九つとひとつの表現法 (2000年執筆)

本論考は、2000年4月18日に発表されたものです。文中の趣旨が、現在の筆者の考察とは異なる場合もありますので、ご注意願います。

卓上RPGを遊ぶ時、参加者全員にとって最も重要な行為のひとつは"自分が相手に伝えたいことを伝えたい通りに伝えること"である。また"相手"がマスターであれ他のプレイヤーであれ、その他の参加者全員にもそれが伝わることは当然のように求められる。それ故、より的確な表現法、誰にとっても明確な表現法は、すべての遊び手が身に付けるべき基礎技巧である。

コラム「演技を忘れよう」で私はそれら表現法の一部を「描写」と「演技」という言葉を用いて説明した。ところがありふれた言葉は分かり易い反面、その中に何を見て取るかが各人の体験により異なるため、混乱の元となったようだ。

そこでこのコラムでは、それら表現法についてもう一歩進めて詳解してみたい。分類等には研究途中の感もあるが、諸賢の意見を乞うための叩き台になれば幸いである。

第三者視点からの説明による表現法(描写)

小説における描写のように、客観的な視点からどう見えるかを説明することで表現する手法である。プレイヤーの場合は自分が担当する人格(Player's Character)の行為を表現する。マスターの場合はそれら以外の登場人物(Non Player's Character)の他、情景描写等もこれに含まれる。次の三つがある。

1、行為の説明
キャラクターが「何をするか」を説明する手法。行為そのものの説明に、過程や方法の描写を補うことで、より豊かな情報伝達が可能となる。最も容易な表現法のひとつだが、描写の際の補足情報が多すぎたり順序を間違えると相手の混乱を招き、正確な伝達が困難となる場合もある。
(例:走る速度を緩めることなく、フェンスを飛び越える。急いで扉を開ける。)
2、感情の説明
キャラクターの行為に、その感情描写を含めて表現する手法。より小説的な手法と言ってよいだろうか。簡潔な言葉に徹すれば、伝達は易しく、的確である。
(例:慌ててフェンスを飛び越える。嬉しそうに扉を開ける。)
3、期待の説明
キャラクターの行為に、期待する可能性を含めて表現する手法。行動が何を意図するか定かでない状況に特に有効で、また相手から反応を返す際の判断材料にもなる。行動と期待の間が飛躍しすぎなければ、伝達は容易である。
(例:尾行者の目をくらます為にフェンスを飛び越える。音がしないように扉を開ける。)

以上三手法では伝達内容の客観的な姿が説明されるため、それを受け取る側には分かり易いが、伝えようとする側に負担が大きい。伝える側の作業は三段階に分かれる。まず行為や周囲の状況を即座に頭の中で具象化し、次にそれらのひとつひとつを説明する文章に変え、最後に相手に分かり易い順序で述べるのである。伝えられた相手は、それら文章を自分の頭の中で具象化して情報を得ることになる。

仮想人格との一体化による表現法(演技)

プレイヤーは自分が担当する人格の、マスターならばそれら以外の登場人物の行為について、自分の肉体や声を使って表現する手法である。ちなみに私が先のコラムで想定していた「演技」とはこれのことである。次の三つがある。

4、発言を真似る
キャラクターの発言を、自分の口で真似て表現する手法。文章構成は勿論のこと、声量の変化や呼吸の具合等を調整することで、セリフそのものより多くのものを伝えることが可能となる。セリフそのものとそのセリフが表明する行動の伝達は容易だが、言外のメッセージ伝達は難しい。
5、表情を真似る
キャラクターの感情や葛藤の発露を、自分の顔の表情で真似ることで表現する手法。この手法による情報伝達は困難なので、味付け程度に抑えた方が良いだろう。
6、仕草を真似る
キャラクターのちょっとした癖や、心理状態を暗示するような仕草を、自分の肉体で真似て表現する手法。確実な情報伝達は困難なので、期待しないほうが良い。

これら三手法は伝達内容を直感的に身体で再現するものであるから、伝える側にとっては表現しやすいが、その分それを受け取る側に負担がかかる。正しく伝わるためには情報を受け取る側に三つの条件が要求される。それは、情報を受け取る側が伝えようとする者に十分な注意を注いでいること、表現されるキャラクターの人物像やそれが置かれている環境を把握していること、そして伝える者の発言/表情/仕草を頭の中で正しく投影できることである。

参加者間で暗示を伝える表現法

ここまでに挙げた六手法は人格の行為や舞台世界の状況などを相手に伝えようとするものであったが、それ以外に参加者と参加者の間で直接暗示を交わす手法がある。次の三つがある。

7、目の動きによる暗示
視線の動きやまばたき等により、相手から与えられた情報等に対する反応を暗示する手法。当然のことながら伝達の信頼度は低いが、場の雰囲気に影響を与える力は必ずしも小さくない。
8、口の動きによる暗示
口の開け方や動き、呼吸の調子や止め方などにより、相手から与えられた情報等に対する反応を暗示する手法。(以下同文)
9、仕草による暗示
指や手、上半身や首等の動かし方などによ(以下同文)

これらを表現法と見なすことには異論があるかも知れないが、私は多用しているのでここに紹介する。ごく僅かな特例(仮想人格に集中し過ぎて参加者間の交流を忘れている者など)を除いて、楽しい遊びの場を演出するのに大抵有効である。動作と印象の具体的な相関はいまだ説くことができず、直感に頼るばかりであることが今後研究すべき課題である。

九手法を補助するもうひとつの手法

以上、卓上RPGプレイの場で用いられる(少なくとも私が使っている)表現法を九つの手法として分類してみた。しかしこれらを純粋な技法として上達させる以外に、もうひとつ情報伝達を円滑に進める方法がある。この単純にして当たり前、おそらく誰もが用いているはずの手法を、あえて第十の手法として挙げたい。

10、共通認識の確認
参加者がそのゲームプレイに対して抱く希望や期待が各々違っていては、先述した「描写」にせよ「演技」にせよ、伝達の途中で内容が歪曲される危険がある。齟齬を避け、より的確な伝達を可能とするためには、それらを共通させることが有効である。例えば、ある参加者が担当キャラクターの行為によって期待するものは、その参加者自身がそのプレイに期待するものから類推しうるのだから。
使用するゲームシステムやジャンルの確認、また担当キャラクター紹介等の過程で基本的な認識共有は行われているものだが、その後のプレイ中も随時言葉を交わすことが望ましい。情報の整理や行動の検討などは、互いの性向を確認する良い機会となる。また休憩時間の雑談も有効である。
この"共通認識"にいわゆる"ノリ"との類似を見る者があるかもしれないが、その指摘は一面には正しい。しかし"ノリ"がしばしば暗黙の了解として働くのに比し、正常に機能する"共通認識"は常に明言されねばならないと私は考える。認識が常に確認され続けていることが肝要なのである。

以上に述べた"九つとひとつの表現法"は、私が経験の中から掴み取り、完全とはいえないながらも実践している手法である。どれが得意ということはあるかもしれないが、どれが重要ということはない。理想的にはすべてに熟達することが望ましいし、私もそれを目指している。どの表現法が欠けたとしても、それは情報伝達が困難となることを意味する。何故なら、各々の表現法において最も相応しい伝達情報が、必ずあるからである。

追記

いただいたご意見から、「九つとひとつの表現法」がプレイの現場でどのように用いられるのかを明記すべきことに気付きましたので、以下に若干例示します。

例:「私のキャラは『あんたさんにはかないませんな』って言いながら部屋に入ってゆきました。」(出題:鍼原神無さん(^^))

文字で書けば一つの文章ですが、これをどのように「表現」するかは多岐に亘ります。

1、全文棒読み:
「描写」(行為の説明)のみ。重要でない場面や先を急ぎたい時ならばこれだけでも十分。
2、セリフ部分に情感を込める:
「描写」と「演技」(発言を真似る)の併用。キャラクター性をアピールさせる効果が加わる。とぼけた顔をする、額をピシャリと叩くなど、表情や仕草を真似ることで更に強化可能。
3、暗示の込め方の例:
真顔でマスターの顔を見ながら一言ずつはっきり話すと、そのセリフや行動に注目してほしいというメッセージを与えることができる。
言い終わると同時に大袈裟に他のプレイヤーの一人をじっと見つめると、次にその者に何らかの行動をしてほしいというメッセージを伝えることができる。予め打ち合わせしていた作戦の実行等に用いる。
他のすべてのプレイヤーを順次見つめる。私の行動はこれで終わり、次に動きたい方どうぞ、というメッセージ。
※なお、暗示内容は状況に応じて変化します。
(参考)「演技」のみで表現する例:
「『あんたさんにはかないませんな』(とプレイヤーの一人の方を向いて言ってからマスターの方を向き)『はい、おじゃまします...(自己紹介などが続く)』」

以上、プレイの現場とは異なり、頭の中で色々シチュエーションを変えながら考えてみました。どの表現法をどのように組み合わせて用いるかは、状況の前後関係(人物設定、人物関係、話の展開)や希望する展開、更には参加者の楽しみ方のスタンス等によって選択されるのです。

(追記の追記1)

なお、上記例文が過去形になっていることは問題ではありません。過去どうしていたかを述べる場合を除けば、参加者は(マスターも含めて)現在のことを表現する権限しか持っていません。勿論プレイの現場では細かいことまで気にしませんけどね。

(追記の追記2)

余談ですが、セリフの声量は「そのセリフを展開上、どれだけの重要度を持たせているか」を伝えるのに用いることができます。それは表情や仕草の真似の大袈裟さでも同様ですね。「発言を真似る」際、いつも声が大きければ良いわけではないの理由です。