苦しいことを楽しむこと

同じ漢字を用いていても、「楽しい」(たのしい)ことと「楽しむ」(たのしむ)こととは違う、と私は考えます。「苦」の対照概念である「」(らく)というのもありますが、これもまた別です。

楽しい」とは感想であり、受動的なものです。そう感じるか、感じないかは自身の感覚の正直かつ自然な発露のようですが、実際には他からの影響に容易く左右されます。要するに「楽しい」ことは、範囲の個人差はあれど、自分の意思ではコントロールできないのです。

楽しい」という感覚は、基本的に「楽」と相性が良く、「苦」とは合いません。最低限必要な「苦」に耐えられなければ、それを「楽しい」とは思わないのです。例えば、2時間同じ姿勢でいられなければ映画を楽しめず、長文読解に集中できなければ読書を楽しめないように。かくして「楽しい」ことだけを求める者にとっては、同程度に「楽しい」ならば、手間や所要時間などは少なければ少ないほど良いことになります。実際にはどの程度「楽しい」かは計測できませんし、往々にして「楽」を「楽しい」と勘違いしているだけなのですが。

対して「楽しむ」とは行為であって、能動的なものです。「楽しもう」という積極的な意志、そしてそれを成し遂げるための努力が要求されます。意志も努力も本人次第ですから、「楽しむ」ことはコントロール可能です。

楽しむ」という行為は「楽」な状況でもできますが、「苦」の中での方が「やりがいがある」ものとなります。簡単過ぎる曲の演奏や、弱過ぎる相手との競争/試合などは、「楽」ではあっても、「楽しむ」ことは返って困難です。逆に強過ぎる相手の胸を借りるのも、「失敗」や「負け」を恐れないだけの精神力が要求されるため、必ずしも「楽しむ」ことはできません。自分の力量に見合った「苦」こそが「楽しむ」ための最適解と言えるでしょう。

以上は、スポーツや文化活動など、あらゆる趣味に共通して言えることです。後者「楽しむ」などは、職業上の仕事にすら当て嵌まります。仕事を「楽しい」と感じることはないかもしれませんが、「楽しむ」ことはできるのです。そのためにも若い内に「楽しむ」原体験を持っておくことは、人生にとって有益と言えます。

最後は、卓上RPGに限って語っておきましょう。

双方向(インタラクティブ)性を特徴とする卓上RPGにおいては、「楽しい」ことと「楽しむ」ことの両方を味わうことができます。大抵の場合はどちらか片方となりますから、両方できることが好ましいのは勿論のこと、「楽しむ」ために自分の力量を見極めておくことも肝要です。

ルールシステム上で力量を表わすキャラクターレベルなどの仕掛けもありますが、それを使いこなす力量は結局プレイヤー自身に帰せられます。また、それ以上に、キャラクターデータに関わらない部分での力量も重要となります。プレイヤーの技量は、必ずしも「楽しい」だけではない過程(実践と反省、考察と試行錯誤)を通して少しずつ鍛えていく他ありません。それは「楽」とは相反する面倒な作業ですが、その結果得られる「楽しむ」悦びに比べれば大した「苦」ではありません。…最初の難関はその事実を知ることにあるのですけれども。