや世界設定をどのように用いて遊ぶか、ということ</strong>です。「ゴールデンルール」などとして特定の遊び方が明記(強制)されていなければ、どのように遊ぶかは参加者が決めます。「ゲームデザイナーの意図」などはどうでも良いことで、そのゲームシステムを購入した<strong>ユーザーがどのように楽しみたいか、で決めれば良い</strong>のです。</p>

<p>例えばCoCであれば、「死んだり狂ったりするのを楽しむ」か「クトゥルフ神話の脅威と対決するのを楽しむ」か(など)に加え、舞台となる時代の常識にどの程度まで従うか、暴力など嫌悪感を抱くかも知れない描写をどこまで行うか、プレイヤーによる行動描写はどこまでPCの行為判定に影響を与えるか、などの選択があります。それらの組み合わせによって、「遊び方」は多種多様となるのです。</p>

<p>実際のゲームプレイの現場では、どのように遊ぶか、は「何となく」でも何とかなっています。多種多様と分かっていれば、「何となく」合わせられますから。稀に、「遊び方」のひとつを「<strong>ゲームデザイナーの意図に適う、正しい遊び方</strong>」だと思い込んで、他の参加者との間で問題を引き起こす者もいますが。それはさておき。</p>

<p>以下、「ゴールデンルール」以外の場合のヒエラルキー、みたいなもの。例によって上位から順に。</p>

<blockquote>
<ol>
<li>遊び方の決定者</li>
<li><strong>遊び方</strong>(ルールシステム等の使い方)</li>
<li><strong>ルールシステム</strong>(および世界設定) </li>
<li>ゲームマスターまたはプレイヤー</li>
<li>プレイヤーまたはゲームマスター</li>
</ol>
</blockquote>

<p>上記「<strong>遊び方の決定者</strong>」とは、ゲームデザイナーではありません。ユーザー、即ち<strong>ゲームマスターかプレイヤーかの誰かが提案</strong>し、それに<strong>ゲームマスターとプレイヤーとの全員が合意</strong>して決まります。提案と合意とを省略して、「何となく」ゲームマスターに合わせて、またプレイヤー同士で互いに調子を合わせて、大抵は何とかなります。公式リプレイに準拠、という手もありますが、全員が一通り読んでおかねばならなくなるし、解釈に差が生じたりもして、面倒かも知れません。</p>

<p>ゲームデザイナーは、といえば、ルールシステムおよび世界設定の提供者に過ぎません。「自分がデザインしたのだから、自分が思う通りに遊ばれるべきだ」と欲したところで、ゲームプレイの現場を管理するなどできやしません。「理想のゲームプレイ」を実現したければ、それは自分自身が参加するゲームプレイの中で試みれば良いのです。「自分はこのように遊びたい」なら自然なこと、「他人にこのように遊ばせたい」は余計。</p>

<p>さて、決められた「遊び方」に基づいて、「<strong>ルールシステムおよび世界設定</strong>」が運用されます。「遊び方」に合わせて、データや各種設定などが変更されたり、追加されることもあるでしょう。それらの諾否も「遊び方の決定者」全員によりますが、事後承諾もありえます。例えば、最後の敵のデータがゲームマスター自作の場合。「遊び方」からひどく逸脱していなければ問題になりません。そのために「遊び方」が上位にあるのです。</p>

<p>その下は、「(極端でない)ゲームマスター主導」なら「<strong>4.ゲームマスター、5.プレイヤー</strong>」、「プレイヤー主導」なら「<strong>4. プレイヤー、5. ゲームマスター</strong>」となります。両者は隔絶していませんので、ゲームプレイの過程で、時に位置が逆転します。例えば「ゲームマスター主導」であっても、PCの行動はルールシステム通りであれば、保障されます。そのような行動の結果、シナリオで予定された展開が変わってしまっても、ゲームマスターはそれを受け入れなくてはなりません。ルールシステムはゲームマスターよりも上位にあるためです。</p>

<p>最上位(1)の「遊び方の決定者」が最下位(4,5)の「ゲームマスターおよびプレイヤー」と同一人物なのですから、厳密には<strong>これは「ヒエラルキー」では無い</strong>よなぁ、と考える次第。ゲームマスターとプレイヤーとは、ゲームプレイの内容がどちらの主導であっても、<strong>「遊び方の決定者」としては全参加者が平等</strong>、とも言えます。</p>

<p>これらに比して「ゴールデンルール」という特異な「遊び方」は結局、どのようなゲームプレイに向いているのか、あるいは向いていないのか、次回考察します。</p>]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>新年のご挨拶</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.rpgjapan.com/kagami/2012/01/post-250.html" />
    <id>tag:www.rpgjapan.com,2012:/kagami//4.549</id>

    <published>2012-01-13T12:38:30Z</published>
    <updated>2012-01-13T12:43:24Z</updated>

    <summary>平成二十四年壬辰新春のご挨拶とささやかな抱負</summary>
    <author>
        <name>鏡</name>
        <uri>http://www.rpgjapan.com/</uri>
    </author>
    
        <category term="雑記" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.rpgjapan.com/kagami/">
        <![CDATA[<p>平成二十四年壬辰(みずのえたつ)の新春にあたり、各位に心からの御慶びを申し上げます。本年も宜しくお願いいたします。</p>]]>
        <![CDATA[<p>例によって年末年始は仕事が忙しいのですが、どうにかこうにか落ち着いてきましたし、幸い今年は体調を崩してもおりません。良かった良かった。</p>

<p>さて、肩慣らしに考察の練習でも。お題は「<strong>壬辰</strong>」。</p>

<p>「<strong>壬</strong>」は「水の兄」で、勢いの強い水。「<strong>辰</strong>」は「土行」に属し、「水行」とは相克の関係とのことで、即ち「<strong>土克水</strong>」。これを<strong>治水</strong>のこと、と解釈したいと思います。昨年は津波や豪雨などで多くの被害があり、いまだ復旧は適っておりません。本年こそは、復旧、復興を成し遂げ、更には同規模の災害に対する備え(治水)を完成させるべき、と。占いは、善い方向に解釈するのが吉。</p>

<p>災害で犠牲になった方々は、結局は残された者の身代わりとして逝かれたのだ、と考えるのが良いでしょう。そして、同じ悲劇を繰り返さないよう工夫と努力をすることで、それを購うことができるのだ、と。いずれまた同じ規模の大津波がどこかに来た時、どれだけ被害を抑えることができるか、が大切なのです。</p>

<p>原発問題などは科学的に、冷静に対処すればよいことです。例えば毎日、きちんと出汁をとった味噌汁を食べるなど。それはそうと、あそこの使用済み燃料棒はどうなったのだろうか。新しい貯蔵施設を作ってでも、より安全に保管すべきと思いますが。廃炉を云々するより、そちらの方が先決であろうに。</p>

<p>正月がめでたい理由は、昔は全員の誕生日だったからとか、祖先の霊が帰ってくるからとか、日本建国の日だったからとか、諸説ありますが。過去を素直に反省し、新しい行動を考える機会でもあるはず。身近な問題から天下国家の大事まで、失敗を恐れず、野心的になってみるにも良い折です。</p>

<p>取りあえずの抱負としては、昨年中に終えられなかった論考でもとっととまとめたいところです。「<a href="http://www.rpgjapan.com/kagami/rpg110/">ゴールデンルール</a>」絡みは、あと四回くらいか知らん。小さい、小さい。いまはちょっと、先のことまで考える余裕が無いのです。</p>]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>CoC用FEAR型成長点ルール</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.rpgjapan.com/kagami/2011/12/cocfear.html" />
    <id>tag:www.rpgjapan.com,2011:/kagami//4.548</id>

    <published>2011-12-27T11:46:39Z</published>
    <updated>2011-12-27T12:00:44Z</updated>

    <summary>戯れに、CoCに「FEAR型成長点ルール」と「ゴールデンルール」とを導入してみること</summary>
    <author>
        <name>鏡</name>
        <uri>http://www.rpgjapan.com/</uri>
    </author>
    
        <category term="11 ゴールデンルール考" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.rpgjapan.com/kagami/">
        <![CDATA[<p>今回はちょいと悪戯。私が最も愛好する「<strong>クトゥルフ神話TRPG</strong>」(Call of Cthulhu；以下<strong>CoC</strong>)に、無理矢理「<strong>FEAR型成長点ルール</strong>」を導入するとどうなるか、という思考実験をしてみます。<a href="http://www.rpgjapan.com/kagami/2011/12/post-249.html">『AR2E』における「成長点の配布」の2～4番目に相当する部分</a>を入れ替えることになります。</p>

<p>もっとも、ご存知の通りCoCには、「成長点」に相当するルールはありません。「技能」は、点数ではなく確率で成長しますよ、さぁ困った。取りあえず、「成長点によるPCの成長」は考えず、「成長点の配布」だけ作ります。手順は次の通り。</p>]]>
        <![CDATA[<ol>
<li>ゲームマスターとプレイヤーとにやらせたい遊び方を決める</li>
<li>その遊び方になるような行為や能力値等の数値変化を考える</li>
<li>その行為や数値の変化によって成長点が得られるようにする</li>
</ol>

<p>まず、ゲームデザイナーは、ユーザー(ゲームマスターとプレイヤーと)に、そのゲームシステムをどのように遊んで欲しいか、を決めなくてはなりません。ここではプレイヤー担当のキャラクター(PC)が「<strong>死んだり狂ったりしていくのを楽しむ</strong>」という遊び方を選んだことにしておきましょう。</p>

<p>次に、「死んだり狂ったり」するような行為や、それを示す能力値等の数値変化について考えます。一つ目は露骨に、PCが死んだり狂ったりした場合。二つ目として、破滅までの途中であっても「正気度」が減っただけ貰えることとします。三つ目に、せっかく作ったシナリオなのだから、その真実を知ってから破滅して欲しい、ともします。</p>

<p>後は、これらで何点の「成長点」が得られることにするか、を決めるだけ。例えば、次の通り。</p>

<blockquote><ul>
<li>PCが破滅(死ぬか完全に狂うか)したなら、3点</li>
<li>シナリオ中に減った「正気度」2につき、1点</li>
<li>シナリオの真実を知った(とGMが判断した)ら、5点</li>
</ul></blockquote>

<p>上記のルールで「成長点」を多く貰おうと思えば、プレイヤーはPCに、身体的にも精神的にも最も危険そうな行動をさせつつ、シナリオの真実に迫ろうとするでしょう。もちろんゲームマスター(キーパー)も、シナリオの真実を知る過程に、正気度を減らす機会をたっぷり盛り込んだシナリオを作ることでしょう。</p>

<p>他には、真実がクトゥルフ神話と関係あれば何点、神話生物と遭遇したら何点、クトゥルフ神話的固有名詞をPCが知る度に1点、クトゥルフ神話技能が1％増える度に1点、などとしておけば、必ずクトゥルフ神話と直結したシナリオが求められます。Non-Mythos(非クトゥルフ神話)シナリオなど、お呼びではありません。</p>

<p>更には、あるPCの行動やその結果が他のPCの正気度を下げたなら何点、とした日には、さぞや恐ろしいゲームプレイとなりそうで...。</p>

<p>さて、もし「遊び方」が変わるなら、どうなるでしょう。例えば、PCが「<strong>人類を守るべくクトゥルフ神話の脅威と対決するのを楽しむ</strong>」とした場合では？以下、試案。具体的な点数は省略。</p>

<blockquote><ul>
<li>邪悪な陰謀を食い止めたなら、...点</li>
<li>神話生物を撃退したなら、...点</li>
<li>危機から救った重要NPC一人当たり、...点</li>
</ul></blockquote>

<p>最後に、どちらにしても忘れていけないのは、次のような「<strong>ゴールデンルール</strong>」を明示しておくことです。</p>

<dl>
<dt>セッションの目的</dt>
<dd style="list-style-type: none;">(中略)</dd>
<dd style="list-style-type: none;">最初の説明でも書いたが、TRPGは参加者全員が"楽しい"と思えば勝利である。では、参加者全員が"楽しい"と思える――つまり、勝利する条件とはなんだろうか。</dd>
<dd style="list-style-type: none;">この条件について、『<strong>CoC</strong>』では、もう少し具体的に定義してみたい。なぜなら、勝利することを実現するためにどのように行動するべきかを、参加者それぞれに考えてもらった方がセッションが面白くなる――と我々は考えているからである。</dd>
<dd style="list-style-type: none;">それでは、『<strong>CoC</strong>』の勝利について定義しよう。</dd>
<dd style="list-style-type: none;">とはいっても、それほど難しいことではない。参加者全員ができるだけ多くの成長点を得る。それが『<strong>CoC</strong>』における勝利である。</dd>
<dd style="list-style-type: none;">そして、『<strong>CoC</strong>』はそのように行動したセッションが面白く、そして楽しいも のになるようにデザインされている。成長点を得るための項目に「セッションに最後まで参加した」「他のプレイヤーを助けるような発言や行動を行った」 「セッションの進行を助けた」などがあるのもそのためだ。</dd>
<dd style="list-style-type: none;">全参加者が協力したり、助け合ったりすることで多くの成長点を得る――これを『<strong>CoC</strong>』のセッションの目的として、プレイして欲しい。</dd>
</dl>

<p>...などと。</p>

<p>このように記載して「<strong>成長点を少しでも減らすような行動は、セッションをつまらなくすることである</strong>」と暗示しておけば、「成長点の配布」ルールに逆行する行動や考えを封じることができます。ゲームマスターやプレイヤーの誰もが、(成長点ルールおよびゴールデンルールの)<strong>ゲームデザイナーが期待する通りに遊ぶ</strong>よう「管理」できるわけです。</p>

<p>しかし実際のCoCには、そのようなルールはありません。ゲームデザイナーが作成したルールシステム(および世界設定)でどのように遊ぶかは、ゲームマスターとプレイヤーとが「自分で決める」(自由)、あるいは成り行きで決まることです。そこにはどのようなヒエラルキーが成立するのか、次回述べる予定です。</p>]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>ゴールデンルールと成長点ルール</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.rpgjapan.com/kagami/2011/12/post-249.html" />
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    <published>2011-12-24T13:29:07Z</published>
    <updated>2011-12-24T13:51:47Z</updated>

    <summary>「ゴールデンルール」の「セッションの目的」と「FEAR型成長点ルール」との連携について</summary>
    <author>
        <name>鏡</name>
        <uri>http://www.rpgjapan.com/</uri>
    </author>
    
        <category term="11 ゴールデンルール考" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.rpgjapan.com/kagami/">
        <![CDATA[<p><a href="http://www.rpgjapan.com/kagami/2011/11/gm.html">前々回の論考</a>で予告した通り、今回は<strong>「ゴールデンルール」と「成長点ルール」との関係</strong>について考えます。「ゴールデンルール」の内「<strong>セッションの目的</strong>」では、「GMの権限」および「ルール運用で間違った場合」で説かれた(極端な)「ゲームマスター主導」とは異なることが説かれています。以下、考察。</p>]]>
        <![CDATA[<p>卓上RPGのゲームシステムには、プレイヤーが担当するキャラクター(PC)の行動などによって点数が与えられ、その点数によってキャラクターの力量が高まる(成長する)ルールを採用しているものがあります。このような点数の呼称は「経験点」「経験ポイント」などと様々で、『AR2E』では「成長点」と呼ばれます。</p>

<p>「成長点」のような点数は多くの場合、特定の行為をしたPCに与えられ、そのPCのみを成長させます。もちろん、そのPCがゲーム内で死んでしまったなら、成長点は意味を持ちません。このような成長点は、<strong>ゲーム内世界の中だけで機能</strong>する、いわば<strong>自然法則のようなもの</strong>です。どのような行為が成長に相応しいか、はゲームデザイナーによる「世界観」によって決まり、必ずしも参加者の楽しみとは関係ありません。</p>

<p>これに比して、FEAR製RPGシステムでしばしば採用されている、いわば「<strong>FEAR型成長点ルール</strong>」には、次のような特徴があります。</p>

<ol>
	<li><strong>成長点は、キャラクターではなく、プレイヤーに与えられる。</strong>キャラクターが途中で死んでも、生き残った他のキャラクターと同じ成長点が得られる。</li>
	<li><strong>成長点は、プレイヤーだけでなく、ゲームマスターにも与えられる。</strong>プレイヤーが得る成長点が多いほど、ゲームマスターが得られる成長点も多くなる。</li>
	<li><strong>成長点は、そのプレイヤーが作成した、どのキャラクターにも使える。</strong>ゲームマスターは、プレイヤーとして作成した、どのキャラクターにも使える。</li>
</ol>

<p>具体例として、『AR2E』における「成長点の配布」(『ルールブック(1)』p.219)は次の通りです。下記(2)～(4)末尾のカッコ内には参考として、巻末のサンプルシナリオをプレイヤー4人で遊んだ時に得られる最高点を示しておきます。</p>

<dl>
<dt>プレイヤーへの成長点の配布</dt>
<dd>(1) (PCが死んでも)セッションに最後まで参加したら、1点</dd>
<dd>(2) ミッションに成功したら、 GMの任意の点数(6点)</dd>
<dd>(3) 遭遇したエネミーのレベルの合計÷PCの人数(6点)</dd>
<dd>(4) 遭遇したトラップのレベルの合計÷PCの人数(1点)</dd>
<dd>(5) 「よいロールプレイをした」なら、1点</dd>
<dd>(6) 「他のプレイヤーを助けるような発言や行動を行った」なら、1点</dd>
<dd>(7) 「セッションの進行を助けた」なら、1点</dd>
<dd>(8) 場所の手配やスケジュール調整などを行ったら、1点</dd>
<dt>ゲームマスターへの成長点の配布</dt>
<dd>プレイヤーへの成長点の合計値÷3、プレイヤーが2人なら合計値÷2(24点)</dd>
<dd>場所の手配、スケジュール調整などを行ったら、1点</dd>
</dl>

<p>上記(2)～(4)は特に重要で、ゲームによっては変更され、明確な算定手順によって、他よりも多くの成長点が与えられます。ゲームデザイナーによってこの部分に示された内容に従って、ゲームマスターがシナリオを作成し、プレイヤーがキャラクターを動かせば、最も多くの成長点が得られるのです。</p>

<p>このような「FEAR型」の成長点は、プレイヤーやゲームマスターが貰える、いわば<strong>ご褒美のようなもの</strong>となっています。ゲームデザイナーが示した通りに、回数多く遊ぶほど、多く貰えますから、そのゲームへの愛好度あるいは忠誠度を示す指標として、<strong>ゲーム内世界の外でも機能</strong>します。</p>

<p>さて、このような成長点ルールは、とりわけ参加者の参加姿勢を統一する点で、秀逸です。しかしながら、本当に「<strong>参加者全員ができるだけ多くの成長点を得る</strong>」「<strong>ように行動したセッションが面白く、そして楽しいものになるようにデザインされている</strong>」でしょうか。陽陰二通りの解釈を試みます。</p>

<p>まずは陽画的(ポジティブ)な解釈で、書かれたままに読みます。『AR2E』で言うならば、「できるだけ多くのエネミーやトラップと遭遇してミッションに成功する」ように参加者全員が行動すれば、と。しかし、エネミーやトラップとの遭遇やミッションの成功、あるいは成長点の多さに興味を示さない者もいますし、そういう者まで「面白い」「楽しい」と思うようなデザインとは考えられません。ゲームであれば何でも楽しい、という者もいますが、それはデザインと関係ありません。</p>

<p>そこで陰画的(ネガティブ)に、各要素を反転して解釈。「<strong>参加者の誰かが</strong>」「<strong>できるだけ多くの成長点を得られないように行動したセッションが</strong>」「<strong>不愉快で、つまらないものになるようにデザインされている</strong>」と。これなら頷けます。例えば『AR2E』で、プレイヤーの誰かがエネミーとの遭遇を避ければ、他のプレイヤーや、少なくともゲームマスターの分の成長点も減るようにデザインされています。エネミーとの遭遇の多さ、あるいは成長点の多さを喜ぶ者なら、減ったことを「不愉快」「つまらない」と思うでしょうから。</p>

<p>もし、成長点に「楽しさ」という価値が付加されなければ、ゲームマスターもプレイヤーも成長点ルールには拘らず、自分が楽しいと思うままに遊ぶでしょう。<strong>「ゴールデンルール」の「セッションの目的」の真の目的は、ゲームマスターやプレイヤーを成長点ルールに従わせ、「ゲームデザイナーの意図」通りに遊ばせることにある</strong>、と私は考えます。即ち「<strong>ゲームデザイナー主導</strong>」であって、次のようなヒエラルキーが成立します。</p>

<ol>
<li>ゲームデザイナー</li>
<li>ゴールデンルール</li>
<li>ユーザー(ゲームマスターとプレイヤー)</li>
</ol>

<p>ところで、「ゴールデンルール」が無い場合はどうなっているのか、そのようなゲームシステムにFEAR型成長点ルールを導入するとどうなるか、などにも別途触れる予定です。その後、ここまで考察した「ゴールデンルール」がどのようなゲームプレイに向いており、また向いていないか、についても考えてまいります。 </p>]]>
    </content>
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    <title>参考 ： プレイヤー主導という遊び方</title>
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    <id>tag:www.rpgjapan.com,2011:/kagami//4.545</id>

    <published>2011-11-18T12:33:50Z</published>
    <updated>2011-11-22T12:42:58Z</updated>

    <summary>「ゲームマスター主導」の対極にある「プレイヤー主導」という遊び方について</summary>
    <author>
        <name>鏡</name>
        <uri>http://www.rpgjapan.com/</uri>
    </author>
    
        <category term="11 ゴールデンルール考" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.rpgjapan.com/kagami/">
        <![CDATA[<p><a href="http://www.rpgjapan.com/kagami/2011/11/gm.html">前回の論考</a>では、「ゲームマスター主導」の遊び方について述べました。それと相対する遊び方として、「<strong>プレイヤー主導</strong>」というものがありますので、こちらも紹介しておきます。</p>

<p>まず、「プレイヤー主導」におけるヒエラルキーは、例えば次のようになります。</p>]]>
        <![CDATA[<blockquote><ol><li>ルールシステム</li><li>プレイヤー</li><li>ゲームマスター</li></ol></blockquote>

<p>「プレイヤー主導」とは、<strong>プレイヤーがやりたいことにゲームマスターが対処してゲームプレイを成立させる遊び方</strong>のことです。ゲームマスターは、プレイヤーがキャラクターを使って遊ぶための「場」や「材料」を準備し、それを「<strong>シナリオ</strong>」と呼びます。プレイヤーは基本的には「<strong>何をしても良い</strong>」ので、「シナリオ」を参考にして「<strong>何をしたいか</strong>」(キャラクターに何をさせたいか)を考え、「<strong>何をするか</strong>」(キャラクターに何をさせるか)を決めます。もちろん、ルールシステムはプレイヤーよりも上位にありますから、それを曲げることは許されませんが。</p>

<p>「シナリオ」は、ひとつのダンジョンのみであったり、複雑な人間関係を伴う登場人物群であったり、あるいは、放っておけば悲劇に至る状況であったり、有為転変を秘めた日常であったり、と様々です。内容は何であれ、<strong>プレイヤーがしたいようにするのが最も面白い</strong>、という認識を共有します。ちなみに、ゲームマスターも他の登場人物(NPC)に、したいようにさせます。</p>

<p>以下、「何をしても良い」ことの例を示します。「シナリオ」作成時に、プレイヤーが「するかも知れない」行動が幾つか想定されますが、プレイヤーの発想次第で想定外の行動もあるでしょう。</p>

<blockquote><ol>
<li>プレイヤー用キャラクターは、どのような人物であっても良い</li>
<li>キャラクターは、どのように事件や登場人物に関わっても良い</li>
<li>どのような情報を、どのように探るかは、プレイヤーが決める</li>
<li>どの相手を敵とし、いつどこで戦うかは、プレイヤーが決める</li>
<li>ある戦いで、勝つか、負けるか、逃げるかは、プレイヤー次第</li>
<li>ある謎を、いつどこで解くか、解かないかは、プレイヤー次第</li>
<li>ある分かれ道などを、どちらに進むかは、プレイヤーが決める</li>
<li>いつどこでクライマックスを迎えるか迎えないかは、成り行き</li>
<li>事件や登場人物と別れるか別れないかは、プレイヤーが決める</li>
<li>プレイヤーかキャラクターが成長点を何点得るかは、成り行き</li>
</ol></blockquote>

<p>「何をするか」(キャラクターに何をさせるか)はプレイヤーが決め、それが「できた」か「できなかった」かはルールシステムが決め、それによって他の登場人物(NPC)や周囲の環境がどうなったかはゲームマスターが決めるのです。選ばれるべき正解や選択肢は無く、<strong>キャラクターに何をさせるかはそのプレイヤーの自由</strong>です。</p>

<p>余談ですが、ある人が何をするかを自分で決められることを「<strong>自由</strong>」と言います。自由でない、とは、何をするかを自分では決められず、他人に決められること、誰かに「<strong>管理</strong>」されることです。例えば奴隷は、自分がすべき行動を自分で決められず、主人(マスター)に決められるので、「自由」ではなく、主人に「管理」されていることになります。「自由」には「<strong>責任</strong>」が伴うので「管理」された方が楽、というのも確かですが。</p>

<p>さて、プレイヤーは「何をしても良い」のですから、その「シナリオ」で「してはいけない」ことなどありません。ルールシステムや世界設定はゲームデザイナーが、「シナリオ」はゲームマスターが用意してくれますが、それらを用いてどのように楽しむか、はプレイヤーに任されます。<strong>プレイヤーは能動的に「楽しむ参加者」であり、ゲームマスターは受動的に「楽しんでもらう参加者」となります</strong>。両者の関係は、スポーツやグルメなど様々なゲームイベントの企画者と参加者との関係、あるいは、各種ゲームのデザイナーとユーザーとの関係に似ています。(もちろん、いわゆる「やらせ」のような、台本のあるイベントは除きます。)</p>

<p>「プレイヤー主導」は、<strong>仲間内でのゲームプレイ、特にキャンペーンプレイ</strong>に適しています。最初のシナリオはしばしば、プレイヤーたちがどういうキャラクターを作ったか、に基づいて作られます。次回のシナリオは、前回プレイヤーが何をしたか、そしてそれからどうするか、を参考にして作られます。プレイヤーは世界設定資料なども読まなくてはならないため、負担が増えます。その分ゲームマスターは楽ができます。「楽しい」のはどちらか、はともかく。</p>

<p>なお、ゴールデンルールとその前身のような「極端なゲームマスター主導」があるように、「<strong>極端なプレイヤー主導</strong>」もあります。プレイヤーはルールシステムを変えてよい、ゲームマスターはプレイヤーに任せる、というような。このような「遊び方」は、現実には困難です。しばしばプレイヤー間の諍いを招きますので。私の経験では、プレイヤーの一人(最年長者)が後付のキャラクター設定で情報を得ようとした事例くらいです。</p>

<p>まとめますと、ヒエラルキーによって「遊び方」は四種類に分類できる、ということです。次の通り。</p>

<blockquote><ul><li>極端なゲームマスター主導 (ゲームマスター＞ルールシステム＞プレイヤー)</li><li>ゲームマスター主導 (ルールシステム＞ゲームマスター＞プレイヤー)</li><li>プレイヤー主導 (ルールシステム＞プレイヤー＞ゲームマスター)</li><li>極端なプレイヤー主導 (プレイヤー＞ルールシステム＞ゲームマスター)</li></ul></blockquote>

<p>私は一応すべて体験しましたが、「やれ」とは言いませんよ。好みとか、向き不向きというものもありますから。けれど、知っておくだけでも損はないでしょう。あるものの良さはそのものの悪さを知ることで分かり、何に向いているかは何に向いていないかを知ることで理解できるのですから。</p>

<p>次回は「ゴールデンルール」に戻り、それと「成長点ルール」との関係について考えます。</p>]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>ゴールデンルールのGM主導</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.rpgjapan.com/kagami/2011/11/gm.html" />
    <id>tag:www.rpgjapan.com,2011:/kagami//4.542</id>

    <published>2011-11-12T11:12:23Z</published>
    <updated>2011-11-18T12:40:38Z</updated>

    <summary>「ゴールデンルール」が指向する「ゲームマスター主導」の遊び方について</summary>
    <author>
        <name>鏡</name>
        <uri>http://www.rpgjapan.com/</uri>
    </author>
    
        <category term="11 ゴールデンルール考" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.rpgjapan.com/kagami/">
        <![CDATA[<p><a href="http://www.rpgjapan.com/kagami/2011/11/post-248.html">前回の論考</a>で、<strong>「ゴールデンルール」は極端な「ゲームマスター主導」を指向している</strong>、と述べました。今回は、この「ゲームマスター主導」とはどのような遊び方なのか、ということを説明します。</p>

<p>「ゲームマスター主導」とは、<strong>ゲームマスターがプレイヤーを導いてゲームプレイを成立させる遊び方</strong>のことです。ゲームマスターは、プレイヤーが「<strong>何をすれば良いか</strong>」(キャラクターに何をさせればよいか)を、あらかじめ決めておき、その集まりを「<strong>シナリオ</strong>」と呼びます。プレイヤーは、ゲームマスターから与えられる情報などから「何をすれば良いか」を読み取り、「シナリオ」通りにゲームプレイを進めるように努めます。</p>]]>
        <![CDATA[<p>「シナリオ」は、単純なダンジョン探索であったり、複雑な人間関係を伴うドラマであったり、あるいは、結果として生じる物語が一本道であったり、複数に分岐するのであったり、と様々です。内容は何であれ、ゲームプレイが「シナリオ」通りに進むことが望まれ、最後までそうであれば「<strong>成功</strong>」となります。ゲームマスターもプレイヤーも、<strong>「シナリオ」通りの展開が最も面白い</strong>、という暗黙の了解を共有します。</p>

<p>以下、「シナリオ」の中にある「何をすれば良いか」の例を示します。各々の問いについて、回答がひとつだけの場合もあれば、複数の選択肢があってどれでもよい場合もあります。正しい答や選択肢は、何らかの方法で、プレイヤーに伝えられなければなりません。</p>

<blockquote><ol>
<li>プレイヤー用キャラクターは、どのような人物であれば良いか</li>
<li>キャラクターは、どのように事件や登場人物に関われば良いか</li>
<li>キャラクターは、どのような情報を、どのように得れば良いか</li>
<li>キャラクターは、どの相手を敵とし、いつどこで戦えば良いか</li>
<li>キャラクターは、ある戦いで、勝てば良いか、負ければ良いか</li>
<li>キャラクターは、ある謎を、いつ、どこで、どう解けば良いか</li>
<li>キャラクターは、ある分かれ道などを、どちらに進めば良いか</li>
<li>キャラクターは、いつどこでクライマックスを迎えれば良いか</li>
<li>キャラクターは、どのように事件や登場人物と別れれば良いか</li>
<li>プレイヤーかキャラクターは、成長点を何点ほど得れば良いか</li>
</ol></blockquote>

<p>余談ですが、「何をすれば良いか」の選択肢が多いことを「自由度が高い/大きい」、少ないことを「自由度が低い/小さい」とも言います。この「<strong>自由度</strong>」とは、ゲームマスターの管理下でプレイヤーに許される範囲を示すのであって、プレイヤーが「自由でない」ことが前提となります。「自由度が高い」ことと「自由である」こととは違うのです。むしろ高低(大小)を逆にして「<strong>管理度</strong>」とでも呼んだ方が実態に合います。</p>

<p>さて、もしプレイヤーがキャラクターの行動を自分で(自由に)決めたなら、「シナリオ」から外れて「<strong>失敗</strong>」になってしまうかも知れません。「何をすれば良いか」が分からなければ、「<strong>何をしてはいけないか</strong>」も分かりませんから、分からないのに行動することは危険です。<strong>ゲームマスターが能動的にプレイヤーを導き、プレイヤーは受動的にゲームマスターに従う</strong>、という役割に徹することが肝要です。</p>

<p>このような役割分担について、『<strong>AR2E</strong>』の『<strong>ルールブック (1)</strong>』(富士見書房、2011年)p.304～305には次のように示されています。以下、文中の太字は筆者(＝鏡)によります。</p>

<dl>
<dt>GMの役割</dt>
<dd style="list-style-type: none">GMはセッション中に、プレイヤーの分身である<strong>PCたちが活躍する冒険の舞台を用意し、危険な状況に彼らを遭遇させ、しかるべき結末に導いていく</strong>。つまり、<strong>GM以外の参加者は受動的にゲームに参加する</strong>のに対して、<strong>GMはセッションのすべての段階に主導的、かつ能動的にゲームに参加する</strong>ことを求められているわけだ。</dd>
<dd style="list-style-type: none">さらにはセッション以外の時間にも、次のセッションに備えてシナリオの作成(もちろん、シナリオに登場するNPCやエネミーのデータを作成することになる)を行う必要もある。何やら大変なことばかりだが、その<strong>苦労はゲームの成功によって十二分に報われる</strong>。そして、GMは他の参加者に対する奉仕者ではない。GMとプレイヤーは"ゲームを楽しく遊ぶ"ことにおいて対等である。GMはホストプレイヤー――つまり、<strong>参加者を楽しませる参加者</strong>である。GMもセッションを楽しむ参加者のひとりであることを忘れないようにしよう。</dd>
</dl>

<p>ゲームマスターが能動的に「<strong>楽しませる参加者</strong>」であるならば、プレイヤーは受動的に「<strong>楽しませてもらう参加者</strong>」となります。両者の関係は、小説における著者と読者との関係、映画における製作者と観客との関係に似ています。これをして、他のゲームと比べて「<strong>小説や映画のようなゲーム</strong>」と評価することも可能でしょう。</p>

<p>「ゲームマスター主導」では、<strong>ゲームマスターに苦労が集中</strong>しますが、プレイヤーとの協力によって成立するゲームプレイは<strong>完成度が高い</strong>ものとなり、全員一丸となって<strong>大きな達成感</strong>が得られます。<strong>コンベンションなどでの、特に一回きりのゲームプレイ</strong>に適しており、また<strong>リプレイ</strong>との相性も良い、と思われます。</p>

<p>このような<strong>「ゲームマスター主導」の長所を最大限に活かすべく工夫された遊び方が、「ゴールデンルール」である</strong>、と私は考えます。そのために、前回述べたようなヒエラルキーが必要とされたわけです。</p>

<p>例えば一般的な「ゲームマスター主導」では、ゲームマスターによるルールシステムの適用にプレイヤーが異を唱えれば、ゲームプレイを中断してゲームマスターはプレイヤーを説得して納得させるか、さもなくば適用を改めなくてはなりません。プレイヤーは、上位のゲームマスターに従いますが、ゲームマスターが更に上位のルールシステムに違反するなら、それを諌めることができるのです。</p>

<p>それに対して「ゴールデンルール」では、ルールシステムの解釈のみならず、変更や不使用までもがゲームマスターの自由とされ、プレイヤーはそれに「異を唱え、ゲームの進行を停滞させてはならない」とあります。<strong>ルールシステムは、ゲームマスターが「シナリオ」を運用するための道具</strong>に過ぎません。「ゴールデンルール」によってゲームマスターは、プレイヤーに邪魔されることなくゲームプレイを管理できるのです。</p>

<p>もちろん、「ゴールデンルール」発表以前にも、このような遊び方はあったでしょう。しかし、このような極端な「ゲームマスター主導」が受け入れられるのは難しかったと思います。公式なルールシステムをゲームマスターが私的に変更するなど許し難い、という反発は少なくなかったでしょうから。その意味では、それが<strong>「ゴールデンルール」として公認されたことに大きな意義があった</strong>のです。</p>

<p>ところで、「ゴールデンルール」における「セッションの目的」は、「参加者全員が"楽しい"と思える」こととされていました。そしてそれは、「<strong>参加者全員ができるだけ多くの成長点を得る</strong>」ことで示される、とも。となると、「楽しませる参加者」であるゲームマスターが「成長点ルール」においてどのような役割を果たすのか、が重要となります。その<strong>「ゴールデンルール」と「成長点ルール」との関係</strong>については次々回考察するとして。</p>

<p>次回は、「ゲームマスター主導」に相対する「<strong>プレイヤー主導</strong>」の遊び方について、参考までに紹介しておきます。</p>]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>ゴールデンルールのヒエラルキー</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.rpgjapan.com/kagami/2011/11/post-248.html" />
    <id>tag:www.rpgjapan.com,2011:/kagami//4.539</id>

    <published>2011-11-06T12:47:18Z</published>
    <updated>2011-11-09T11:15:01Z</updated>

    <summary>「ゴールデンルール」で成立する、特異なヒエラルキーについて</summary>
    <author>
        <name>鏡</name>
        <uri>http://www.rpgjapan.com/</uri>
    </author>
    
        <category term="11 ゴールデンルール考" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.rpgjapan.com/kagami/">
        <![CDATA[<p><a href="http://www.rpgjapan.com/kagami/2011/11/post-247.html">前回の論考</a>で、<strong>「ゴールデンルール」は、ある特異なヒエラルキー(階級制)を成立させる</strong>、と述べました。それは、上位から順に、次のような序列です。</p>

<blockquote><ol><li>ゲームマスター</li><li>ルールシステム</li><li>プレイヤー</li></ol></blockquote>]]>
        <![CDATA[<p>何が「特異」かというと、ゲームマスターをルールシステムよりも上位に置いていることです。このヒエラルキーは、「ゴールデンルール」の次の文章から読み取られます。</p>

<blockquote><ul>
<li><strong>GMはルールを作成、および変更、さらには存在するルールを適用しなくともよい。</strong>(ルールの裁定)</li>
<li><strong>GMはみずからが行なう(たとえばNPCの)判定やダイスロールの結果を、ダイスを振らずに自由に決定できる。</strong>(結果の棄却、および決定)</li>
<li>(GMによるルールの変更や無視が上記「ルールの裁定」によるものなら、)<strong>プレイヤーもGMの裁定に異を唱え、ゲームの進行を停滞させてはならない。</strong>(ルール運用を間違った場合)</li>
</ul></blockquote>

<p>これに対して、より一般的なヒエラルキーは、例えば次のようなものです。</p>

<blockquote><ol><li>ルールシステム</li><li>ゲームマスター</li><li>プレイヤー</li></ol></blockquote>

<p>より一般的なヒエラルキーでは、<strong>ゲームマスターはプレイヤーと同じく、ルールシステムに従わなくてはなりません</strong>。ルールの変更や不適用、判定無しの結果決定などは、プレイヤーに許されないのと同様、ゲームマスターにも許されません。これはスポーツなどで、<strong>審判であってもルールを変えることは許されない</strong>のと同じことです。ルールシステムを守る、という点で、ゲームマスターとプレイヤーとは対等なのです。</p>

<p>もちろん、適用できるルールが無い場合などに、ゲームマスターがそれを自作することはありえます。その場合でも、その自作ルールを使用する前に、他の参加者全員に説明し、許可を得なくてはなりません。ゲームマスターが勝手にルールを変えてしまったり、ダイス目を無視して判定結果を決めたりするようでは、プレイヤーは安心してゲームプレイを楽しめませんから。</p>

<p>これに対して<strong>「ゴールデンルール」では、ゲームマスターだけはルールシステムに従っても従わなくても、どちらでも構わない</strong>ことになっています。プレイヤーは、基本的にはルールシステムに従い、ゲームマスターがルールシステムに従わない場合にはゲームマスターに従います。つまり<strong>プレイヤーが従う相手は、ルールシステムではなく、ゲームマスターなのです</strong>。ゲームマスターには、プレイヤーに対する絶対的な権限が与えられている、と言ってよいでしょう。</p>

<p>なぜ、ゲームマスターにルールシステムを曲げる権限が必要なのか？ルールシステムを曲げてまで実現しなくてはならないことがあるのか？という問いは、後々考察するとして。</p>

<p><strong>ルールシステムよりゲームマスターが優先する</strong>、という遊び方は、「ゴールデンルール」以前にもありました。「ゴールデンルール」の前身として、両者を比較すると面白いので、ここに一例を紹介します。例によって太字部分は著者(鏡)によります。</p>

<blockquote><p>ＲＰＧにおいては、「ルール」より「ゲームマスター」が、そして「ゲームマスター」より「ゲーム」が優先するのです。だからこそ、<strong>ゲームを守るためにゲームマスターがルールを覆すことが許される</strong>というわけです。</p><p>繰り返しますが、ゲームマスターは神ではありません。権力を行使する際には、なぜそうするのかをプレーヤーに説明し、支持を得る必要があるのです。</p><p>そして、プレーヤーが「美しいストーリーを守るため」「お約束の展開にするため」「その方がカッコいいから」といった理由でゲームのルールを破ることに納得するとは決して思わないで下さい。</p><p>ゲームマスターは任意にルールを破ってよいわけではありません。<strong>ルールを破ってよいのは、ゲームを守るために他に手がない場合だけ</strong>であり、その場合でも必ずプレーヤーへの説明と了解が必要とされるのです。</p><p>(『馬場秀和のマスターリング講座』「3.4 ゲームマスターの裁量」より)</p></blockquote>

<p>さて、「ゲーム」を守るにせよ、他の何かを守るにせよ、<strong>ゲームマスターが主導的にゲームプレイを管理し、プレイヤーはそれに従う</strong>、というような「遊び方」を、私は「<strong>ゲームマスター主導</strong>(型)」と分類しています。冒頭で示した二種類のヒエラルキーは、どちらも「ゲームマスター主導」に類するものです。</p>

<p>そして「ゴールデンルール」では、一般的な「ゲームマスター主導」に比べて、ゲームマスターの権限が遥かに強化されています。ルールシステムですら、ゲームマスターには逆らえないのですから。このことから<strong>「ゴールデンルール」は、極端な「ゲームマスター主導」を指向している</strong>、と解釈するのです。</p>

<p>では、その「ゲームマスター主導」とは具体的にどういうものなのか、について次回詳しく述べてまいります。その対概念である「プレイヤー主導」についても、別途記す予定です。</p>]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>ゴールデンルールという遊び方</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.rpgjapan.com/kagami/2011/11/post-247.html" />
    <id>tag:www.rpgjapan.com,2011:/kagami//4.540</id>

    <published>2011-11-02T13:15:00Z</published>
    <updated>2011-11-07T01:42:19Z</updated>

    <summary>「ゴールデンルール」とは、遊び方のひとつである、ということ</summary>
    <author>
        <name>鏡</name>
        <uri>http://www.rpgjapan.com/</uri>
    </author>
    
        <category term="11 ゴールデンルール考" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.rpgjapan.com/kagami/">
        <![CDATA[<p>卓上RPGには、様々な「<strong>遊び方</strong>」があります。「遊び方」とは、<strong>ゲームプレイにおいてルールシステムや世界設定をどう使って遊ぶか</strong>、という方法のことです。「メタルール」と言ってもよいのですが、下位の「ルールシステム」と混同されそうなので、私は「遊び方」と呼んでいます。</p>

<p>これら「遊び方」のひとつを、<strong>FEAR</strong>社は「<strong>ゴールデンルール</strong>」(黄金律)と名付け、自社製RPGシステムにしばしば採用しています。このカテゴリーでは、この「ゴールデンルール」がどのような「遊び方」なのか、その中に見出される「<strong>FEARらしさ</strong>」とは何か、などについて考えてまいります。</p>]]>
        <![CDATA[<p>まず、考察の対象となる「ゴールデンルール」全文(一部省略)を引用します。『<strong>アリアンロッドRPG 2E</strong>』(以下、AR2E)の『<strong>ルールブック (1)</strong>』(富士見書房、2011年)p.18～21所収のもの、ただし文中の太字は筆者(＝鏡)によります。</p>

<dl>
<dt>ゴールデンルール</dt>
<dd style="list-style-type: none;">『AR2E』は、ゲームの参加者全員が協力してひとつの物語を創る。そして、その物語が生まれる過程、そして物語そのものを楽しむゲームでもある。これらを満たすため、そして円滑にゲームを運用するために、本書ではもっともルールの基本となるゴールデンルールを規定する。</dd>
<dd style="list-style-type: none;">ゴールデンルールは、本書および今後発表される『AR2E』に関連する<strong>あらゆるルール、およびデータなどに優先する</strong>。</dd>
<dt>GMの権限</dt>
<dd style="list-style-type: none;">『AR2E』のセッションを遊ぶGMに、次の権限と能力を与える。ただし、これらの権限や能力を行使するにあたって、<strong>GMは可能な限り正しいルールで遊ぶ</strong>こと。加えてすべてのセッションの参加者(GMを含む)に対して、<strong>公平なルールの適用を心がける</strong>こと。</dd>
<dt>ルールの裁定</dt>
<dd style="list-style-type: none;">セッション中に演出されている空間は、参加者の想像力とルールによって仮想された、もうひとつの現実である。本書では可能な限り"ゲーム内の現実"をシミュレートするためのルールを掲載しているが、それでもルールに記述されていない事態は発生する。</dd>
<dd style="list-style-type: none;">GMは、そのような事態が発生した際に、あるいはルールの運用に迷う場合に、どのように裁定するかを決定するかを決定する最終的な権利を持つ。それにともない、<strong>GMはルールを作成、および変更、さらには存在するルールを適用しなくともよい</strong>。</dd>
<dt>結果の棄却、および決定</dt>
<dd style="list-style-type: none;">GMはみずからが確認していない、あるいは許可していないプレイヤーの判定やダイスロールの結果を棄却し、プレイヤーにダイスロールを行わせることができる。</dd>
<dd style="list-style-type: none;">また、GMはみずからが行なう(たとえばNPCの)<strong>判定やダイスロールの結果を、ダイスを振らずに自由に決定できる</strong>。</dd>
<dt>ルール運用を間違った場合</dt>
<dd style="list-style-type: none;">もし、GM、あるいはプレイヤーがルールの適用を間違った場合、速やかに訂正し、以降は正しいルールにしたがって処理すること。</dd>
<dd style="list-style-type: none;">この時、すでにルールの処理が終わり、結果が出ていることについては、基本的に時間を巻き戻すなどして、結果を変更してはならない(これはスポーツで一度決定した結果がそうそう覆らないのと同じだ)。このような"巻き戻し"を始めると、際限がなくなる可能性がある。その結果、GMの持つルールの裁定権は有名無実となってしまう。そうなってしまったら、<strong>個々の参加者がルールを勝手に解釈し、結果を裁定するようになるかもしれない</strong>。これを防ぐため、時間の"巻き戻し"を行ってはならない。</dd>
<dd style="list-style-type: none;">なお、間違ったルールの適用がされる前に、そのことをプレイヤーが指摘するのは間違った行為ではない。GMはただちにルールを確認し、正しいルールを適用すること。ただし、「ルールの裁定」に基づいている場合はこの限りではない。また、<strong>プレイヤーもGMの裁定に異を唱え、ゲームの進行を停滞させてはならない</strong>。</dd>
<dt>セッションの目的</dt>
<dd style="list-style-type: none;">TRPGをプレイすること、あるいはそのために集まることをセッションという。</dd>
<dd style="list-style-type: none;">セッションは参加者全員が充実した楽しい時間を過ごすことを目的としている。そして、最終的なセッションの目的とは、参加者全員が"また『AR2E』を遊ぼう"と思い、そのように行動することである。</dd>
<dd style="list-style-type: none;">最初の説明でも書いたが、TRPGは参加者全員が"楽しい"と思えば勝利である。では、参加者全員が"楽しい"と思える――つまり、勝利する条件とはなんだろうか。</dd>
<dd style="list-style-type: none;">この条件について、『AR2E』では、もう少し具体的に定義してみたい。なぜなら、勝利することを実現するためにどのように行動するべきかを、参加者それぞれに考えてもらった方がセッションが面白くなる――と我々は考えているからである。</dd>
<dd style="list-style-type: none;">それでは、『AR2E』の勝利について定義しよう。</dd>
<dd style="list-style-type: none;">とはいっても、それほど難しいことではない。<strong>参加者全員ができるだけ多くの成長点を得る</strong>。それが『AR2E』における勝利である。</dd>
<dd style="list-style-type: none;">そして、『AR2E』はそのように行動したセッションが面白く、そして楽しいものになるようにデザインされている。成長点を得るための項目に「セッションに最後まで参加した」「他のプレイヤーを助けるような発言や行動を行った」「セッションの進行を助けた」などがあるのもそのためだ。</dd>
<dd style="list-style-type: none;">全参加者が協力したり、助け合ったりすることで多くの成長点を得る――これを『AR2E』のセッションの目的として、プレイして欲しい。</dd>
<dt>『ルールブック(1)』と『ルールブック(2)』</dt>
<dd style="list-style-type: none;">(省略)</dd>
<dt>用語早見表</dt>
<dd style="list-style-type: none;">(省略)</dd>
</dl>

<p>以上です。</p>

<p>「ゴールデンルール」の萌芽は『<strong>トーキョーNOVA The Revolution</strong>』(新紀元社、1998年)p.122に既に見受けられ、命名されて以後も度々記述が変わってきました。上記「ゴールデンルール」は、『<strong>ダブルクロスThe 3rd Edition</strong>』(富士見書房、2009年)とほぼ同じで、完成度が一層高まったものと言えましょう。</p>

<p>さて、上記「ゴールデンルール」のような「遊び方」には、次のような特徴が見出されます。</p>

<ol>
<li>「ゴールデンルール」は、ある特異な<strong>ヒエラルキー</strong>を成立させる。</li>
<li>そのヒエラルキーは、極端な「<strong>ゲームマスター主導</strong>」を指向する。</li>
<li>「ゲームマスター主導」とすべく、<strong>成長点</strong>ルールを活用している。</li>
</ol>

<p>これら各特徴について、次回論考から述べてまいります。更には、「ゴールデンルール」がどのようなゲームプレイに向いているのか、また向いていないのか、についても。</p>]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>論題「首ナイフ」の本質</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.rpgjapan.com/kagami/2011/10/post-246.html" />
    <id>tag:www.rpgjapan.com,2011:/kagami//4.541</id>

    <published>2011-10-22T12:31:00Z</published>
    <updated>2011-11-09T11:13:49Z</updated>

    <summary>「首ナイフ」とは、ゲームプレイの状況とルールシステムの矛盾について考える論題</summary>
    <author>
        <name>鏡</name>
        <uri>http://www.rpgjapan.com/</uri>
    </author>
    
        <category term="11 ゴールデンルール考" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.rpgjapan.com/kagami/">
        <![CDATA[<p>いわゆる「<strong>首ナイフ</strong>」について、ツイッター上でも議論があったようです。その一部については、<strong>水無月冬弥</strong>さんが下記サイトにまとめておられます。</p>

<ul>
	<li><a href="http://togetter.com/li/194831">首ナイフ問題について</a></li>
</ul>

<p>「首ナイフ」については私も、旧掲示板で議論を楽しませていただいたことがあります。懐かしさの勢いで、当時の書込をウェブページに編集しました。</p>]]>
        <![CDATA[<ul>
	<li>話題別掲示板34「<a href="http://www.rpgjapan.com/old/topic34.html">首ナイフ 0～49</a>」「<a href="http://www.rpgjapan.com/old/topic34-1.html">首ナイフ 50～91</a>」</li>
</ul>

<p>その議論の中で、当時(2005年)の私は<a href="http://www.rpgjapan.com/old/topic34.html#31">次のような書込</a>をしています。<blockquote></p>

<p>「首ナイフ」のように「参加者間で状況の解釈が分かれ、プレイの障害となりかねない」状況については、回転翼さんの仰る通り、必ずしも「唯一正しい回答」はありえません。シナリオ内の都合、そこに至るまでのプレイ展開、使用するゲームシステム、参加者の嗜好などによって、ゲームプレイの現場ごとに最善手が異なるためです。</p>

<p># 例えば「プレイヤーはマスターの判断に従う」という期待が叶うか否かも、実際にはプレイヤー次第です。</p>

<p>かといって、そのような事例について各々が自分なりの考察を述べることが無意味ということはなく、次のような意義があります。</p>

<ol>
	<li>自分と同じ立場について、自分とは異なる考え方や説得法を知ることができる。</li>
	<li>自分と反対の立場について、その背景となる考え方を知ることができる。</li>
	<li>両者を折衷しうる考え方、どちらともまったく異なる考え方など、対立を生じさせないための発想を得ることができる。</li>
</ol>

<p>自分の考え方しか知らなければそれを押し付けるばかりとなりがちですが、多様な発想を知っておけばそれを考慮した上で「首ナイフ」のような状況に臨むことができるわけです。正面から意見をぶつけ合うよりは、少なくともプレイへの支障を少なく済ませることができるでしょう。</p>

<p>加えて言うと、「首ナイフ」のような問題で本当に困るのは、プレイの成り行きで突発的にそれが起こる時です。シナリオ/ゲームマスターの想定外の場面は起こり得ないという遊び方もあるかも知れませんが、そうでない遊び方においては尚一層有意義であると考えます。</p>

</blockquote>

<p>この見解は今でも変わっておりません。柔軟な発想力を得るために、誰もがこの思考実験に参加することをお勧めします。</p>

<p>さて、「首ナイフ」とは本質的に、「<strong>ゲームプレイにおいて、ゲーム中の状況とルールシステムとの間に矛盾がある場合、どのように対処するか</strong>」を問う論題です。その状況を処理するためのルールシステムが無いのではなく、<strong>対応するルールシステムはあるのだけれど状況と辻褄が合わない</strong>、ということが前提となります。</p>

<p>更に、解決方法を決めた後に問われる「裏の論点」もあります。「首ナイフ」は大抵「悪漢NPCが人質NPCに首ナイフ」という状況が示されますが、<strong>「NPCがPCに首ナイフ」「PCがNPCに首ナイフ」「PCがPCに首ナイフ」した場合でも同じ処理を行うのか</strong>、という問いかけです。</p>

<p>ところで昨今は「首ナイフ」に関して、FEAR社が示した「エキストラ」概念や「ゴールデンルール」が取り沙汰されているようです。</p>

<ul>
	<li>「<strong>エキストラ</strong>」とは、プレイヤーやゲームマスターが任意に即死させられるNPCのことです。人質が「エキストラ」であれば、ルールシステム通りで人質を即死させられるわけですから、「首ナイフ」という論題そのものが成立しません。人質が「エキストラ」であればよい、とは、人質のヒットポイントが1であればよい、というのと同じことです。人質は「エキストラ」ではない、として考えなくてはなりません。</li>
	<li>「<strong>ゴールデンルール</strong>」とは、私が言うところの「遊び方」の一種です。これを用いれば、ゲームマスターが人質を即死させたければ「GMは(中略)存在するルールを適用しなくともよい」、即死させたくなければ「GMは可能な限り正しいルールで遊ぶ」こととなり、解決方法の一例となりえます。それに従えば良し、では、状況とルールとの矛盾について自分の頭で考える、という意義は失われますが。</li>
</ul>

<p>なお、「<a href="http://www.rpgjapan.com/kagami/2011/11/post-247.html">ゴールデンルール</a>」の問題点というか、その本音については、別途に論じる予定です。</p>

<p>「首ナイフ」と同等に良くできた思考実験として、他には「<strong>粉塵爆発</strong>」というのもあります。その「本質」は、「首ナイフ」のそれとは、もちろん異なりますけれども。</p>]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>努力しなくてもよかったRPG</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.rpgjapan.com/kagami/2011/10/rpg-12.html" />
    <id>tag:www.rpgjapan.com,2011:/kagami//4.529</id>

    <published>2011-10-03T12:32:06Z</published>
    <updated>2011-10-22T12:43:58Z</updated>

    <summary>「努力しなくてもよいRPG」が、しばしば過去の遺物と成り果てる背景事情</summary>
    <author>
        <name>鏡</name>
        <uri>http://www.rpgjapan.com/</uri>
    </author>
    
        <category term="10 努力しなくてもよいRPG" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.rpgjapan.com/kagami/">
        <![CDATA[<p>「努力」論の三回目です。「<a href="http://www.rpgjapan.com/kagami/2011/08/post-241.html">努力とは何か</a>」の冒頭で、私は次のように述べました。</p>

<blockquote>元々、卓上RPGは「努力しなくてもよい」ものだよなぁ、という話。もっとも、それは「滅んだ」ので、「努力しなくてもよかった」というべきか。</blockquote>

<p>「努力しなくてもよいRPG」が滅んだ、とは即ち、「努力しなくてはならないRPG」しか無くなった、ということです。まずは両概念の定義から。</p>]]>
        <![CDATA[<ul>
	<li>「<strong><a href="http://www.rpgjapan.com/kagami/2011/09/rpg-11.html">努力しなくてもよいRPG</a></strong>」では、努力してもよいし、努力しなくてもよい。何について努力するかは、参加者一人一人が自分で決める。努力しないことも、自分で決める。</li>
	<li>「<strong>努力しなくてはならないRPG</strong>」では、全員が等しく努力しなくてはならない。何について努力すべきかは、皆で決める。努力してはならないことも、もしあれば、皆で決める。</li>
</ul>

<p>更に具体的に比較すべく、設問を十例ばかり挙げてみます。</p>

<ol>
	<li>すべての戦闘に勝たなくてはならないか。あるいは、勝っても負けてもよいか。</li>
	<li>すべての謎を解かなくてはならないか。あるいは、解けても解けなくてもよいか。</li>
	<li>ミッションを成功させねばならないか。あるいは、成功でも失敗でもよいか。</li>
	<li>シナリオは完結させねばならないか。あるいは、未完のままでも構わないか。</li>
	<li>キャラクターの演技や声真似をすべきか。あるいは、演じなくてもよいか。</li>
	<li>キャラクターを生き残らせるべきか。あるいは、途中で死んでも構わないか。</li>
	<li>ルールシステムを効果的に用いるべきか。あるいは、無駄に用いても構わないか。</li>
	<li>プレイ時間内に終わらなくてならないか。あるいは、尻切れトンボでもよいか。</li>
	<li>マスターの自己紹介を上手にすべきか、あるいは、上手でも下手でも構わないか。</li>
	<li>他の参加者を楽しませなくてはならないか。あるいは、自分が楽しければよいか。</li>
</ol>

<p>ゲームプレイにおいて、「しなくてはならない」こと、「すべき」ことが一つでもあれば、そのために全員が「努力しなくてはならない」ことになります。そこには、努力によって得られる「<strong>理想のゲームプレイ</strong>」が想定されています。</p>

<p>「理想のゲームプレイ」が想定されなければ、あらゆる設問において「どちらでもよい」「どうあっても構わない」、それ故「努力しなくてもよい」ことになります。目前のゲームプレイがあるだけで、それを遊ぶのみ、楽しむのみ。</p>

<p>では、「理想のゲームプレイ」とは、何を根拠として想定されるのか。次の三通りが考えられます。</p>

<ul>
	<li><strong>自分の体験や理論に基づく</strong>。その人自身が過去に体験した内で最も面白かったゲームプレイや、それを再現するための理論の実践を「理想のゲームプレイ」とする。</li>
	<li><strong>原作となった作品に基づく</strong>。そのゲームシステムの資料となった小説や映画のストーリーなどを、可能な限り忠実に再現することを「理想のゲームプレイ」とする。</li>
	<li><strong>他人の体験や理論に基づく</strong>。公式リプレイとして提供されたゲームプレイや、他人が構築した理論の中に示されたゲームのあり方を「理想のゲームプレイ」とする。</li>
</ul>

<p>まったくの「初心者」であれば、「理想のゲームプレイ」像を持っていません。原作作品やリプレイを読んでいたとしても、それらを初めて体験するゲームプレイに結びつけるのは困難です。誰であれ、自分のゲームプレイの中で試行錯誤しながら、卓上RPGの面白さを自分なりに探っていくことでしょう。放っておいても、自然と。</p>

<p>実際には、「初心者」が自分なりの面白さを見つけるまで、周囲が必ずしも放っておいてくれません。経験豊かな者がしばしば、「私と同じようにプレイせよ」「この原作小説を読め」「このRPG理論を憶えよ」「このリプレイを読め」などと、自分の「理想のゲームプレイ」を押しつけてきます。もちろん悪気からではなく、善意から。</p>

<p>善意の押しつけが生じるのは、関与する人数が増えて市場が広がり、相互に干渉できるだけの環境が整った証左です。熱意あふれる若者にとっても、理想のための努力を押しつけられることは、必ずしも不愉快ではないでしょう。押しつける側にとって、それが「<a href="http://www.rpgjapan.com/kagami/2011/08/post-241.html">無意識の努力</a>」なため、押しつけたと気づいていないこともありますが。</p>

<p>ただし、誰もが「努力しなくてはならないRPG」を望むわけではありません。卓上RPGの<strong>初心者と、その初心者を迎える卓においては、「努力しなくてもよいRPG」(努力してもよいRPG)とした方が相応しい</strong>、と私は考えます。もちろん、「努力しなくてもよいRPG」を愛好する者にとっても。</p>

<p>「滅んだ」ものの復権については、今後も考えてまいります。</p>]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>クトゥルフオンリーコンについて感謝と反省</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.rpgjapan.com/kagami/2011/09/post-245.html" />
    <id>tag:www.rpgjapan.com,2011:/kagami//4.528</id>

    <published>2011-09-27T14:17:04Z</published>
    <updated>2011-09-27T14:36:48Z</updated>

    <summary>クトゥルフ神話TRPG30周年記念コンベンションに参加した報告と御礼</summary>
    <author>
        <name>鏡</name>
        <uri>http://www.rpgjapan.com/</uri>
    </author>
    
        <category term="クトゥルフ神話TRPG" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="雑記" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.rpgjapan.com/kagami/">
        <![CDATA[<p>もう一週間ばかり前になりますが、9月18日(日)に横浜市開港記念会館で開催された「<a href="http://wiki.livedoor.jp/co_con/">クトゥルフ神話TRPG30周年記念コンベンション</a>」で遊んでまいりました。とにかく大変な盛況で、まずはスタッフ各位のご労苦を称え、その成功をお慶び申し上げます。</p>]]>
        <![CDATA[<p>到着するや、会場となった建物に感動。<a href="http://www.city.yokohama.lg.jp/naka/kaikou/">公式サイト</a>で館内見取図を入手できますが、この建物が山中とか孤島にあれば、怪事件が発生すること間違いなし。私が好きな館物ミステリーでも使えそう、というか、むしろ次回シナリオで使いたい。ビバ、文化財。</p>

<p>さて、私がキーパーとして担当した卓は、第八卓。古代ローマ帝国を舞台とする『<a href="http://catalog.chaosium.com/product_info.php?cPath=41&products_id=5047">Cthulhu Invictus</a>』を使って、「<strong>テルマエ・ロマエ</strong>」というシナリオ(正確にはキャンペーンセッティングというべき)を企画。参加プレイヤーを募った結果、4名のプレイヤーにご一緒いただくこととなりました。</p>

<p>まず、古代ローマ帝国について簡単に説明。要点は「<strong>奴隷と解放奴隷</strong>」「<strong>パトロヌスとクリエンテス</strong>」「<strong>ローマ市民の一日</strong>」の三点に絞りました。それから作成していただいたキャラクター「探索者」は、次の通り(DEXの高い順)。</p>

<ul>
	<li><strong>フルウィア・マレオッラ</strong>。女性20才の内科医。軍隊で経験を積んだ後、ローマ市内の病院に勤務。</li>
	<li><strong>アッキウス・ペラ</strong>。男性23才の船乗り。商船を降り、久々に生まれ故郷のローマにやってきた。</li>
	<li><strong>アントニア</strong>。女性16才の奴隷。ゲルマン人で、外国語に堪能。アンニウス・リグスの従者。</li>
	<li><strong>アウルス・アンニウス・リグス</strong>。男性28才の元老院議員。場末の酒場でも気軽に呑み騒ぐ御曹司。</li>
</ul>

<p>お昼休みの後にゲームプレイ開始、今回のシナリオでは三部構成による進行を試みました。第一部では、導入から情報提供の前半までを「<a href="http://www.rpgjapan.com/kagami/old/200101.html">ゲームマスター主導</a>」にて。第二部は「プレイヤー主導」で、更なる情報の収集と潜入探索などを。第三部は、結局閉会式後に慌ただしく、シナリオの背景にあった真実を、ほとんど一方通行な説明で。</p>

<p>とにかく私は一日たっぷり楽しめましたし、やりがいも存分に味わいました。私を含めて5名で協力することで、今回のメンバーでなければ成立しなかった展開を創り出せたこと間違いなし、と確信しております。素晴らしい時間を共に過ごさせていただき、プレイヤーの皆さんには心から感謝申し上げます。</p>

<p>そして以下は、反省点。</p>

<ol>
	<li>いつものことですが、ネタを詰め込み過ぎました。「130年代の古代ローマ帝国」という世界設定に、時代を同じくする『テルマエ・ロマエ』「キリスト教グノーシス派」そして「クトゥルフ神話」と来ては、いささかやり過ぎだったかも知れません。かと言って、どれが余計か、と考えても、どれかを外せるものでもありません。次回にシナリオを組む時には気をつける、というのみ。</li>
	<li>ネタの詰め込み過ぎと似たことで、情報の出し方について反省。私はいつも、「シナリオの背景設定(クトゥルフ神話的真実)」と「NPCの知識と思惑」とを元に、プレイヤーが決めた「PCの行動」に応じて、NPCから情報を出させます。事前に想定される「出るかもしれない情報」のすべてが、実際のゲームプレイには出るわけではありません。ひょっとしたらこのことが、プレイヤーからは情報不足と感じ取られる恐れがあるなぁ、と今回感じたところです。対策を練りたいと思います。</li>
	<li>改めて思い返すと、戦闘がありませんでした。自然な流れとしてそうなったのですが、せっかく古代を舞台としたのですから、参加された方にはちょっと期待外れだったかも知れません。クトゥルフ神話TRPGでは、クライマックスの描写に成功するほど、PCは逃げようとしますから、戦う機会は別の時点に用意すべきなのでしょう。古代ローマ帝国であっても無用な武装は捕まりますが、殴り合いならできたわけで...。</li>
	<li>TRPG初心者の方が御一人参加されました。力の及ぶ限りで対応したつもりですが、覚悟と準備が十分でなく、もうちょっと何か工夫できたかな、と。初心者だからルールを簡単にするとか、そういうことは考えません。完全な形を体験してもらわなければ、その面白さも味わえませんから。ルールとか技能の説明一覧でも作っておいて、お渡しできれば良かったなぁ、とは思いました。</li>
	<li>一番の失敗は、マンガ『<a href="http://www.enterbrain.co.jp/comic/TR/">テルマエ・ロマエ</a>』をご存知ない方への配慮が足りなかったことです。そういう方でも大丈夫、と事前に表明しましたから、言い逃れできません。ゲームプレイ本編(第一部、第二部)はともかく、最後は「『テルマエ・ロマエ』はクトゥルフ神話」というネタだったのですから。今更ですが、マンガの第一話だけでもコピーしてお渡しすべきでした。最後、訳が分からない、という御二方の表情を拝して悔やんだ次第です。誠に申し訳ありませんでした。</li>
</ol>

<p>以上の五点については、今後のゲームプレイに活かしてまいりたいと思います。こういうのが私にとって、次への意欲というか、活力となるのですよ。今回も面白かったし、もっと上も目指せる！と。</p>

<p>何はともあれ、コンベンションのスタッフ各位と、同じ部屋で楽しい一日を共に過ごした皆さんに、心からの感謝いたしております。有難うございました。</p>]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>努力しなくてもよいRPG</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.rpgjapan.com/kagami/2011/09/rpg-11.html" />
    <id>tag:www.rpgjapan.com,2011:/kagami//4.524</id>

    <published>2011-09-02T10:40:56Z</published>
    <updated>2011-10-03T12:43:15Z</updated>

    <summary>「努力しなくてもよいRPG」と「努力しなければならないRPG」について</summary>
    <author>
        <name>鏡</name>
        <uri>http://www.rpgjapan.com/</uri>
    </author>
    
        <category term="10 努力しなくてもよいRPG" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.rpgjapan.com/kagami/">
        <![CDATA[<p><strong>玄兎</strong>さんの論考「<a href="http://blog.talerpg.net/rpg/archives/1954">遊びに費やすコストとか</a>」に刺激を受けた考察です。先に「<a href="http://www.rpgjapan.com/kagami/2011/08/post-241.html">努力とは何か</a>」で述べた考察に基づいて、いよいよ「<strong>努力しなくてもよいRPG</strong>」と、その対極にある「<strong>努力しなくてはならないRPG</strong>」について述べます。</p>

<p>前回、三種類の「努力」を挙げました。一般に「努力」とされるものは、後の二種類ですが。</p>

<ul>
	<li>無意識の努力。日常的な行為などで、疲労や出費などが意識されなければ、努力と感じられない。</li>
	<li>望んでする努力。やりたいからしている行為では、疲労や出費などは喜ばしいものと感じられる。</li>
	<li>嫌々する努力。やらなくてはいけないからする行為では、疲労や出費などはただ苦痛でしかない。</li>
</ul>

<p>これらをそのまま卓上RPGのゲームプレイに適用すると、次のようになります。</p>]]>
        <![CDATA[<ul>
	<li><strong>無意識に努力するゲームプレイ</strong>。疲労や出費などは気にならない程度に抑え、気軽に遊ぶ。</li>
	<li><strong>望んで努力するゲームプレイ</strong>。疲労や出費などは幾らでも喜んで受け入れて、真剣に遊ぶ。</li>
	<li><strong>嫌々努力するゲームプレイ</strong>。疲労や出費などは嫌々ながらも受け入れて、やむを得ず遊ぶ。</li>
</ul>

<p>あるゲームプレイが三者のいずれであるかは、参加者一人一人で異なり、その能力や状態、嗜好や目的意識などによって個々に決まります。また卓上RPGには、データ処理、キャラクター描写、情報整理など、多様な要素が含まれますから、それらの比率などによっても変化します。</p>

<p>例えば、「キャラクター作成は難なくこなし、戦闘には情熱的に取り組むが、情報収集は苦痛に感じる」という者なら、ひたすら戦闘を繰り返すシナリオを好み、キャラクターが死んで(再作成するの)も構わない、となるでしょう。情報収集にじっくり時間をかけ、かつ巧妙にこなすべきシナリオでは、苦痛しか感じず、不満を溜め込むに違いありません。</p>

<p>そして、このような個人差をどのように扱うか、前回その選択肢を二つ挙げました。</p>

<ul>
	<li>能力・嗜好・目的達成意欲などの異なる者同士で、異なる「努力」を同居させる。</li>
	<li>能力・嗜好・目的達成意欲などの等しい者だけで、同じ位の「努力」を共有する。</li>
</ul>

<p>前者を選べば、誰もが「努力してもよい」し「努力しなくてもよい」ことになります。後者なら、共通する能力・嗜好・目的達成意欲に応じて、全員が「努力しなければならない」ことになります。</p>

<p>「<strong>努力しなくてもよいRPG</strong>」では、ゲームプレイの各要素について、望んで努力したい者だけが努力すればよい、そうでない者は努力せずにできる範囲でやればよい、とします。キャラクターの行動描写や台詞を上手く演じても、ぞんざいでも、どちらでも良い。技能や呪文などのデータを素早く的確に扱えても、いつまでも憶えられなくても、どちらでも良い。<strong>一緒にゲームプレイをできれば、他はどうでも良い</strong>、とするのです。今、目の前にあるゲームプレイにしか興味がない、それ以外に目指すものなど何もない、という姿勢です。</p>

<p>「<strong>努力しなくてはならないRPG</strong>」では、ゲームプレイの各要素ごとに、努力すべき程度が定められます。キャラクターの台詞を上手に演ずべき、とか、データを効率よく組むべき、とされれば、全員がそれに努めなくてはなりません。努める気が無い者や、努めても結果を出せない者は、いずれゲームプレイから外れることとなります。<strong>目指すものが得られないなら、一緒にゲームプレイをする意味は無い</strong>のです。目の前のゲームプレイの彼方に「理想のゲームプレイ」を見て、それを目指して全力を尽くそう、とする姿勢です。</p>

<p>なお、「努力してはならない」という選択肢は、ありそうで、ありません。「無意識の努力」を強いてしない、というのは、「意識的な努力」無しにはできませんので。</p>

<p>さて、ここで玄兎さんの<a href="http://blog.talerpg.net/rpg/archives/1954">上掲論考</a>に立ち返り、次の一文を引用します。</p>

<blockquote>

<p>でもゲームの練習っても、ねェ。<br />
色々と出来ることはあるよ。基礎からしっかりやったら効果あるよ。<br />
だけど相手がどこまでヤル気なのかって、分からないでしょう。<br />
それに、練習課題がどれだけ負担になるか、とかも。</p>

</blockquote>

<p>「努力しなければならないRPG」では、誰もが努力しなくてはなりませんから、教え合うことが当然必要です。そして「努力しなくてもよいRPG」であっても、教わった努力を実践するか否かは本人次第ですから、一応は教え合っておけば良いことになります。どちらであっても、<strong>どのように努力すれば良いか、その方法について、いつでも誰もが語って良い</strong>、のです。ただ、そのように「努力しなければならない」か、それとも「努力しなくてもよい」か、は明確にしておいた方が良いでしょうけど。</p>

<p>以上が、卓上RPGにおける「努力」についての私の考察です。</p>

<p>さて、最後に。上記のような「努力しなくてもよい」とする姿勢が廃れ、「<strong>努力しなくてもよかった</strong>」と過去形になることがあります。仕事であれ、スポーツであれ、卓上RPGであれ。何故そうなるのか、それを避けることはできるのか、について更に次回述べます。「<strong>初心者向け</strong>」とも関係のある話です。</p>]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>「努力」とは何か</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.rpgjapan.com/kagami/2011/08/post-241.html" />
    <id>tag:www.rpgjapan.com,2011:/kagami//4.523</id>

    <published>2011-08-26T23:13:14Z</published>
    <updated>2011-10-03T12:42:01Z</updated>

    <summary>「広義の努力」と「狭義の努力」、そして「望んでする努力」と「嫌々する努力」について</summary>
    <author>
        <name>鏡</name>
        <uri>http://www.rpgjapan.com/</uri>
    </author>
    
        <category term="10 努力しなくてもよいRPG" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.rpgjapan.com/kagami/">
        <![CDATA[<p><strong>玄兎</strong>さんの下記論考を拝読し、改めて思い返したこと。元々、<strong>卓上RPGは「努力しなくてもよい」もの</strong>だよなぁ、という話。もっとも、それは「滅んだ」ので、「努力しなくてもよかった」というべきか。</p>

<ul>
	<li>「<a href="http://blog.talerpg.net/rpg/archives/1954">遊びに費やすコストとか</a>」</li>
</ul>

<p>私の論考では、「コスト」ではなく、「<strong>努力</strong>」として語ります。さもなくば、私がなぜ「努力しなくてもよかった」とするのか、ご理解いただけないでしょうから。</p>]]>
        <![CDATA[<p>さて、「努力」とは、『三省堂新明解国語辞典』(第5版)では次のように定義されます。</p>

<dl>
<dt>努力</dt>
<dd>ある目的を達成するために、途中で休んだり怠けたりせず、持てる能力のすべてを傾けてすること。</dd>
</dl>

<p>しかしながらこの定義では、「努力」とされる行為に個人差が生じます。ある人にとって「努力」である行為が、他のある人にとっては「努力」ではない、ということがあるわけです。そこで仮に、あらゆる行為を「<strong>広義の努力</strong>」とし、上記定義のような「努力」とされる行為を「<strong>狭義の努力</strong>」として、考察を進めます。</p>

<p>「<strong>広義の努力</strong>」は、次の二つに分けられます。</p>

<ul>
	<li><strong>無意識の努力</strong>。日常的な行為などでは、それに費やされる疲労や出費などが意識されず、努力とは感じない。</li>
	<li><strong>意識的な努力</strong>。行為に費やされる疲労や出費などが意識されて、はじめて努力と認識される。「<strong>狭義の努力</strong>」。</li>
</ul>

<p>「無意識の努力」か「意識的な努力」(狭義の努力)かは、行為に要する<strong>体力や財力など</strong>によって分かれます。また、同じ行為者であっても、その時の<strong>環境や体調など</strong>によって、努力か否かは変わります。</p>

<p>例えば、毎日1㎞歩くことは、健康な若者にとっては「無意識の努力」でも、幼児や高齢者にはしばしば「意識的な努力」となります。健康な若者であっても、それが炎天下や台風の最中であったり、大荷物を背負っていたり、脚に怪我をしていたりすれば、それは「意識的な努力」となります。</p>

<p>「<strong>意識的な努力</strong>」(狭義の努力)は、更に次の二つに分けられます。</p>

<ul>
	<li><strong>望んでする努力</strong>。やりたいからしている行為では、疲労や出費などは、喜ばしいものと感じられる。</li>
	<li><strong>嫌々する努力</strong>。やらなくてはいけないからする行為では、疲労や出費などは、ただ苦痛でしかない。</li>
</ul>

<p>「望んでする努力」か「嫌々する努力」かは、行為者の<strong>好き嫌いや、目的を達成しようとする意欲の強弱など</strong>によって分かれます。<strong>ただ「好き」なだけか「上手くなりたい」か</strong>によっても、「望んで」か「嫌々」かは変わります。</p>

<p>例えば、体育の授業での持久走は、「走るのが好き」な者にとっては「望んでする努力」でも、そうでない者にとっては「嫌々する努力」となります。「走るのが上手くなりたい」者なら、もっと長く、もっと早く走ることを望むかもしれません。</p>

<p>ちなみに、「<strong>コスト</strong>」という語に相当するのは、「嫌々する努力」です。少なくとも「ハイコストよりもローコストの方が良い」とされる限りは。「望んでする努力」では、苦労が多ければ多いほど良いのですから。</p>

<p>これら、「無意識の努力」「望んでする努力」「嫌々する努力」の境界は、行為者によって様々です。</p>

<ul>
	<li>持久走や読書のような、<strong>一人での行為</strong>なら、個々が「自由に」やって、同じことを周囲の行為者にまで強要しなければ、何ら問題にはなりません。</li>
	<li>野球や演劇など、たとえ<strong>複数人での行為</strong>であっても、個々の「自由」を認め、その結果をそのまま受け入れられれば、これまた問題になりません。上手い者は上手いなりに、下手な者は下手ななりに参加して、それだけで良い、とする場合です。娯楽としてやるのであれば、これでも良いはずなのです。</li>
	<li>実際には複数人が関わると、しばしば個々の思惑、というか「<strong>欲</strong>」が錯綜します。野球では「試合ができればよい」から、「なるべく勝ちたい」「決して負けたくない」まで。演劇では「舞台に出られればよい」から、「観客を楽しませたい」「俳優として生計を立てたい」まで。「欲」の強い者にとっての「望んでする努力」は、「欲」の弱い者にとっては「嫌々する努力」となります。思惑の違いは、その集団の維持にとって、大きな問題となります。</li>
</ul>

<p>何はともあれ、<strong>三種類の「努力」がある</strong>、と認識すること。ある行為は、自分にとってどの「努力」であれ、他者にとっては異なる「努力」かも知れない、とわきまえておくこと。可能であれば、相手と話し合い、その異同を確認すること。このような手順を踏むことで、相互理解が可能となります。</p>

<p>そして、選択があります。</p>

<ul>
	<li>能力的な個人差や好き嫌い、目的達成意欲などが異なる者同士で、互いに異なる「努力」を同居させるか。</li>
	<li>あるいは、能力・嗜好・意欲などの等しい者だけを厳選して集まり、同じ程度の「努力」を共有するか。</li>
</ul>

<p>多様性の共存か、様々な住み分けか。個々の自由を互に許容するか、誰かが管理して全体を統べるか。どちらかが正しく、どちらかが間違っている、ということはありません。あくまでも「<strong>選択</strong>」です。</p>

<p>これら三種類の「努力」は、あらゆる行為に適用されます。もちろん、卓上RPGにも。卓上RPGにおける「努力」はどのようなものであるか、「努力しなくてもよいRPG」とは何なのか、については次回記します。</p>]]>
    </content>
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    <title>昔の論考を整理しました</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.rpgjapan.com/kagami/2011/08/post-240.html" />
    <id>tag:www.rpgjapan.com,2011:/kagami//4.522</id>

    <published>2011-08-19T10:01:37Z</published>
    <updated>2011-08-19T10:32:54Z</updated>

    <summary>近況。昔の論考をウェブページに再編集してました。</summary>
    <author>
        <name>鏡</name>
        <uri>http://www.rpgjapan.com/</uri>
    </author>
    
        <category term="雑記" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.rpgjapan.com/kagami/">
        <![CDATA[<p>前回の論考から一月余り。実家に帰ったり、夏風邪ひいたり、夏の修羅場を迎えたり、と順調な毎日でありました。</p>]]>
        <![CDATA[<p>その片手間に、過去の論考をウェブページに編集し直しておりました。一部は既に編集し終えておりましたが、1997～2006年の10年間に書いた計59本の論考(プレイレポート等も含む)を公開できたことになります。ご興味ある方は、「<a href="http://www.rpgjapan.com/kagami/old/index.html">鏡の論考一覧</a>」からご覧ください。</p>

<p>改めて読み返すと、我ながら恥ずかしくなる文章も多々あります。若さゆえの気負いというか、そういう気負いがあるうちに書いておいてよかった、というか。お粗末なのは仕方ないとして、自分の考えを正直に書いたことは確かですからね。書かない、という選択をしていたなら、きっと後悔していたことは確信できてます。</p>

<p>なお、ウェブページというのは、ブログ記事と同様、トラックバックを貼っていただけます。コメント投稿を受け付けることも可能ですが、コメントは考察に向いていないと判断しておりますので、設けておりません。十年前後も昔の論考を云々される方は、あまりいらっしゃらないでしょうが。</p>

<p>2000年に執筆した三本の論考「<strong>卓上RPGの"マニュアル"化</strong>」「<strong>CoC, シナリオ"死者からの婚約祝"(未完)</strong>」「<strong>ゲームマスター機能の分割と担当者の増員</strong>」は、うっかりデータを保存し損ねていたようで、公開できませんでした。三本目については、いまだ重要な問題ですので、いずれ現在の私の考察をまとめるかも知れません。</p>]]>
    </content>
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