悪いメタゲームの話

「メタゲームとは悪いものだ」という考え方は、こちらなど、英語で書かれた資料に見受けられました。そこに示された「悪いメタゲーム」とは、次のようなものです。

悪いメタゲーム
キャラクターは知らないはずの、プレイヤーの知識やルール運用によって、ゲームプレイを有利に進めること。
キャラクターではなくプレイヤーとして、シナリオのプロットやルール運用について、他の参加者と語り合うこと。
キャラクターではなくプレイヤーとして、ゲームプレイと関係のない話題について、他の参加者と語り合うこと。

これらの「メタゲーム」、それらを行う「メタゲーマー」は、ゲームの興を削ぐもの、進行を阻害するもの、あるいは単にインチキとして忌避されたようです。「メタ」の語義からは、上記の定義は必ずしも間違ってはいませんが、悪い面ばかりに注目したものと言えましょう。

そのような批判の背景には、卓上RPGはキャラクターとして遊ぶべき、キャラクターの知識や性格に基づいて行動すべき、という思想が見出されます。そういう「ゲーム」から外れたものを「メタゲーム」即ち「ゲームを外れたもの」と呼んだ、ということかも。

...さて、そのような「メタゲームとは悪いものだ」という考え方を見直そうとする動きが、その後現れました。その中心となったのが、論考・議論サイト「The Forge」でした。その主宰者Ron Edwards氏は、「GNS理論」(GNS Theory)また「The Big Model」において、卓上RPGの様々な楽しみ方、遊び方の整理を試みた方です。また彼は「メタゲーム」の意義を、それらの中に見出そうとしました。「メタゲーム」が向いている楽しみ方と、向いていない楽しみ方がある、と。

以下、私なりの理解で説明。「何のために卓上RPGを遊ぶのか?」と問えば、誰もが「楽しむため」と答えます。そこで「どういうことが楽しいのか?」と問えば、答えは次の三つに分かれる、とするのが「GNS理論」です。

Gamism
公正に設定された難題を解決し勝利すべく、全力で挑んでいく楽しみ。
Narrativism
劇的な展開やテーマ性を、ゲームプレイの中で生み出していく楽しみ。
Simulationism
架空の世界や人物や事件の中で、もうひとつの現実を体感する楽しみ。

これら三つのどれを、どれくらい好むか、は人によって差があります。不満を避けるには、事前の調整、あるいは互いへの配慮が求められましょう。

そして「メタゲーム」は、GamismとNarrativismとに向いている、としたのです。対決や創作のためにキャラクターを渦中の人物とするのは、キャラクターではなくプレイヤーの都合ですから。対してSimulationismは、「このキャラクターならどうするか?」から離れては興を損ないます。「メタゲーム」を使うか否かを、好む楽しみ方に合わせた選択肢としたわけです。

...以上が、私が調べた範囲での、「悪いメタゲーム」をめぐる動きです。

日本では専ら「良いメタゲーム」と捉えられているようですが、その背景はよく分かりません。いずれ「良いメタゲームの話」を、誰かがまとめて下さることを期待します。

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