2007年6月アーカイブ

前のエントリーでの予告通り、卓上RPGのゲームシステムをデザインする上で、そのユーザーを「信じる」か「信じない」か、について述べます。ここでも、やはり善悪は関係なく、あくまでも設計思想の違いです。そしてデザイナーが「信じる」か「信じない」かの内容は、ユーザーのプレイ能力楽しもうと努める姿勢となります。

ここでは、「信じる」ことと「信じない」ことの推移についてまとめます。先んじてお断りしたいことが二点。

第一点は、「信じる」「信じない」と善悪とは必ずしも関係が無い、ということです。「信じる」とはリスクを背負うことであって、見合うメリットや覚悟も無しに行なうべきことではありません。何であれ不用意に信じれば、自分のみならず周囲の人間にも迷惑を及ぼしますし、そうなってから責任を信じたものに課すこともできません。信じれば良い、というものでは無いのです。

第二点は、ここで述べるのは、ゲームプレイにおいて、その参加者が他の参加者を「信じる」か「信じない」か、の話だということです。私がどこかに書いた(と思う)「FEAR製RPGはユーザーを信じていない」というような、デザイン上の「信じる」「信じない」については、別途述べることとします。

卓上RPGを遊ぶのは、「楽しむ」ためである、と答えない方はおそらくいないでしょう。しかし、その各々が言う「楽しむ」という語が意味するところは、必ずしも同じではありません。

ここでは「楽しむ」の内容を、「皆で楽しむ」、「自分が楽しむ」、「楽しませてもらう」の三つに分けて、考えてみます。

正確には映画ではなく、アメリカのテレビドラマです。DVD10枚組に全20話が収められているのですが、私は15時間の映画のつもりで鑑賞しました。時間制限の無い映画がどうなるか、などという興味もあったためで、高かったのですが思い切って購入(^^;)。

わが国産の卓上RPGシステムには、日本独自の「進化」が多々盛り込まれています。これら新奇なデザインが世に現れるまでには、しばしば似たような展開が見受けられます。

即ち、ゲームシステムのある部分について…。

  1. システムをそのまま素直に用い、問題がない段階
  2. システムが想定しない使い方をし、問題が発生する段階
  3. その使い方に合うようシステムを改め、問題が解決する段階

思うところあって、サブカテゴリー「プレイ全般」の内容をそのトップカテゴリー「卓上RPG考」に、サブカテゴリー「近況」の内容をトップカテゴリー「雑記」に、すべて組み込み、サブカテゴリーは削除しました。

テレビや新聞ではいまだに年金の話が盛んなようですが、「年金問題」はほとんど解決した、と私は判断しています。めでたし、めでたし。

で、今騒いでいるのは、実のところ「年金不信問題」ですな。年金制度が信じられるか、いや信じられない、と云々。いささか馬鹿馬鹿しい。

久々の論考レビューは「FEARシステム」について。

ここでいう「FEARシステム」とは、「シーン制」「シーンPL制」「ハンドアウト」「ゴールデンルール」などのFEAR製RPG特有の技法を組み込んだルールシステムのこと。取りあえず以下の四論考を拝読しました。

RPG日本

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