ゴールデンルールのヒエラルキー

前回の論考で、「ゴールデンルール」は、ある特異なヒエラルキー(階級制)を成立させる、と述べました。それは、上位から順に、次のような序列です。

  1. ゲームマスター
  2. ルールシステム
  3. プレイヤー

何が「特異」かというと、ゲームマスターをルールシステムよりも上位に置いていることです。このヒエラルキーは、「ゴールデンルール」の次の文章から読み取られます。

  • GMはルールを作成、および変更、さらには存在するルールを適用しなくともよい。(ルールの裁定)
  • GMはみずからが行なう(たとえばNPCの)判定やダイスロールの結果を、ダイスを振らずに自由に決定できる。(結果の棄却、および決定)
  • (GMによるルールの変更や無視が上記「ルールの裁定」によるものなら、)プレイヤーもGMの裁定に異を唱え、ゲームの進行を停滞させてはならない。(ルール運用を間違った場合)

これに対して、より一般的なヒエラルキーは、例えば次のようなものです。

  1. ルールシステム
  2. ゲームマスター
  3. プレイヤー

より一般的なヒエラルキーでは、ゲームマスターはプレイヤーと同じく、ルールシステムに従わなくてはなりません。ルールの変更や不適用、判定無しの結果決定などは、プレイヤーに許されないのと同様、ゲームマスターにも許されません。これはスポーツなどで、審判であってもルールを変えることは許されないのと同じことです。ルールシステムを守る、という点で、ゲームマスターとプレイヤーとは対等なのです。

もちろん、適用できるルールが無い場合などに、ゲームマスターがそれを自作することはありえます。その場合でも、その自作ルールを使用する前に、他の参加者全員に説明し、許可を得なくてはなりません。ゲームマスターが勝手にルールを変えてしまったり、ダイス目を無視して判定結果を決めたりするようでは、プレイヤーは安心してゲームプレイを楽しめませんから。

これに対して「ゴールデンルール」では、ゲームマスターだけはルールシステムに従っても従わなくても、どちらでも構わないことになっています。プレイヤーは、基本的にはルールシステムに従い、ゲームマスターがルールシステムに従わない場合にはゲームマスターに従います。つまりプレイヤーが従う相手は、ルールシステムではなく、ゲームマスターなのです。ゲームマスターには、プレイヤーに対する絶対的な権限が与えられている、と言ってよいでしょう。

なぜ、ゲームマスターにルールシステムを曲げる権限が必要なのか?ルールシステムを曲げてまで実現しなくてはならないことがあるのか?という問いは、後々考察するとして。

ルールシステムよりゲームマスターが優先する、という遊び方は、「ゴールデンルール」以前にもありました。「ゴールデンルール」の前身として、両者を比較すると面白いので、ここに一例を紹介します。例によって太字部分は著者(鏡)によります。

RPGにおいては、「ルール」より「ゲームマスター」が、そして「ゲームマスター」より「ゲーム」が優先するのです。だからこそ、ゲームを守るためにゲームマスターがルールを覆すことが許されるというわけです。

繰り返しますが、ゲームマスターは神ではありません。権力を行使する際には、なぜそうするのかをプレーヤーに説明し、支持を得る必要があるのです。

そして、プレーヤーが「美しいストーリーを守るため」「お約束の展開にするため」「その方がカッコいいから」といった理由でゲームのルールを破ることに納得するとは決して思わないで下さい。

ゲームマスターは任意にルールを破ってよいわけではありません。ルールを破ってよいのは、ゲームを守るために他に手がない場合だけであり、その場合でも必ずプレーヤーへの説明と了解が必要とされるのです。

(『馬場秀和のマスターリング講座』「3.4 ゲームマスターの裁量」より)

さて、「ゲーム」を守るにせよ、他の何かを守るにせよ、ゲームマスターが主導的にゲームプレイを管理し、プレイヤーはそれに従う、というような「遊び方」を、私は「ゲームマスター主導(型)」と分類しています。冒頭で示した二種類のヒエラルキーは、どちらも「ゲームマスター主導」に類するものです。

そして「ゴールデンルール」では、一般的な「ゲームマスター主導」に比べて、ゲームマスターの権限が遥かに強化されています。ルールシステムですら、ゲームマスターには逆らえないのですから。このことから「ゴールデンルール」は、極端な「ゲームマスター主導」を指向している、と解釈するのです。

では、その「ゲームマスター主導」とは具体的にどういうものなのか、について次回詳しく述べてまいります。その対概念である「プレイヤー主導」についても、別途記す予定です。