「自由」雑感 (2001年執筆)

本論考は、2001年12月20日に発表されたものです。文中の趣旨が、現在の筆者の考察とは異なる場合もありますので、ご注意願います。

「自由」を好む者からの提言など

はじめに:戦士Gの物語(黎明編)

某ファンタジーRPGのキャンペーンの最終回まであと一話。主人公たちの前に、ついに最後の敵、魔王『名前忘れた』の幻影が顕われた!

魔王 「良くぞ、『その回の敵の名前』を倒したな。敵ながら見どころのあるやつらだ。どうだ、私の部下となり、世界を共に支配しないか?」
一同 「何を言うか!次はお前の番だぞ!!」
魔王 「私の部下になり、『善のNPCヒーローだが何もしてくんなかったよな』どもを倒せば、世界の半分をお前たちにやるぞ?」
戦士G 「ほう、世界の半分か。では私はお前の部下になってやろう。」
他全員 「なにーーーーーっっっ!!!」

何ということか。戦士Gはパーティ最強の戦士だが、性格がねじくれまがっているのだ。
一同驚愕。そして...

私が好きな「自由」なRPG

冒頭の文章は、私が卓上RPGを始めたばかりの頃に体験した一場面である。プレイヤーの一人が突如予期せぬ行動に出て皆を驚かせた。本人は「綿密に練られた設定に基づいて」云々と言っていたが、それが口から出任せであることはお前の目を見れば分かるぞ、骨(仮名)。こいつのせいで、その後どうなったかは本文の最後に記す。

さて、私の知りうる限り卓上RPGには、PC(プレイヤーの担当する登場人物)の「やってよい行動」のリストは無い。つまり本来的には行動選択に制限が無いため、「予期せぬ行動」は付き物なのである。このことについて、そのまま各自の自由に任せて良しという意見と、何者かによって制限すべきという意見とがある。

私自身は「自由」にする方を好む。その方が面白いと、これまでのプレイ体験から判断しているからだ。私がゲームマスターの時、プレイヤーたちの自由な発想に楽しませてもらうことが多かった。逆に、プレイヤーの時にゲームマスターの制限でつまらない思いをしたことがあったのだ。

なお、「自由」と相性が良いのは、先の雑記「ジャッジ機能とエンターテナー機能」で挙げた「ジャッジ機能主力型」プレイである。この遊び方では、むしろプレイヤーが自由に行動してくれないと、誰にとってもつまらない結果になってしまう。

# 「ゲームマスターの制限によってつまらない思いをした」のは、私の「オーディエンス機能」が低かったせいという時もあった。反省し、今後注意せねばならない(_ _;)。

「制限」の効能

他方、ルールや舞台設定、シナリオの要求などから「取るべき行動」をある程度決めてしまおうとする手法がある。そして一部参加者(大抵はゲームマスター)に、それから外れる行動を「制限」する権限を認めるのである。暗示的な「誘導」から露骨な「行動却下」まで多様なこれら「制限」は、「エンターテナー機能主力型」プレイに向いている。芸人と観客の、より良い関係を築くことが可能であるからだ。

「自由」を愛する私自身、まったく「制限」をしたことが無いかというとそうでもない。ゲームマスターの際、かなり露骨な「土下座」というテクニックを(不本意ながら)時折使う。これは、プレイヤーの判断があまりにこちらの予想を凌駕した場合、暗にばらして勘弁してもらおうという世にも情けない技巧(^^;)である。

失敗しないプレイのためにはしばしば必要な「制限」だが、それでも私自身はなるべくこれらを使いたくないし、使わない方が良いと思う。これを「権限」という形でゲームマスターに与えることに危険を感じるからだ。即ち、ゲームマスターだけにとって快い物語を押し付けられるプレイヤー、という構図である。下手な芝居を無理矢理見せられるくらいなら、自分で演じた方が楽しさは上だと思う私ならではの嗜好だろうか?ついでに言うと、上手い芝居が見たかったらゲームやらずに劇場へ行くんだけどね。

敬遠される「自由」とは?

ところで、逆の立場からの意見はどうであろうか。「自由」の問題点を「プレイヤーが、「自由」を盾に無軌道に行動し、他の参加者の楽しみを阻害する」と指摘する者がいる。なるほどそのような状況はありえるし、その場合強権的な「制限」なしに止めさせることはできないだろう。しかし問題発生そのものは果たして「自由」のせいなのか?

再び雑記「ジャッジ機能とエンターテナー機能」に当たるならば、そのような状況の原因として、

  • PCに面白い行動をとらせて皆を楽しませる能力が、プレイヤーに不足している。
    (プレイヤーのエンターテナー機能不全による、失敗した「ジャッジ機能主力型」プレイ)
  • PCの行動を受け入れる能力が、ゲームマスターに不足している。
    (ゲームマスターのオーディエンス機能不全による、失敗した「ジャッジ機能主力型」プレイ)
  • PCの行動に対応し処理する能力が、ゲームマスターに不足している。(ゲームマスターのジャッジ機能不全による、失敗した「ジャッジ機能主力型」プレイ)
  • ゲームマスターの提供する物語を受け入れる能力が、プレイヤーに不足している。
    (プレイヤーのオーディエンス機能不全による、失敗した「エンターテナー機能主力型」プレイ)
  • ゲームマスターの期待する行動に気付く能力が、プレイヤーに不足している。
    (プレイヤーのジャッジ機能不全による、失敗した「エンターテナー機能主力型」プレイ)

などが考えられる。ただしこれらに要求される能力はそれほど高くないはずである。他の可能性として、

  • ゲームマスターは「エンターテナー機能主力型」プレイをやろうとしたのだが、プレイヤーは「ジャッジ機能主力型」を期待していた。そしてその確認を双方とも相手に行わずに始めてしまった。

という場合もありうる。

...実は、もうひとつ、あまり良くないことなのだが、考えられることがある。それは、

  • プレイヤーはそのプレイに参加したくない。

というものである。私の古い友人で、PCに「切腹させる」(^^;)者がいた。問答無用に自殺し、プレイヤーもその卓を去る。公然と認めるわけにはいかないが、「嫌なゲームマスターにどうしても我慢できなくて逃げたのだ」と言われれば...ほんのちょっと理解できてしまう。「死にたくなる」ほど酷いゲームマスターに出会った経験は私にもあるのでなぁ(_ _;)。

と、このように原因を考えると、最初の能力不足はちょっとしたコツで改善可能。次の意思疎通の不全も様々な遊び方を認識し確認することで避けられる。最後のものは論外だが、いずれにせよ「自由」であること自体は問題ではない、と考える。いかがだろうか?

「信頼関係」「コミュニケーション」そして「不信」

ところで、私にとっては意外なことなのだが、「制限」を是とし「自由」を警戒する者は割と多いらしい。あなた任せに開き直って観客に回った方が楽という者は少数だろうが、自由を使いこなせない者が私の想像以上に多く、慎重な遊び方を選択させるのかもしれない。そこで、それを楽しむための留意点として「信頼関係」や「コミュニケーション」について触れておこう。

卓上RPGを遊ぶ際には常に大切なものが「皆で楽しもうとする意志」である。殊に「自由」を認め合う場では、他の参加者のそれをも信頼できる関係を築かねばならない。このために要求されるのが密なるコミュニケーションである。例えばプレイヤーはPCの行動について皆が理解するまで丁寧に説明し、またその狙いについても納得してもらえなくてはならない。その行動選択がどのような意味を持つのかが伝わらなければ、その相手、ゲームマスターのみならず他のプレイヤーも対応できないからである。もしそれをコンベンション等でやろうとするならば、初対面同士でも仲良く楽しめる雰囲気作りを心掛けねばならない。日常の社会生活ができるだけの対人能力で充分なものではあるが、想像上の異世界や仮の姿に意識を集中し過ぎてつい疎かになる場合がある。あまりゲームの中に浸りすぎないことが肝要かもしれない。

注意していただきたいが、このような「信頼関係」は、「私は相手を分かってあげられるはずだ」「相手も私を分かってくれるはずだ」という無邪気な「信」とは似て非なるものである。むしろ「分かるはずがない」という根元的な「不信」が礎となっている。「分かるはずがない」から、あらゆる意志伝達を試みて、理解し合おうと努力するのである。そのために要求されるのが「コミュニケーション」であり、それを駆使して「信頼関係」を作り上げるのだ。互いへの信頼とは、最初からあるものではなく、その時その場で作り上げるものなのである。

加えて言うに、無邪気な「信」は、一度それが適わないと人間不信に繋がる恐れがある。「多く語らなくても分かってくれるはずだ」→「分かってくれなかった」→「あの人はもう信じられない」。あるいは「今の話だけであの人のことを理解できた」→「できていなかった」→「あの人のことがもう分からない」など。分からなくて当たり前なら、何度でも聞き返すことができ、それで伝わればすべてあなたの成功となるのだが。

おわりに:戦士Gの物語(沈没編)

一同驚愕。そして...大爆笑

ゲームマスター 「本気?」
戦士G 「当然だっ。」
ゲームマスター 「じゃあ、仕方ないな。魔王の幻影...と戦士G(笑)は邪悪な笑い声を残して消えたよ。」
あるPC 「おのれ、憎きG!」
他のPC 「いや、いちおー、魔王がメインってことで。」
神官M(←鏡) 「まぁ、いつかこんな日が来るような気はしていたのかなぁ。」

そして最終回。パーティの前に立ちはだかる最後から二番目の敵、戦士G。かつての仲間にして最強の戦士は、運命的出会いの直後、パーティというものの恐ろしさをたっぷり味わうこととなった。即ち、魔法で動けなくしてから謝るまで殴り続けたのである。うふふ、楽しかった。そして...

戦士G 「ほら『敵を欺くには先ず味方から』と言うだろう?」
PC一同 「やかましい。命が惜しかったら最前列で魔王と戦うのだっ。」
魔王 「貴様、もう裏切りおったのかぁぁぁ!」

誰がこのような展開を予期しえたでしょうか?なんという自由で面白い遊びか。素晴らしきかな、自由なる卓上RPG!