「自由」と「管理」、各々での「制限」

「誘導」に引き続き今回は、やはり説明不足らしい「制限」について記します。

そもそも「制限」という語を用いたのは、「自由に遊ぶゲームプレイ」が「無制限な自由」を求めるものではないことを説明するためです。キャラクターの行動は、プレイヤーが自分で「自由に」考えて決めることができますが、ルールシステムや世界設定によって「制限」される、ということです。

おそらく最も理解され難かったと思われることは、「制限」の対象はあくまでもキャラクターであって、間接的にプレイヤーにも影響を与えますが、プレイヤーの思考を直接規定するものではない、ということです。つまり、ここで言う「ルールシステム」とは、キャラクター作成ルールや行為判定ルールなど、キャラクターの行動に関わるもののみを指すのです。対して、ハンドアウトや今回予告、フェイズ制、(FEAR式)シーン制などのような、プレイヤーの思考を狭める効果を持つ仕組は除外されます。

以上を念頭に置きつつ、過去に「制限」について私が説いた文章を、再度ご覧ください。

制限の中の自由、制限の中の管理

まず、私が言う「自由」とは、「制限」が無い状態ではなく、「管理」が無い状態のことです。「制限」は常にありますが、それをどう解釈し、どう用いるのかが、各自の「自由」となるわけです。
卓上RPGのゲームデザインにおいて、あらゆるルールシステムや世界設定は「キャラクターへの制限」です。
そしてゲームマスターやプレイヤーにも、「キャラクターへの制限」を用いて自分が面白いと思うように遊ぶ者と、「ゲームデザイナーの意図」通りに遊ぼうとする者とがいます。前者は仮に「ゲームデザイナーの意図」があっても、従うか無視するかを随時自分で決めます。

自由があること、許されること (※この記事のみ、RPGに限らぬ「自由」について述べています。)

まず、多くの行動について、それを行う「自由がある」のが、事実、現実です。それを望み、決断すれば、その行動を試みることができます。克服できない「制限」があれば、その「自由が無い」ことになります。例えば、人間には「自分の翼で空を飛ぶ自由」はありません。克服できる「制限」なら、それを克服することが前提となります。「飛行機を操縦して空を飛ぶ自由」なら、飛行機の操縦方法を学び、操縦する機会を得ることが前提です。
ただし、これも現実的な話として、「自由が無い」と思っていた方が「楽」(らく)なのも確かです。「制限」を克服するための努力をしなくてすみますし、失敗して自尊心が傷つくこともありません。

過去三件のTBへのお返事

私が説いている「自由」とは「管理の無い状態」であって、「制限の無い状態」ではありません。「制限」は常にあります。
「管理」とは、「すべきこと」が他から与えられ、その通りに「しなければならない」状態です。それに対して、「すべきこと」を自分で決め、その通りに「しようとする」状態を、私は「自由」と呼んでいます。そのどちらでも、「ルールシステム通りに判定する」などの「制限」はあります。

謎を解いて欲しければ「管理」しましょう

まず、「制約の無い自由なんてそもそもありえない」との見解については、過去にも触れた通り、私も同じ意見です。ただし私は、ルールシステムや世界設定に基づく「制限(制約)」と、シナリオ作成者やゲームマスターの「期待/願望」に基づく「管理」とを、明確に分けて考えています。プレイヤーの発想や決断が「制限」されても「管理」はされない状態が、私の言う「自由」です。

[Answer] 「制限」と「管理」(玄兎さん)

「制限」 : ルールシステムや世界設定などに基づき、(ゲームデザイナーによって)ゲームマスターとプレイヤーとの双方の行動が狭められること。また、その内容。
A1. 「制限」です。より正確には、「制限」に従ったゲームマスター(によるNPC)の行動です。
現代を舞台とするなら、「警察は職務上、現場に居合わせた者を疑う」のは世界設定に基づく「制限」と考えられます。この場合は、ゲームマスターの行動が「制限」されたことになります。
A3. 「制限」です。ただし、そのゲームマスターは「管理」のつもりかも知れません。

自由なミステリーに関する四氏へのお返事

「制限」...ゲームデザイナーが、ゲームマスターとプレイヤーとに等しく与える。ルールシステムや世界設定によって、ゲームマスターによるシナリオ内の状況やNPCの行動、またプレイヤーによるPCの行動に、「できないこと」「するはずがないこと」が生じること。
「自由」...ゲームマスターやプレイヤーが、各々自分自身に与える。「制限」内で、ゲームマスターはシナリオ内の状況やNPCを用いて、プレイヤーはPCを用いて、「何をしても良い」こと。
例えば、「海路が嵐」という状況において。嵐で船を出すためにどういう判定が求められ、どういう結果が生じうるか、が「ルールシステムによる制限」。天気予報で台風情報を聞けるか、嵐を止める魔術師を雇えるか、が「世界設定による制限」。そのような状況で、何をするかはプレイヤーが自分で決めて良く、どのような行動でもゲームマスターは対応し、それがどのような結果でもプレイヤーは対応する、のが「自由」。陸路を行けとか、宿屋に泊れとか、プレイヤーが次にすべき行動へNPCによって誘導されたり、ゲームマスターから直接頼まれる、のが「管理」。
その場合、「サッカーのルール」が「制限」となりますから、バットでボールを打つことなどは許されません。

以上です。キャラクターの行動が「制限」されるので、プレイヤーの発想や決断などの行動も「制限」される、という理論を省略した記事もあり、それが混乱を招いた元凶だったのかも知れません。

このような「制限」には、ある意味「誘導」と対照的な特徴があります。まず「誘導」は...。

  1. 「誘導」は、「自由に遊ぶゲームプレイ」にも、「管理して遊ぶゲームプレイ」にも、存在しうる。(無い場合もある)
  2. 「誘導」は、「管理して遊ぶゲームプレイ」において重要であり、注意が払われる。
  3. 「誘導」は、「自由に遊ぶゲームプレイ」では無視して良い。常に「自由」の方が優先される。

そして「制限」は...。

  1. 「制限」は、「自由に遊ぶゲームプレイ」にも、「管理して遊ぶゲームプレイ」にも、存在する。(無い場合はない)
  2. 「制限」は、「自由に遊ぶゲームプレイ」において重要であり、注意が払われる。
  3. 「制限」は、「管理して遊ぶゲームプレイ」では無視して良い。時に「管理」の方が優先される。

さて、ここでようやく、玄兎さんの「[Question] 「制限」と「管理」(2)」への回答に至るわけです。さんざんお待たせして申し訳ありません。

「NPC に行動を徹底させたり、ぶっちゃけたり、また非言語対話などのアピールによって「誘導」しようとしている場合は「管理」に該当する。また、ケースによっては「制限」の場合もありうる」という理解でよろしいでしょうか?

「管理」するので無ければ、つまり「自由に遊ぶゲームプレイ」では、ゲームマスターによるNPCの一行動、となります。A1と同じく、その背景には上記のような「制限」があるのですが、むしろ「ゲームマスターの自由」とでも言うべきだったかも知れません。この辺で混乱させてしまったのは、私の配慮不足でした。