年金問題から年金不信問題へ

テレビや新聞ではいまだに年金の話が盛んなようですが、「年金問題」はほとんど解決した、と私は判断しています。めでたし、めでたし。

で、今騒いでいるのは、実のところ「年金不信問題」ですな。年金制度が信じられるか、いや信じられない、と云々。いささか馬鹿馬鹿しい。

貰えると信じてちゃんと納めたのに、全額貰えないのはおかしい」という発言を報道で聴きましたが、よくよく考えると、これはおかしな理屈です。もちろん「ちゃんと納めたのに、全額貰えない」ことは大問題です。しかしながら、それと「貰えると信じる」こととは関係がありません。信じれば貰える、信じなければ貰えない、という話では無いのですから。

正確に言うならば、「貰えると信じて、途中経過を確認しなかった」ので「ちゃんと納めたのに、全額貰えない」わけです。官僚というか役人は有能かつ善良で、手抜きどころかミスさえありえない。彼らは放っておいても完璧な仕事をしてくれるに違いない。だから、私は信じて、間違いが無いかなど、調べない。…けど実際には、少なくとも有能では無かったわけです。「ので」全額貰えない方がいる、なら今更騒ぐ方がおかしいのでは無いでしょうか。むしろ「信じた以上は、ダメだった結果も受け入れる」のが、筋というものでしょう。

幸い、貰えるか否かの「年金問題」は、ちゃんと調べさえすれば解決できます。問題が問題と認識されれば、解決の手を講じることができます。うまく民営化できても、完全に信用できないでしょうから、時折調査と監視するのは、利用者側の解決方法です。後は実行さえすれば、(多分)問題なし。かくして「年金問題」は解決です。

それなのに、あるいは、だからこそ、かも知れません。「年金不信問題」という、感情の問題、解決し難い内容へと流れが変わってきました。「貰えないこと」から「信じられないこと」の問題へと。なぜ変わったのか、誰かに扇動されてはいないか、などと誰もが冷静に考えてみると良いでしょう。

何にせよ、「信じれば、何をしなくても、すべて貰える」というのは、信仰というか、ただの迷信です。