重いRPGと軽いRPG (2000年執筆)

本論考は、2000年1月31日に発表されたものです。文中の趣旨が、現在の筆者の考察とは異なる場合もありますので、ご注意願います。

自分が情熱を注いでいる対象の、その将来の姿を想像するのはこの上なく楽しい行為である。またそれ無くして人は前に歩むことができないというのも確かなことである。そこで、私がこよなく愛する卓上RPGという遊戯の将来あるべき姿、あって欲しい形について述べてみよう。

私が常々主張することは、"卓上RPGは万人が楽しむことのできる遊戯である"ということである(この時点で既に異論のある方もあろうが...)。もちろん現在のものはそれに耐えうるものではない。ではより広い遊び手を得るためにはどうすればよいのだろうか?色々な角度から研究されるべき課題であるが、遊戯としての軽快さや深みなどに関しては二極化を進めるのが最善手のひとつであろうと私は考えている。それが表題にある"重いRPG"と"軽いRPG"である。

"重いRPG"は、現在市販されているものに似ている。卓上RPGを主たる趣味とし、十分な時間や労力を注げる者に遊び手は限定されるが、そこから得られる楽しみが持つ深みは代価に足るものである。(なお、テーマの"重さ"はこれに関係無い。)

"重い"ルール:
デザイナーが表現したい"舞台世界の決まり"をより確実に再現するために、ルールやデータは緻密に計算され、また参加者から独立した機構として作成される。分かり易さ/憶え易さ/応用し易さは最低条件だが、それを滞りなく運用するために参加者全員が(おそらくはルールブックを購入して)最低限度の学習をすることが要求される。
"重い"舞台設定:
現実世界(もしくはそれに準ずる世界:"外国""史実"等)の他、まったくの異世界を舞台とすることができる。公式に提供された設定資料が他からの類推より優先されるため、サプリメント等を継続して購入する必要がある。
経験の差は"重い":
経験の差は大きな影響を与える。ルールやデータの運用には慣れが必要であり、豊富な資料をプレイやシナリオ作成に活用するには、一定以上の力量が要求される。"上達"の余地が大きく、経験と力量の持ち主は敬意の対象となりうる。

"軽いRPG"は、現在私が知りうる範囲では成功例は無い。準備にもプレイにも時間と手間を少しく掛けるだけで済み、一時の愉楽を得るものである。他の娯楽の傍ら、ちょっとした機会に触れる程度の遊び手が対象となる。

"軽い"ルール:
ルールやデータは"世界を表現するもの"ではなく、参加者にその場の判断や結果を納得させるためのものとなる。正確さよりも簡単さ、再現性よりもそれ自体の面白さが優先される。重要なのは参加者に予習が必要無いことで、初心者でも数分程度で憶えられるものが良い。
"軽い"舞台設定:
"憶えなくては分からない"ことを極力少なくするため、参加者が良く知る現実に類似した世界か、せいぜい"外国""史実"等が限度となろう。現実との差異は主にジャンルによってのみ設定される。プレイに要求される公式資料等は原則として無い。
経験の差は"軽い":
経験の差による恩恵はあまり期待されない。その多寡に関わらず等しくプレイできる構造が要求される。シナリオの自作は困難なため、一度通読すれば即座に使用できる秀作が市販される必要があろう。経験を積んだ参加者でも楽しめるが、そこに初心者と大差があるべきではない。

既にお気付きの向きもあろうが、現在流通している卓上RPGの多くは、多くの者にとっては"重すぎる"のである。ファンタジーにせよSFにせよ、そのジャンルとしての概念でなく舞台世界を導入したものは遊び手を選ぶ。ルールにせよ世界にせよ、単に"それを遊ぶこと"以上のもの-例えば異世界体感や感動的な物語など-を作品に求めるならば、それは万人のものではない。[誰もが楽しめる卓上RPGとは、]遊び手は楽しみの程度を割り切り、提供する側も"作品"ではなく"遊び道具"と割り切ってはじめて成立するものとも言えよう。

以上はまだ机上の論に過ぎないが、卓上RPGの普及を理想とする私にとっては十分に現実的な試案である。私は卓上RPGの未来を上記のような姿の中に見ているし、今後それを目指した活動(デザインなど)をしていきたいと考えている。