失敗か事故か、成り行きか

何であれ行為をすれば、好ましい結果が得られることがあれば、好ましくない結果に至ることもあります。仕事や受験、交渉であれスポーツであれ、あるいは原子力発電所の運用、更には卓上RPGのゲームプレイにおいても。

このような結果の違いをどのように評価するか、には三通りの方法が考えられます。

第一に、好ましい結果を「成功」、好ましくない結果を「失敗」として、明確に二分する評価。「成功」から得られる利益が、「失敗」では決して得られない場合に向いています。行為者は常日頃から、能力の鍛錬、課題の研究、設備の充実、臨機の決断、協力者との連携など、あらゆる努力を尽くして、積極的に「成功」を目指します。

「成功」か「失敗」か
「成功」とは、優れた行為によって得られる、明確に好ましい結果である。
「失敗」とは、優れていない行為による、明確に好ましくない結果である。
努力と幸運とによって「成功」が得られる。さもなくば「失敗」となる。
様々な状況を想定し、「想定外」をも想定し、「成功」を目指して努力する。
様々な状況に対応するため、コスト(労力や経費)は多ければ多いほど良い。
「成功」でも「失敗」でも、努力を「反省する」ことで、次に活かせる。

第二に、好ましい「成功」が当たり前の結果で、そうでなければ予想外の「事故」とする評価。「事故」は、悪意や不運によって生じる、「想定外」の惨事です。誰もが当たり前のことをしていれば、余計なこと(=悪いこと)をしなければ、「成功」します。労力や経費を少なく抑えたい場合、「失敗」の責めを負いたくない(負わせたくない)場合に向きます。

「成功」か「事故」か
「成功」とは、ごく当たり前の状態が保たれる、明確に好ましい結果である。
「事故」とは、悪意や不運によって起こる、明確に好ましくない結果である。
悪意や不運によって「事故」が起こる。さもなくば当然に「成功」となる。
好ましい状況を想定し、「想定外」の状況が起こらないよう配慮するか、祈る。
好ましい状況であれば、コスト(労力や経費)は少なければ少ないほど良い。
悪意で「事故」を起こした者がいれば、「反省させる」か、追い出す。

第三に、「好ましい」も「好ましくない」も相対的評価でしかない、とする方法。結果を二分するのではなく、最も「好ましい」結果と最も「好ましくない」結果との間に様々な結果がある、とします。結果によって明確な利益も不利益もない場合に向いています。努力やコスト(労力や経費)が結果に結びつかないわけではありませんが、評価の対象とはなりません。

「好ましい」か「好ましくない」か
「好ましい」とは、もっと「好ましくない」結果よりは良い、という相対的評価。
「好ましくない」とは、もっと「好ましい」結果よりは悪い、という相対的評価。
成り行きによって至った結果に、「好ましい」面と「好ましくない」面とがある。
様々な状況を想定しても、「想定外」まで想定しても、想定しなくても良い。
コスト(労力や経費)が多くとも少なくとも、とにかく適宜に対処すれば良い。
経験した成り行きを「反省する」ことで、それ以外の成り行きを想像できる。

これら三種類の評価方法は、どれにも一長一短があります。どれかが正しいということではなく、行為の向き不向きによって使い分けられるものです。

例えば、受験やスポーツなどは「成功か失敗か」で、自動車の運転や家庭料理などは「成功か事故か」で、値引き交渉などは「好ましいか好ましくないか」で評価されるのに向くでしょう。向かないからダメ、ということはありません。同じ値引き交渉でも、値段より所持金の方が少なければ、「成功か失敗か」の方が適切です。幼児にスポーツなどをさせる時は「成功か事故か」が無難ですが、少し大きくなれば「成功か失敗か」の方が良いでしょう。

時事ネタとして、原子力発電所の運用などは「成功か失敗か」で評価されるべきものです。しかし現場を知らない者は、経費削減を優先して「成功か事故か」に走りかねません。もっともそれは原発に限らず、多くの仕事にも通じることですが。

さて、卓上RPGでは、三種類の評価方法のどれを採用するかによって、ゲームシステムのデザインや、その「遊び方」が変わります。例えば次のような事柄について、評価を取捨選択することができます。

  • 行為判定
  • 情報収集や戦闘
  • ダンジョン攻略
  • ミッション達成
  • セッション成立

前二者についてはゲームデザイナーが、後三者についてはゲームマスターとプレイヤーとで決めることになるでしょう。...どの評価を選ぶかにも「失敗」や「事故」があるか?はともかくとして。