自由でも管理でも困ったり困らなかったり

遅くなりましたが、xenothさんからいただいたトラックバックに御礼申し上げ、それへのお返事を記します。

第一に、xenothさんが示された下記三段階は、私が考えるものと異なります。

1.自由に遊ぶが困るゲームプレイ
2.管理するので困らないゲームプレイ
3.自由に遊んでも困らないゲームプレイ

私の考えるものは、次の通りです。

  1. 「自由に遊ぶゲームプレイ」。楽しく遊べる人もいれば、そうできずに困る人もいた(今でもいる)。
  2. 「自由に遊ぶゲームプレイ」に世界設定を追加。楽しく遊べるようになった人もいれば、まだ困る人もいた(今でもいる)。
  3. 「管理して遊ぶゲームプレイ」。それで楽しく遊べるようになった人もいれば、楽しく遊べなくて困る人もいる。

そもそも第1段階で本当に「失敗」していたなら、第2以降まで生き残るのは無理でしょ。で、上記各段階は発生した順序であって、現在ではすべて一緒に継続しています。大雑把に言えば、三種類の「遊び方」となった、ということです。

第二に、たとえ「管理して遊ぶゲームプレイ」であってもプレイヤーは「管理」を拒絶できる、というxenothさんのご指摘については、仰る通りです。その上で、「できる」としても「すべきでない」と私は考えます。

例えば、「今回予告」や「ハンドアウト」などの「最も面白い展開」を示すに適した技法を用いるなら、たとえそれを「つまらない」と思ったとしても、「管理して遊ぶゲームプレイ」ではそれに従わなくてはなりません。「最も面白い展開」を込めて「今回予告」を作成した相手は、本音であっても「つまらない」と言われることに、耐えられないのではなかろうか、と思うためです。どうあっても自分が「つまらない」と思うプレイをしたくないなら、「管理して遊ぶゲームプレイ」をしなければ良いのです。卓上RPGにはそういう遊び方しか無い、ということではないのですから。

もっとも私はxenothさんや他の方が遊ぶ際に、「管理を拒絶してはならない」と言うつもりはありません。ただ、それは、私が言うところの「管理して遊びゲームプレイ」ではない、別の「遊び方」となるでしょう。

第三に、「誘導」と「管理」とについては、次の記事をご覧ください。説明が足りず、申し訳ありません。

「管理して遊ぶゲームプレイ」では、「誘導」はゲームマスターがプレイヤーの選択に影響を及ぼすための一技法で、常に成り立つことが期待されます。「自由に遊ぶゲームプレイ」では、ゲームマスターからの提案に過ぎず、プレイヤーは無視して構いませんから、ゲームマスターも多くは期待しません。

第四に、「自由でこそゲームマスターが泣く」云々の件。

「自由に遊ぶゲームプレイ」では、実際のゲームプレイでの展開がどうなるか、予測できません。予測できないので、ゲームプレイの展開に色々な可能性を配慮して準備します。それでも準備を逸脱する可能性は残りますから、準備のための努力よりも、ゲームプレイ中に対応する努力が重視されます。準備や対応の仕方にもよりますが、多かれ少なかれ準備は無駄になると決まっているわけですから、端から大した問題にはなりません。

...という中で。準備した努力が報われて欲しい、無駄な努力をするなど耐えられない、という者が、「自由に遊ぶゲームプレイ」では「困る」と思い、「準備した通りになる」ような遊び方を求めたのかも知れません。そういう「楽」を求めて「進化」した遊び方であれば、やはり「無駄な準備」を生まないように全員が協力(妥協)しなくてはならないわけです。

何にせよ、「自由に遊ぶゲームプレイ」と「管理して遊ぶゲームプレイ」とは明確に分けられるのが良い、というのがやはり私の考えるところです。それでも、両者を混ぜてプレイされるのも結構ですが、私はお勧めしません。

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