理想のゲームを遊ぶメタ

「プレイヤーの中のメタ」の3番目は、理想的なゲームプレイを目指す場合。

卓上RPGを遊ぶからには、その最高のゲームプレイを味わいたい。そう思うのは、ごく自然な欲求です。ただ漫然と遊ぶのではなく、理想に近づけるように努力しよう、協力し合おう。そのような意志を、皆で共有するところにも悦びを感じるのです。甲子園を目指す野球部のように。

このようなプレイヤーが内包するのは、次のような階層構造です。

  1. 理想のゲーム : 卓上RPGには、理想的なゲームプレイがある。
  2. その参加者 : 理想のゲームプレイを目指し実現するために、その参加者がいる。
  3. その内容 : どのゲーム、どのようなシナリオ、誰がゲームマスター?

この場合に最上位となる、理想のゲームプレイであるか否かによって、他のすべてが評価されます。理想のゲームプレイではない、理想に近づく気配すら見えないなら、その参加者にもシナリオにも価値はありません。重要なのは、誰と遊ぶかではなく、どのように遊ぶか、なのですから。

その癖、どのようになれば「理想のゲームプレイ」なのか、それをどこまで自他に要求するのか、は多種多様です。PCの勝利を理想とする者がいれば、PCの悲劇的な死を良しとする者もいます。シナリオの想定を逸脱しなければ良しとする者がいれば、シナリオ通りではプレイヤーの存在意義がないと言う者もいます。この理想の違いが時に、求道者同士の衝突をも招きます。

理想を目指すなら、一人がそのためのゲームシステムやシナリオを提唱し、それに賛同する者が加わっていく、という形がしばしば取られます。そして大抵は、提唱者がゲームマスターを務めます。理想実現の成功を目指すに当たっては、参加者全員が等しく努力し、また反省します。

最も面白いゲームプレイを目指して、皆で努力する。これが、理想のゲーム実現を「メタゲーム」としたゲームプレイです。