2007年9月アーカイブ

アルシャードガイアRPGサプリメント『エブリデイマジック』の序文で、井上純弌氏は「シナリオクラフト」という遊び方を「自由なTRPG」と評しています。しかし私は、そもそも彼が説く「自由」にひどい誤解がある、と考えています。

以下、序文「Dream Comes True」から引用しつつ、その誤りを正してまいります。まず、冒頭の一文。

ggincさんからお返事をいただきました。感謝と共に、毎回の素早い対応に敬意を表します。

残念ながら、まだ私の考えを伝え切れていないようです。分かり難くて恐縮ですが、「鏡(2007)の用語まとめ」を次のように訂正させていただきます。「意図」を全文改め、「管理」も追加しました。

ggincさんからトラックバックをいただきました。貴論考も私にとって大変勉強になっております。厚く御礼申し上げます。

さて、遅くなりましたが、貴論考でのまとめについて私の考えを記します。訂正ではなく、補足として。

前々からあったことですが、「議論」という言葉に過剰反応する方を、時折見受けます。おかしなことです。

ggincさんにトラックバックをいただきました。有難うございます。

後半を拝読するのを楽しみにしていますが、取り急ぎ「自由」やら「意図」やらについて。

「自由」と「管理」について執筆している間に、関連すると思われる話題について下記サイトにて意見交換が行われていたようです。私も一言愚考を述べさせていただきます。

安倍晋三首相が辞任を表明されました。拉致問題に対する見事な手腕、官僚やマスコミの不正に対する毅然とした態度などを拝し、応援してきた私としては残念でなりません。

「管理」されて遊ぶ場合についても、まとめておきます。一応先に言っておきますけど、私はここでいう「管理」を悪いものとは考えておりません。どちらも一長一短、むしろ「管理」の方が長所が大きいくらいです。

こちらでは、ゲーム参加者の中に「管理する者」と「管理される者」との関係が築かれます。「管理する者」が伝えようとする「君はこうしたいはずだ、こうしなくてはならない、こうしなさい」という「意図」を、「管理される者」が適確に受け止め、団結してその通りにゲームプレイを構築していくことになります。基本的には、次の二通りの関係があります。

ようやく、卓上RPGの話です。

卓上RPGを「自由」に遊ぶとは、ゲーム参加者が皆、「私はこうしたい、こうすべきだ、こうしよう」といった「自分の決断」によってゲームプレイに関与し、それがそのまま過程や結果に活かされることです。ここでいうゲーム参加者にはゲームデザイナーも含まれ、三通りの「自由」が共存することとなります。

もう少し、「自由」全般についての考察を重ねます。

「自由」とは「私はこうしたい、こうすべきだ、こうしよう」といった「自分の決断」によって行動することである、と述べました。もし、ある者の「自由」と他の者の「自由」とが相容れないものであった場合は、どうなるでしょうか。争いがおき、勝った方のみ「自由」を保ち、負けた方は放棄することになるのでしょうか?

まずは卓上RPGに限らずに、「自由」というものについて考えてみます。この語の意味は、辞書では次のようになっています。

  • 「自分の心のままに行動できる状態。思うまま」(小学館国語大辞典)
  • 「他から制限や束縛を受けず、自分の意志・感情に従って行動する(出来る)こと。また、その様子」(三省堂新明解国語辞典)

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