ゴールデンルールと首ナイフ

ゴールデンルール考」の締め括りとして、「ゴールデンルール」という遊び方では「首ナイフ」がどのように処理されるか、そのことはゲームプレイにおいてどういう意味を持つか、について考えます。

まず、「論題「首ナイフ」の本質」で紹介したTogetter首ナイフ問題について」の冒頭部分を引用。

【問題定義】
「あなたはGM。敵が人質の首にナイフをつきつけた。PCが動けば人質は......。だがPCらはナイフのダメージ計算から死なないと判断して襲い掛かった。どう処理する?」 (match_bo)
一番簡単なまとめ
首ナイフ問題って、ルールに無い状況ならゴールデンルールで処理するだけじゃないの?(Nenekey)

「ナイフのダメージ計算から死なないと判断」できたのですから、「ルールに無い状況」ではありません。上記「問題定義」から単純に考えると、次の二つの立場が対立していることになります。

  • 首をナイフで切っても死なない」とする立場。ルールシステムとプレイヤー(のキャラクター=PC)
  • 首をナイフで切れば簡単に死ぬ」とする立場。ゲームマスター(GM)

現実の話を先にしておくと、「首をナイフで切れば簡単に死ぬ」というのは嘘です。映画やテレビドラマなどでは(残酷な映像を避けるためか)簡単に死なせますが、筋肉で堅く守られた頸動脈を傷つけるのは難しく、気管に穴が開けば死ぬというものでもありません。手当を受けられなければ失血死する(数分後でも「即死」とされます)かも知れませんし、いずれ感染症で死ぬこともありえます。人質の命は助かっても苦痛は避けられませんし、後遺症やPTSDなどの可能性もあります。「人質を見殺しにしようとした」者への非難や懲罰も起こるでしょう。そういった理由で「首ナイフ」には慎重に対処しなくてはならないのです。

もちろん、ゲーム内の世界であれば、我々の現実世界と同じ法則が働くとは限りません。「首をナイフで切れば簡単に死ぬ」というルールシステムを採用した世界であれば、そういう法則が働くのですから、いかなる超人でも、例えばマンガ『北斗の拳』のラオウのような人物であっても、「首ナイフ」で瞬殺されます。また、耐久力1の人物が存在すれば、現実的ではなくとも、やはり「首ナイフ」で簡単に死にます。逆に、現実では簡単には治らない傷でも、治癒の呪文などによって、すぐ元通りになるかも知れません。それらを決めるのが、「ルールシステム」です。

さて、「首ナイフ」には「正解」がある、と私は考えます。それは、遊び方のヒエラルキーに従って処理せよ、ということです。

一般的なヒエラルキー(「最初に憶える大切なルール」など)で遊ぶのであれば、ルールシステムはゲームマスターやプレイヤーより上位にありますから、「ルールシステム通りに処理する」のが正解となります。「人質」がPCであっても、「敵」がPCであっても、ルールシステム通りに処理するのです。ルールシステムを曲げることは、プレイヤーに許されないのと同様、ゲームマスターにも許されません。それが、ゲームマスターとプレイヤーとの間にある「公正」というものです。

公正
特定の人だけの利益を守るのではなく、だれに対しても公平に扱う様子。(三省堂『新明解国語辞典』第七版より)
公平
(問題になっているものを)自分の好みや情実などで特別扱いする事が無く、すべて同じように扱うこと(様子)。(同上)

そして「ゴールデンルール」における「首ナイフ」でも、やはり「ヒエラルキー通りに処理する」のが正解です。

ゴールデンルールのヒエラルキーでは、ゲームマスターの方がルールシステムよりも上位にあり、ルールシステムを守るのも守らないのも「ゲームマスターの自由」(ゲームマスターが自分で決めることができる)です。「首ナイフ」で人質が死ぬか否かも、ルールシステムとは関係なく、「ゲームマスターが決める」のです。それ故プレイヤーは、ゲームマスターがどう決めたかを知り、その通りにPCを行動させるべきです。以下、具体例。

  1. ゲームマスターが「PCが敵に襲い掛かって人質を救出する」ことを望むなら、(ルールシステムで可能か否かと関係なしに)プレイヤーはPCを敵に襲い掛からせて人質を救出すべきである。
  2. ゲームマスターが「PCが敵に話しかけて時間稼ぎをする」ことを望むなら、プレイヤーはPCに時間稼ぎをさせるべきである。敵が情報を語ったり、重要NPCがかけつけるのかも知れない。
  3. ゲームマスターが「PCが敵に人質交換を申し出る」ことを望むなら、プレイヤーはPCを敵に人質交換を申し出させるべきである。人質となったPCのための場面が用意してあるのだろう。
  4. ゲームマスターが「PCが敵に襲い掛からず人質と敵を見逃す」ことを望むなら、プレイヤーはPCに敵を見逃させるべきである。悔しがる演技でもして、物語を盛り上げるのがよいだろうか。
  5. ゲームマスターが「PCは何をしても良い」と思っているなら、プレイヤーはPCに何をさせても良い、わけではない。ゲームマスターが本当に対処できるような行動を選ばなくてはならない。

ある場面でゲームマスターがプレイヤーに何を望むかは、シナリオとして事前に決められているかも知れませんし、その場で思いつくかも知れません。どちらにしてもプレイヤー側は、そこまでに与えられた情報から推理するか、ゲームマスターの性格や表情などから感づく(GMの空気を読む)必要があります。親切なゲームマスターなら「ぶっちゃけ」てくれるかも知れません、「あなたのPCはこのような行動をしなさい」「このシナリオではあなたのPCはこう行動することになっているのだ」などと。

ゲームマスターが望む通りのゲームプレイである限り、その進行が停滞することもありません。ルールシステムの解釈でプレイヤーと争うことも、予想外の判定結果に困ることもなくなります。プレイヤーは、ルールシステムでどうなっているかよりも、ゲームマスターが何を望んでいるかを優先させてくれます。こうすることで「ゲームの参加者全員が協力してひとつの物語を創る」ことが実現できるのです。「ゲームの参加者が各自行動したら物語ができちゃった」のとは、ちょっと違う。

何にせよ、今までできなかったことができるようになったのですから、これは良いことです。そういうのがやりたかったんだ!という者は、それを選ぶ。やりたくないなら、選ばない。選択は遊び手の自由。

「首ナイフ」こそは、「ゴールデンルール」という遊び方について考える、最適の論題なのかも知れません。また、他の遊び方についても。自分の頭で考え、他の者と議論しましょう。きっと遊び方が豊かになるはずです。「私は既に唯一正しい教えを実践している」という方は、何も考えず、信じたいものを信じなさい。

なお、「今までできなかったことができるようになった」とは、「今までできたことができなくなった」ことでもあります。考察されよ。