演技を忘れよう (2000年執筆)

本論考は、2000年2月20日に発表されたものです。文中の趣旨が、現在の筆者の考察とは異なる場合もありますので、ご注意願います。

演技を「無くそう」でも「やめよう」でもないことは予め念を押しておく。

卓上RPGをはじめた当初より今日に至るまで、プレイ中の"演技"に対する私の見方は好意的ではない。自分自身の演技に自信がないのも一因だが、"上手い演技"というものをプレイ中に見た憶えが無いのが直接的な理由である。しかし他方で、私が演技を一切しないかというとそうでもなく、むしろ不可欠である。ではプレイ中の演技とはどう扱えばよいものなのだろうか?

卓上RPGは、各参加者が自分の担当する仮想人格の行動を他の参加者に口頭で"伝達"しながら物語を構築していく遊びである。この"伝達"の方法には二種ある。ひとつはその仮想人格の行動が周囲からどう見えるかを伝える「描写」という手法、もうひとつが仮想人格の行為を担当する参加者が自分自身の声や体で表現しようとする「演技」である。

私が考える「演技」の長所と短所を挙げよう。

演技の長所
セリフや感情の発露などを素直に表現できる
相手にとってもそれが直感的に分かる
演技の短所
行動や外見などを表現することは実際にはできない
上手にしようとする余り、時間とプレッシャーがかかることがある

(※「感情移入しやすい」という長所もあり、それ自体は結構なことだが、ここでは考慮に入れない。複数人がそこにいる以上第一に問われるべきは共同作業に関わる問題であり、自己の満足は別して考えねばならないのだ。)

長所で挙げた"直感的に分かり易い"という長所は、「演技をやめよう」という声を挙げさせない十分な理由であろう。しかし短所をも考え合わせれば、もうひとつの手法「描写」を以ってそれを補うのが順当である。では、両者のバランスはどうあるべきだろうか。

私の体験から鑑みるに、「描写」に比べて「演技」をしようとすると気負いすぎる傾向が見られる。卓上RPGにおける「演技」は所詮は椅子に座ったままでセリフを語るだけの、本来の演技には程遠い物である。が、それでも慣れない者にとってはセリフや口調だけでも難業であろうし、慣れを強要するのも得策ではない。それを受け入れることのできる者だけでやればよいというのは論外である。

(※慣れ以上に、"上手くやっている"と思いこむが故に滞りなくやり遂げる者もあるやも知れぬが、スムーズなのと上手いのは必ずしも同じでない。そもそも"上手/下手"など比較の問題である。条件付である以上、真に上手な演技は不可能だろう。)

演技をしようと心がけると、どうしても"上手くやろう"という意識が働きすぎる。上手くやったらやったで、相手に対するプレッシャーも強くなる。しかも演技だけでは伝えられないことが多すぎる。しかし演技は人間にとって不自然なものではない。演技を極力避けようとしていてもまったくしないことはなく、無意識に近い状態でしてしまう。相手に何かを伝えようとする際に、ふと出てきてしまう程度の演技。それは相手の心にも強くは残らないかもしれないが、負担にもならないはずだ。

"上手い演技というものをプレイ中に見たことが無い"と先に述べたが、おそらくは憶えていないだけなのではなかろうか。それはまた、現場での機能に徹した姿とも言えよう。「演技」自身のためではなく、"伝達"のための「演技」なのだ。「描写」を主とし、「演技」は自然に出てくる程度にしておく。これが私の考え至った丁度良いバランスである。

「演技」を忘れよう。願わくばその心は、情報を伝えるべき相手と共にあらんことを。