卓上RPGにおける「管理」

「管理」されて遊ぶ場合についても、まとめておきます。一応先に言っておきますけど、私はここでいう「管理」を悪いものとは考えておりません。どちらも一長一短、むしろ「管理」の方が長所が大きいくらいです。

こちらでは、ゲーム参加者の中に「管理する者」と「管理される者」との関係が築かれます。「管理する者」が伝えようとする「君はこうしたいはずだ、こうしなくてはならない、こうしなさい」という「意図」を、「管理される者」が適確に受け止め、団結してその通りにゲームプレイを構築していくことになります。基本的には、次の二通りの関係があります。


  • ルールシステムや世界設定について、ゲームデザイナーがゲームマスターやプレイヤーを「管理」する。
  • ゲームプレイについて、ゲームマスターがプレイヤーを「管理」する。

ルールシステムや世界設定の中には、それらを使ってどのようにプレイして欲しいかという「ゲームデザイナーの意図」が込められています。無くてもでっち上げられます。その「意図」に従ってゲームマスターやプレイヤーが遊ぶのですから、理解し易いように提供するのが良いゲームデザインとなります。解釈の余地が大きい説明や「常識で判断せよ」では、「間違える」可能性が生じますので好まれません。命令内容が明確でないと「管理」はうまくいかないのです。

なお、現在「ゲームデザイナーの意図」の伝達は多く、公式リプレイによって代替されています。それと同じようにプレイすれば間違いない、と判断されるためです。

各ゲームプレイ(セッション)における非プレイヤー用キャラクター(NPC)の発言や行動など、プレイヤーに提供されるあらゆる情報には「ゲームマスターの意図」が込められています。プレイヤーはその「意図」を読み取り、それに従ってプレイヤー用キャラクター(PC)を行動させます。情報がどれだけあっても、その「意図」が正しく伝わらないとシナリオは攻略できませんし、最悪「何をすれば良いのか分からない」ことになります。もしプレイヤーが情報収集を延々繰り返すなら、「君はこうしなさい、と命令してくれ」という要求かも知れません。なお、「ゲームマスターの意図」は一つの筈なので、プレイヤー間で見解が分かれるのは良いことでなく、意見の一本化が必須となります。

かといって、「意図」「命令」はあまりに露骨でもいけません。難しくて分からなければ相手は「愚者扱いされた」と感じるでしょうが、易し過ぎて誰にでも分かるようでも「愚者扱いされた」と思うかも知れませんから。適度な難易度を見出すのは困難ですから、実際には遅滞無い進行を優先し、より平易な方が喜ばれるようです。「事故」が無いことが、まず求められるのです。

ところで、プレイヤーは常に「管理される者」なのでしょうか。他のプレイヤーに「意図」を投げかけて期待通りの反応を求める行為、例えば「ボケとツッコミ」などは、プレイヤーが「管理する者」に回る例かも知れません。しかし多くの場合は「管理される」ばかりで、その気楽さに慣れ過ぎて、PCに「管理」されるプレイヤーすらいるようです。「このキャラクターはこういう性格だから…」というヤツで、この「キャラクターの意図」はしばしば、プレイヤーのワガママの隠れ蓑でしかないのですが。

三者の間に結ばれる「管理」体制によって、対処不能なほどに想定外の事態、即ち「事故」は排されます。残るは安全かつ確実に遊べる環境で、映画を観たり小説を呼んだりするのに似たエンターテイメイントを味わうことができます。若干の当たり外れはあれど、「労多くして益少なし」と嘆くような努力は要求されない、居心地の良い時間

これが、「自由」を求めない、「管理」された卓上RPGの姿です。