脳内のFEARゲーマー

他人様の「脳内」に突っ込みを入れるなど無粋の極みではありまするが、nagafutimasatoshiさんの「脳内」に見られる「FEARゲーマー」について、「カテゴリーを生む違和感」の例として。

多少のデフォルメはあるかも知れませんが、私はこれらが実体験に基づいて書かれたものであると知っております。そこで、そこに表れる「FEARゲーマー」というカテゴリー、即ちnagafutiさんが実体験から感じた「違和感」について分析してみましょう。

そこに浮かび上がる「FEARゲーマー」の遊び方、考え方とは…。

コンベンションの話

  • ゲームマスターが用意した設定通りに、プレイヤーが遊ぶべき。
  • リプレイはゲームプレイのモデルであり、読んでおくべきもの。

コンベンションの話 その2

  • シナリオプレイの最後(クライマックス)は、必ず戦闘で締めくくりたい。
  • 場面(シーン)は、ゲームマスターが考えて、プレイヤーに与えるべき。
  • リプレイのように遊びたい。

ハンドアウトの話

  • ハンドアウトは、いかなるゲームシステムにおいても用意されるべき。
  • ゲームマスターが用意した設定に、プレイヤーはうまく合わせてプレイする。

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  • クライマックスがNPCだけで進んでも、「つまらない」と思わない(ように見える)。
  • ゲームマスターがつまらないと思ったようなシナリオでも、プレイヤーは褒め称える。

以上に私の誤読が無ければ、これらがnagafutiさんがある種の人々に抱いた「違和感」であって、それをカテゴリーとするために付けられたのが「FEARゲーマー」という名称であった、と分析できます。nagafutiさんが「困ったものだ」などと思ったのは、これらの傾向に対してであって、他の定義もありえる「FEARゲーマー」に対してではないのです。「FEARゲーマー」という名に良い印象を持っている者は、まずこの点に気をつける必要があります。

つまり、「リプレイを読まず、ハンドアウトを使わず、PC設定もシーンもプレイヤー任せ、クライマックスがどうなるかは成り行き次第だがそれを決めるのはPC(プレイヤー)でなくてはつまらない、プレイ後は反省会で闊達な意見交換を楽しむ」という自称「FEARゲーマー」を目の当たりにするならば、nagafutiさんの「FEARゲーマー」観は一挙に替わることが予測できるのです。いや、「そんなのFEARゲーマーじゃないやい」と言われてお終いかも知れませんけど。

何にせよ、名前ではなく、名前が指すものを見なくてはならないということは、著者も読者も覚えておいて良いことでしょう。

ところで、そこまで考えてみてもまた、「脳内」という(ブログの)カテゴリーには奥深さを感じますなぁ。