「ルールと律令」を解釈する

拙論「論題「首ナイフ」の本質」と「ゴールデンルール解説記事について」とに、金色老子さんからトラックバックをいただきました。有難うございます。

金色老子さんは「system」というゲームシステムを発表されており、上記文中の「律令TRPG」はそのゲームデザイン理論から出た言葉です。「ルール」と「律令」という対抗概念がそれで、ご本人による定義が見つからなかったことと、カタカナ表記で英語の「ルール」と漢字表記の「律令」とを対比させる分かり難さとから、私には両概念を理解できませんでした。Togetterの「systemのまとめ」なども散見しつつ、しばらく考察しておりました。

最近になって糸口が見えてきたように思いますので、金色老子さんのゲームデザイン理論(以下、金色理論)が言うところの「ルール」と「律令」とを、私なりの解釈で説明すると次のようになります。

「律令」
律と令、すなわち奈良・平安時代の法令。(三省堂『新明解国語辞典第七版』より)
支配者が作った決まりごと。被支配者は、それに従うのみ。...という含意を持たせたか。
金色理論では、ゲームデザイナーが作ったルールシステムのこと。ユーザーはそれに従うのみ。
「ルール」
rule。会議・運動競技などを公正に行うために決めた規則。(三省堂『新明解国語辞典第七版』より)
民衆全員で作った決まりごと。自分たちで決め、自ら従う。...という含意を持たせたか。
金色理論では、現場のユーザーが作ったルールシステム。自分たちで決めれば、自ら従うはず。

つまり、「ルール」であるか「律令」であるかの分岐は、ルールシステム自体ではなく、それとユーザーとの関係にある、と解釈。なお、「ルール」がカタカナ表記なのは、民主主義は欧米から来たもの、というイメージのせいかも知れません。世の中には、カタカナであれば良いもの、という感性の持ち主もいますが。

このような解釈に基づくならば、「system」の中には次のようなヒエラルキー(階層構造、上下関係)が成立します。上から順に。

  1. 「system」という遊び方
  2. ゲームマスターとプレイヤー
  3. 「世界観」というルールシステム

「世界観」と呼ばれるルールシステムは、ゲームプレイ中に随時追加されるようですから、判例集のような意味合いも持つのかも知れません。対して、ルールシステムがすべて事前に決まっており、ゲームマスターやプレイヤーより上位にあるものが、「律令TRPG」なのでしょう。

「system」自体については、まだまだ理解が足りませんので、引き続き一年ほど考えてみるつもりです。駄目なら更に何年か。すぐに答えが出るのは、考察では無い。

さて、いまだ考察中の私でも言えること。「首にナイフ問題を鮮やかに解決するsystem」と述べることは、「ゴールデンルールなら首ナイフは解決できる」ことと同様に、無意味なことです。論題「首ナイフ」は、それを解決できないルールシステムのための思考実験なのですから。

むしろ「system」にとって有意義なのは、「system」で解決できない状況を想定することだ、と私は考えます。ゴールデンルールでもsystemでも、それで解決できない状況など無い、と主張するのは、理解や練り上げ(Development)が足りないのです。

何にせよ「首ナイフ」については、このカテゴリーでもう少し述べる予定。その本当の問題点は、「ルールシステム通りでは死なない」ことではない、という話をしてしまおうか。それなのに解決できてしまう方が問題なのだ、とかも。

以上、もうひとつの「ゴールデンルール」について考えてみました。「金色老子さんが言うところのルール」、略して「金色ルール」。