遊び方によって変わる、兵糧攻めや火攻めの扱い

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プレイヤー用キャラクター(PC)が「ダンジョンに棲む敵に対して兵糧攻めや火攻め(煙攻め)を行う」という事例について、Twitter上で行われた考察と議論をTogetterにて拝読しました。

私の見解は、いつも通り。プレイヤー(PL)が発案したPCの行動を、ゲームマスター(GM)がどのように扱うか、その手順は「遊び方」(遊戯法)によって異なります。以下、大雑把に三つの遊び方を挙げ、各々における行動決定の手順、兵糧攻めや火攻めをどのように扱うか、を論じます。

第一の遊び方として、「ゲームマスター主導型ゲームプレイ」(GM主導)の場合。非プレイヤー用キャラクター(NPC)の行動など、GMによる状況説明があった後...。

  1. PLは、「PCが何をするか」を決めて、GMに説明する。
  2. GMは、それが「PCがすべきこと」であれば、許可する。
  3. ルールシステムでの処理方法や結果は、GMが決める。

「GM主導」では、「PCがすべきこと」がGMによって決められています。「PCがすべきこと」とは、PCがそれをすることによって「皆が楽しめる」と思われる行動です。しばしば小説や映画の主人公の行動や、公式リプレイにおけるPCの行動などを参考にして想定され、シナリオに組み込まれます。「PCがすべきこと」が複数用意され、どれを選ぶかでゲームプレイが分岐する場合もあります。

GMは、事前に決められた「PCがすべきこと」をPLに、収集される情報によって暗示(誘導)するか、もしくは「(FEAR型)ハンドアウト」や「ぶっちゃけ」で明示します。PLは、GMの暗示や明示から「PCがすべきこと」を理解して、その通りにPC行動を決めます。例えば、兵糧攻めや火攻めをするようにGMが暗示もしくは明示した(とPLが理解した)なら、PLはPCに兵糧攻めや火攻めをさせるべきです。

PLが兵糧攻めや火攻めを発案し、それがGMの予想外であったならば、つまり事前に想定された「PCがすべきこと」ではないならば。それで「皆が楽しめる」と判断すれば、GMは許可します。そうでなければ不許可、とPLに暗示もしくは明示します。それでもPLが強行するなら、無駄な時間を浪費させるか、悪い結果で苦しめます。GMに逆らうPLは懲らしめて反省させなくてはなりませんから。

兵糧攻めや火攻めが「PCがすべきこと」なら、GMはルールシステムや世界設定を駆使して、良い結果で報います。それが「PCがすべきこと」でなければ、何としてでも悪い結果で懲らしめます。GMが望む通りの結果を出すために、ルールシステムや世界設定を差配する権限はGMにあり、PLが口出しすることは控えるべきです。この権限ゆえに「GM主導」では負担がGMに集中します。

さて、「GM主導」の対極にあるのが、「プレイヤー主導型ゲームプレイ」(PL主導)です。

「PL主導」では、「PCが何をするか」は、PLが自分で決めます(自由)。PCたちが全員一丸となって行動する場合(全体行動型)でも、各PCが個別に行動する場合(個別行動型)でも、GMの許可(管理)は必要ありません。

第二の遊び方、「PL主導」で「全体行動型」の場合。NPCの行動などの状況説明をGMから受けた後、PLは全員で相談して、PC全員の行動を決めます。

  1. PLたちは、「PCたちが何をするか」を相談して決める。
  2. PLたちは、「PCたちが何をするか」をGMに説明する。
  3. ルールシステムでの処理方法は、皆で相談して決める。

この場合、PCたちは連携して行動しますから、PCたちに何をさせるか、PL全員が合意しなくてはなりません。その結果、PLたちにとって「皆が楽しめる」ような行動に落ち着きます。PL全員が兵糧攻めや火攻めを望むなら、それをGMが許可しないことはありません。それに対してGMはNPCの行動によって、「皆が楽しめる」ように対処します。そのやり取りがゲームプレイとなります。

第三の遊び方、「PL主導」で「個別行動型」の場合は、状況説明の後...。

  1. PLは、「PCが何をするか」を決めて、他全員に説明する。
  2. 他のPLやGMは、それに介入するなら、他全員に説明する。
  3. ルールシステムでの処理方法は、皆で相談して決める。

この場合、PLは独りで考えて、自分のPCに「皆が楽しめる」と思われる行動をさせます。他のPLやGMは、直接そのPLに意見するのでなく、自分のPCやNPCの行動によって「皆が楽しめる」と思われるように介入します。あるPCが兵糧攻めや火攻めを試みるのも自由、他のPCやNPCがそれに協力したり、それを止めたり邪魔したりするのも自由です。そのやり取りがゲームプレイとなります。

どちらの場合でも「PL主導」のシナリオには、「PCがするであろうこと、するかも知れないこと」や「NPCがすべきこと」はあっても、「PCがすべきこと」はありません。例えば、兵糧攻めや火攻めなどがGMにとって予想外でも、それもまた「PCがするであろうこと、するかも知れないこと」です。想定外の行動決定は、想定外のシナリオ分岐点となり、想定外のゲームプレイを生み出します。

GMから提供される情報は、あくまでも状況説明でしかありません。「PCがすべきこと」を暗示しませんから、PLが誘導される必要もありません。PCが何をすれば「皆が楽しめる」か、それを決めるのはGMではなく、PLです。GMはシナリオを、GMの期待通りにPCを動かしてもらいたくて作るのではなく、PLが「皆が楽しめる」ようにPCを動かすための「遊び場」として作るのです。

兵糧攻めや火攻めなどをルールシステムや世界設定からどのように処理すべきか、GM独りで悩む必要はありません。GMに望む結果などないのですから、どう処理すべきか、どうすれば「皆が楽しめる」かをPLたちと相談できます。PLには、自分が発案したPCの行動を処理できる程度に、ルールシステムや世界設定を理解していることが望まれます。「PL主導」ではGMの権限も負担も、PLと分かち合えます。

以上、三つの遊び方における兵糧攻めや火攻めについてまとめると、次の通り。

  1. 兵糧攻めでも火攻めでも、GMが許可すればやるべし、不許可ならやらざるべし、が「GM主導」
  2. 兵糧攻めでも火攻めでも、PLたちが合意してやるなら、それで良し、が「PL主導」の「全体行動型」
  3. 兵糧攻めでも火攻めでも、あるPLがやるなら、他のPLも何かする、が「PL主導」の「個別行動型」

どれで遊ぶかは、参加者の自由(自分で決めること)です。どう遊ぶかで、得られる面白さの質が異なりますから、自分の好みやその日の気分で選択するのが最善です。と、いつも通りの結論に至る。

以下、補足とか余談とか。

「GM主導」における「皆が楽しめる」行動は、GMが独りで決めておかねばなりませんので、人気のある小説や映画などに倣うのが無難です。「PL主導」の「全体行動型」における「皆が楽しめる」行動は、ゲームプレイ中にPL同士で相談する内に分かり合うことができます。「PL主導」の「個別行動型」における「皆が楽しめる」行動は、ゲームプレイでPL同士やGMが互いに介入し合う狭間に感じ取っていきます。ひとつの遊び方しか経験していないと、他の遊び方は想像もできないかも知れません。

兵糧攻めや火攻め等を、「リアリティ」(本当らしさ、現実味)で判断することは危険です。いわゆる「リアリティ」とは、しばしば先入観のことですから。例えば、ダンジョンに対する兵糧攻めや火攻めを「リアリティが無い」という者は、それが通用しなさそうなダンジョンを想像しているのです。先入観に囚われると、兵糧攻めや火攻めを企てている相手は、それが通用するようなダンジョンを想像している、ということに気づきません。異なるリアルを論拠とする者同士の言い争いには、決着がつきません。

ダンジョンにPLがPCを入れさせたがらないのは、GMにとって喜ばしいことかも知れません。むしろ、嬉々として入られてしまうダンジョンというのも、いかがなものか。「すべきこと」ではなくとも、ダンジョンや廃墟や漂流船を(PCでなく)PLが怖がってくれるなら、私がGMならちょっと嬉しいかも。もっともD&D等では大抵ダンジョンの中より外の方が危険ですから、遭遇判定をすればダンジョンの中に逃げ込む羽目になるでしょう。さて次にGMが何をすれば、「皆が楽しめる」でしょうか?

兵糧攻め?それとも火攻め?

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