君たちは仲間だ (1998年執筆)

本論考は、1998年1月20日に発表されたものです。文中の趣旨が、現在の筆者の考察とは異なる場合もありますので、ご注意願います。

~「出会いの場面」についての一考察~

はじめに

「君たち(のキャラクター)は全員仲間だ。お互いの関係を、相談して決めてください。」

これが私のシナリオ導入部でのお定まりのセリフです。

シナリオ導入部にしばしば見られるのが、「出会いの場面」の演出です。私も、ある時はプレイヤーとして、またある時はマスターとして、それをプレイの中で体験しましたが、幾度かのそれを繰り返す内にその長所と短所に気付くようになりました。その結果、自分がマスターをする場合には冒頭のセリフから始めるのを常とするようになったのです。

以下に、なぜ「出会いの場面」を採用しなくなったのか、その理由を述べます。

「出会いの場面」の長所と短所

「出会いの場面」の長所には、次のようなものがあります。

  • 小説や映画にも良くある一場面であるので、それらの登場人物になったような気分になれる。
  • キャラクターのグループ結成から話を始めるので、物語を一から作り上げていく実感を得られる。
  • お互いの関係すらどうなるかわからない「未知」の楽しさがある。
  • 演出していった末に仲間となれば、その人間関係は、単なるお約束の「仲間」とは一線を画した、深みと現実感のあるものとなる。

しかし、それらの代償となる短所は、次の通りです。

  • 時間がかかりすぎる。単発シナリオのプレイには致命的なほどに。
  • 必ずしも上手く関係が築けるとは限らない。「仲間」どころか「同行者」にすらなれない可能性がある。
  • 上手く立ち居振る舞った結果「仲間」「同行者」となったとしても、互いの熟知には繋がらない。初対面の者同士が互いを良く知っていることは不自然であるが故に。

以上の長所・短所に基づき、私は次のように考えました。

  1. 「出会いの場面」はそれ自体楽しいものであり、うまくすれば深みのある人間関係を気付けるかもしれない。
  2. しかし、失敗すれば主題であるはずのシナリオまで行き着けない恐れがある。また、うまく関係を築けたとしても、それがシナリオに取り組む際の邪魔となる恐れや、互いの個人情報への遠慮などが懸念される。
  3. どちらにせよ、本筋に入る前に、どれだけかかるか予想できない時間をそれに費やさねばならない。

以上の考察から至った結論は、時間が有り余っている時や、ロングキャンペーンの冒頭以外には「出会いの場面」は採用すべきではない、というものでした。

「君たちは仲間だ」の長所と短所

最初から「仲間」であれば、「出会いの場面」が持つ短所の裏返しが、その長所となります。

  • お互いの情報交換や関係作りの相談には、大抵はそれほど長い時間は必要でない。マスターの協力次第ではすぐにでもシナリオに移行できる。
  • どのような関係であれ、「仲間」になれない可能性だけはなくなる。
  • 仲間という前提の下、人間関係を築くべくプレイヤー同士が相談する際に、互いのキャラクターを理解する機会と、それに十分な情報とが与えられる。

もちろんその短所は、「出会いの場面」が持つ独特の雰囲気や「物語を一から作り上げていく実感」「未知の楽しさ」「深みと現実感のある人間関係」が味わえないことです。

結論

「シナリオを楽しむ」のか、「出会い」などの「場面」を楽しむのか。その選択は個々の嗜好によるところですが、コンベンションや一部のサークルなど、時間の制限があり、以後の継続が不明の場合などは、「君たちは仲間だ」で始めた方が賢明かつ無難であると、私は考えるのです。

(以上、1998年1月20日)