カテゴリーを生む違和感

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ブログの「カテゴリー」ではありません。例えば、トーキョーNOVAやアルシャードなどをまとめて「FEARゲーム」(あるいは更に語尾を略して「FEARゲー」)と呼んでみたり、ある種の遊び手をひっくるめて「FEARゲーマー」と称するようなやつのことです。そういう「カテゴリー」を生じさせるのは「違和感」である、という話です。

ある者がそれまで「当たり前」だったものと異質な何かに出会った時、その者はそこに「違和感」を覚えます。同じ「違和感」を複数のものに感じ取った時、それらに共通する名称を与え、まとめて管理しようとします。これがここでいう「カテゴリー」です。

先行する「当たり前」よりも新しいものの方が好ましければ、その「カテゴリー」は良いものとして語られます。逆に「当たり前」の方が好ましく思えたなら、「カテゴリー」は悪いものと見なされます。どちらでも無ければ、「カテゴリー」で語ること自体に意義を感じません。このため、ある「カテゴリー」の好き嫌いは、それを語る者によって極端に二分されることになります。

先に挙げた「FEARゲーム」について考えてみましょう。いわゆる「FEARゲーム」には必ずしもFEAR社がデザインしたRPGのすべてが含まれておらず、また他社作品がそこに列せられることすらあります。改めて解説するなら、「一部FEAR社製RPGに特徴的な特定の傾向を持つRPGシステムの総称」であって、FEAR社は象徴に過ぎず、要点は「特定の傾向」なわけです。

ある者にとって都合が良く、別の者にとっては邪魔な「特定の傾向」は、海外や初期国産の卓上RPGには無いものでした。独自技術で成し遂げる者にとっては苦難の時代だったかも知れません。その登場を「革命」と呼ぶ者もありましたが、何とも象徴的な表現です。「革命」を麗しく思えるのはそれを仕掛ける者だけであって…(以下略)

ところで私は、「FEARゲーム」という名称を、意図的に使わないようにしております。あえて同様のことを語りたい場合でも「FEAR社製RPG」といった語をいちいち自分で作って用いるのです。明確な定義を確認しないまま人口に膾炙した語句に警戒すべきなのは、誰もが何となく手前勝手な意味で使い、しかも(確認せぬまま)それを正しい意味と思い込みがちだからです。良きにつけ、悪しきにつけ。

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