私のゲームを遊ぶメタ

「プレイヤーの中のメタ」の5番目(最後)は、卓上RPGを自分用の、一人用ゲームとして遊ぶ場合。他の四種との違いは、ゲーム参加者を「自分」と「自分以外」とに分ける点です。

コンベンションに単身参加、ゲームプレイが終わるまで赤の他人と過ごし、終われば別れる。仲間意識を持つでなく、一緒に何かを目指すでもない。このように遊ぶなら、複数人で遊ぶ卓上RPGも、一人用ゲームと変わりません。他の参加者は、自分が楽しむための道具として必要なのです。コンピュータゲームを遊ぶためのコンピュータのように。

このようなプレイヤー(ゲームマスター)の内面には、次のような階層構造があります。

  1. 私のゲーム : 私が遊びたい「楽しいゲームプレイ」がある。
  2. 私の遊び : それを遊ぶために、このゲームに、ゲームマスターかプレイヤーとして参加する。
  3. 他の参加者 : そのようなゲームプレイを成立させるために、私以外の参加者が必要である。

この場合に最上位を占めるのは、「私のゲーム」即ち「私にとっての楽しいゲームプレイ」のイメージや形式です。その通りになれば良し、ならなかったなら自分以外の何かに問題があった、と評価されます。「私のゲーム」を自分で間違う筈はありませんから、大抵は他の参加者がきちんとプレイしなかったせいで上手くいかなかった、と見なされます。

どのようなものが「楽しいゲームプレイ」なのか、は人によって様々です。その人なりにゲーム経験を積み重ねた成果であったり、サークルの先輩や業界関係者のプレイを模範としていたり、あるいは公式リプレイそのままの場合もあります。複数人の「私のゲーム」を一致させるには、皆が公式リプレイに合わせるのが最善手です。他の場合は、少しの違いがプレイヤー間の衝突を引き起こすでしょう。

どのようなゲームプレイが楽しいかは、理屈ではない。ゲームを愛し、経験を積み重ねれば、自然と分かるものだ。このような信念(信仰)を、己の内面を自覚していない者が抱くことがあります。その本音は、「ゲームを愛し、経験を積み重ねた私。その私が楽しいと思うゲームプレイには、誰もが賛同すべきだ」です。悪気が無くとも、排他行為に繋がり易い思想なので、注意が必要です。

「自分にとっての楽しいゲームプレイ」を成立させるために、他の参加者と遊ぶ。これが、「私のゲーム」を遊ぶことを「メタゲーム」としたゲームプレイです。