問題が先、対策が後

xenothさんからトラックバックをいただきました。有難うございます。

他の参加者に配慮するか否かは、各人の資質によるものであって、「自由に遊ぶ」か「管理して遊ぶ」かとは関係がありません。配慮する者は「自由」でも「管理」でも配慮しますし、逆もまた然り。...しかしながら、その上で。

ただ、「自由に遊ぶゲームプレイ」の方が互いへの配慮が強く求められる、とは言えるでしょう。ダンジョンに入らないのも自由、謎を解かないのも自由、だからこそ、その行動によってゲームプレイを「面白い」ものにできるか否かは、プレイヤーに大きな責任が課されます。それを覚悟の上で、ダンジョンに入らない、などとプレイヤー全員が言ったなら、それはそのシナリオを心から「つまらない」と判断したのです。シナリオを持ち込むゲームマスターにも、然るべき心構えが必須となります。即ち、参加者全員が「自分が面白いと思う」ゲームプレイを遊ぶには、互いへの配慮と積極的な協力とが不可欠なのです。...とはいっても、あらゆる「遊び」の中で、誰もが自然にやっている程度ですけど。

対して「管理して遊ぶゲームプレイ」では、ゲームマスター以外の参加者、つまり他のプレイヤーへの配慮が無くとも、ゲームプレイを成立させることが可能です。もちろん、配慮し合い協力し合った方がより楽しくプレイできますが、無ければゲームにならないという程に必須ではありません。不可欠なのは、ゲームマスターの指示や判断に従い、その「管理」下から逸脱しないことです。プレイヤーからの提案や議論も、ゲームマスターが許せばできますが、結論はゲームマスターに委ねられます。ダンジョンに入らなくても良いか否か、謎を解かなくても良いか否か、はゲームマスターだけが正解を知っています。むしろ他のプレイヤーへの配慮を、ゲームマスターより優先させてはいけません。

さて、対策は、常に問題が発生した後で作られます。「ダンジョンをスルーされても困らなくなった」(対策)から「ダンジョンがスルーされるようになった」(問題)というのは考え難いことで、その逆と考えるのが妥当です。そしてまた、他の参加者に配慮しない者がいると容易に崩壊する「自由に遊ぶゲームプレイ」よりも、そうであっても上手く成立させられる「管理して遊ぶゲームプレイ」の方が後に確立した、と考えられるのです。

...余談ながら、ダンジョンモジュールB3「アリクの瞳」(Palace of the Silver Princess)よりも、同B2「国境の城塞」()The Keep on the Borderland)の方が、「自由に遊ぶゲームプレイ」を考えるには向いています。「アリクの瞳」には「誘導」のための記述が多く見られますが、「管理」にまでは至っていません。

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