ジャッジ機能とエンターテナー機能 (2001年執筆)

本論考は、2001年12月13日に発表されたものです。文中の趣旨が、現在の筆者の考察とは異なる場合もありますので、ご注意願います。

ゲームマスターとプレイヤーの関係が決める卓上RPGの遊び方

はじめに

この度、卓上RPGにおける「自由」について考える機会を得た。過去の経験やそこから至った考えなどを整理する内に、ゲームマスター役の者が果たす機能に手掛かりがあること、またそれらによって先の雑記「卓上RPGプレイにおける「マスター主導型」と「プレイヤー主導型」」を別の角度から説明できることに気付いた。

「自由」云々は次回に譲り、ここではゲームマスターが持つ機能についてまとめることとする。

ゲームマスターの二つの「機能」

ゲームプレイ時にゲームマスターが果たす主な機能に、「ジャッジ機能」と「エンターテナー機能」の二つがある。

ジャッジ機能
各プレイヤーの担当登場人物(PC)の行動を受けて、ルール処理や状況設定などから適当な状況変化を判断し、説明する働き。
「正しさ」「公平さ」が重要。それを遵守するためには、私情を殺して機械的に(しかし柔軟に)処理すること、積極性を放棄することが要求される。「公正」であることにのみ責任がある。
この機能そのものからは楽しさを感じることはない。せいぜい、その働きに徹しきった達成感くらいである。
エンターテナー機能
状況描写/物語的変化の娯楽性によって積極的、能動的にプレイヤーを楽しませようとする働き。
「楽しさ」「面白さ」が重要。ただしその「楽しさ」とは、提供する側が「相手がそれを楽しめるだろう」と考えたものであって、一方通行なものである。「楽しませる」ことに責任がある。
小説家や映画監督になったような創作の楽しさ、喜びを得ることができる。

上記二機能の間には次のような特徴がある。

  1. 大抵のゲームマスターはこれら二機能の双方を使い分けているが、両機能を同時かつ万全にこなすことは(不可能ではないかもしれないが)極めて困難である。
  2. 同様の機能はプレイヤーにも見られ、ゲームマスターのそれに対して補完的に現れる。例えばゲームマスターが副次的に用いた機能が、プレイヤーでは主機能となる傾向がある。

また、「エンターテナー機能」と補完的な関係にある第三の機能として「オーディエンス機能」がある。「聴衆」「観客」の名を持つこの機能は、「エンターテナー機能」から与えられた内容を受け止めて、期待される通りに楽しむ働きである。この機能無しには「エンターテナー機能」は期待通りに働かない。

以上を考慮しつつ、ゲームマスターがどちらの機能に力を集中するかで、遊び方がどのように変化するかについて考えてみよう。

ジャッジ機能主力型

「ジャッジ機能主力型」は、ゲームマスターが「ジャッジ機能」に徹した場合の遊び方であり、極端な形式のひとつである。「プレイヤー主導型」に相当する。

  1. ゲームマスターは「ジャッジ機能」に徹し、プレイヤーの決めた行動に対して公正な判断を返す審判者となる。「公正さ」に責任を持つが、プレイ内容の成否には原則として関与しない。
  2. ルールシステムや世界設定は参加者の総意に基づいて選択される。シナリオはPCに活躍の場を与えるものに過ぎず、その中でどのような行動を取るかはプレイヤーの自由意志に任される。ゲームマスターはそれを制限せず、対処不能に陥ったならプレイ終了を宣言する。
  3. プレイヤーは「エンターテナー機能」に類する働きをとる。「面白い物語」を作るべく自由に行動し、「プレイヤーがゲームマスターを楽しませる」のである。この時ゲームマスターには「オーディエンス機能」が働く。
  4. ゲーム体験の質は、プレイヤー複数人の能力や相性、意思疎通によって決まる。うまくいけば、誰の想像をも越えた最上の面白さが得られるが、駄目な場合は最悪のつまらなさを味わうこととなる。
  5. ゲームマスターとの間以上に密なプレイヤー間コミュニケーションが不可欠であるから、互いによく知り合った仲間とのプレイにも向いている。

失敗した「ジャッジ機能主力型」として、ゲームマスターの「ジャッジ機能」不全(私情を交えて不公平な対処)や「オーディエンス機能」不全(PCの行動を受け入れきれない)また最低限の「エンターテナー機能」の欠如(活躍の機会の無い舞台)、プレイヤーの「エンターテナー機能」不全(無軌道な、あるいは面白みの無い行動)などがありうる。

エンターテナー機能主力型

「エンターテナー機能主力型」は、ゲームマスターが「エンターテナー機能」に主力を置いた場合の遊び方である。これも極端な形式のひとつである。「マスター主導型」に相当する。

  1. ゲームマスターは(「ジャッジ機能」も行うが)「エンターテナー機能」に主力を置く。「プレイヤーを楽しませる」接待役か芸人のような存在となり、「楽しさ」について責任を負う。
  2. ルールシステムや世界設定はゲームマスターが提供したい面白さに合わせて選択される。シナリオでは各PCの導入~理想的な展開~結末までが決められ、その中でプレイヤーは楽しむこととなる。楽しませることのできる範囲から外れないよう、ゲームマスターはPCの思考や行動の誘導、時にはもっと明確な行動制限をも行う。このような権限は「ゲームマスターがプレイヤーを楽しませる」ことで正当化される。
  3. プレイヤーはまず「オーディエンス機能」により、提供される面白さを素直に受け入れるという受動的かつ協力的な姿勢を作る。またPCの行動を決める際に「ジャッジ機能」に似た機能を用いることとなる。ゲームマスターが期待する行動を的確に判断するためである。後はゲームマスター用意した「面白い物語」を楽しむのみである。
  4. ゲーム体験の質は、ゲームマスター個人の手腕によって決まる。優れたゲームマスターと協力的/受動的名なプレイヤーが揃えば、経験に関わらず安定した楽しさが得られる。ただしどんなに面白くてもゲームマスターの期待(予定)を大きく超えることはない。
  5. プレイヤー個々の能力によって楽しみが左右されないので、ゲームマスターさえ良ければコンベンション等で遊ぶには無難な方式である。

失敗した「エンターテナー機能主力型」として、ゲームマスターの「エンターテナー機能」不全(独りよがりな物語の押し付け)や最低限の「ジャッジ機能」欠如(ご都合主義かつ不公正な展開でプレイヤーの信用を失う)、プレイヤーの「ジャッジ機能」不全(勘の悪いプレイヤー)や「オーディエンス機能」不全(話に乗ってこないPC)などがありうる。

中間形態を考える

前述した二種の遊び方は極端ではあるが、もっとも完成度の高いものでもある。単純に両者の良いところを合わせようとしても、悪い面ばかりが露出してしまう恐れが大きい。その一例として、私=鏡がゲームマスターをする際、両機能の長所を得られないかと企てた方式を紹介しよう。私の好きな「ジャッジ機能主力型」を、コンベンション等でもプレイできるよう「エンターテナー機能主力型」の要素を加えてみたものである。

  1. 「エンターテナー機能主力型」のようにルールと世界設定を選択、シナリオを作成する。次いで最も奔放なプレイヤーを想定し、期待されない行動に対する展開をも講じておく。
  2. プレイ中は「ジャッジ機能主力型」のように行う。導入はなるべくプレイヤーに任せ、予定された筋から外れても誘導は一切しない。時に脇役(NPC)が本来の居場所以外に現れて働きかける場合もある(このために考案したのが「人系列シナリオ」である)が、対処できる範囲から外れた場合は外れたまま進めるか、シナリオ終了にしてしまう。
  3. この遊び方の問題点は多い。シナリオ準備に時間がかかること。どちらの機能をも使うようにした分、どちらの機能も中途半端であること。「エンターテナー機能主力型」のような見かけ故プレイヤーが「オーディエンス機能」に徹してしまい、結局「ジャッジ機能主力型」のようなプレイヤーの動きは期待できないのだ。その上、純然たる「エンターテナー機能主力型」に比べて方向付けや反応が鈍くなる。幾度か試しているが、参加したプレイヤーにとってはあまり面白くないプレイであったかもしれない。

このような中間形態を考えるのは困難だが、今後も工夫していきたい。

他の可能性を考える

今のところ私は、各機能がゲームマスターとプレイヤーとの間で補完関係にあると考えている。が、それ以外の可能性もありえる。どこかで聞いたアイデアもあるかもしれないが、あえて機能的な構図だけを挙げてみよう。

  1. 参加者全員がジャッジ。ゲームマスターもプレイヤーも全員が「ジャッジ機能」を受け持つ。特別な思い入れ無しに、状況に合わせたルール処理を行っていく。「エンターテナー機能」はルールシステム(データ処理によってドラマが勝手に生まれる)や完成度の高いシナリオ(ほとんどゲームブックに近い?)などが受け持ち、人間はその中に示された結果を「オーディエンス機能」で受けることにより楽しまされる。
  2. 参加者全員がエンターテナー。全員が互いを楽しませようとする。「ジャッジ機能」は完成度の高いルールシステムに任せるか、あるいは省略し、「エンターテナー機能」の要請のみによって判断してしまう。「エンターテナー機能」は本質的に一方通行なので、見知らぬ相手と漫才を行うような危険がある。即ち、誰か一人でも熱/深みが異なれば、(違和感に気付かない者以外には)つまらなさしか残らない。一時期の「演技万能型プレイ」がこれに入るように思われる。
  3. 複数ジャッジと複数エンターテナー。ゲームマスター複数人制というのをすぐに思いつく。他にもあるかな?
  4. ジャッジ一人とエンターテナー一人とでペアを組んで...。各々のプレイヤーにPCを持たせるのか、それとも一PCを受け持つのか?
  5. いや、いっそオーディエンスを他に呼んで金を取っては?...わけわからん(^^;)。

上記やそれ以外の組み合わせの中に、更なる卓上RPGの可能性が隠されているかもしれない...かな?

おわりに

以上、卓上RPGの遊び方について、各参加者に働く「機能」によって考えてみた。読者諸氏も、どの機能を誰が担当するのが自分たちにとって一番面白そうか、考えてみてはいかがだろうか。

思うに、(海外ではいざ知らず)日本においては「エンターテナー機能主力型」の遊び方が目立つようである。勿論それはそれで結構なことだ。しかし、それだけが卓上RPGであると思っているならば、再考の余地がある。例えば「ゲームマスターは大変だ」というのは、その遊び方の特徴であって、必ずしも卓上RPGのそれではないのだ。

私自身はといえば、「ジャッジ機能主力型」に傾倒している口である。即ち「プレイヤー主導型」であり、またPCの行動の「自由」を最大限認める型でもあるが、ゲームマスターにあまり重責が無い点が特に気に入っている。

だからと言って、好み以外の遊び方を私が楽しめないわけではないと思うし、楽しんでいくつもりである。一つしかないと思えばそれしか求められないが、二つあることに気付けば三つ目四つ目をも探し出す可能性を得る。そして私がまだこのゲームを遊び尽くしていないことは確かなようであるから。