03 論考レビュー

物事を真に理解できたか否かを計るには、そのことを自分自身の言葉で語り直してみるというのが有効です。「レビュー」には「批評、論評」の他に「再調査、再吟味」の意味もあり、このカテゴリーでは後者の意味も含めた「レビュー」をしてまいります。

紙魚砂さんの「プレイヤーシーン」は、「場面」処理の歴史上、大変興味深い提言です。論考レビューの最初はこれについて考えてみます。

論考レビュー二つ目は、回転翼さんが説く「ゲームマスターの敷居の高さ」について。

回転翼さんが「うがって」くれましたので、約定(ブログの説明文)に則り別エントリーにてお返事を。

他人様の「脳内」に突っ込みを入れるなど無粋の極みではありまするが、nagafutimasatoshiさんの「脳内」に見られる「FEARゲーマー」について、「カテゴリーを生む違和感」の例として。

回りくどいタイトルの今回は、オンラインではなく、RPG雑誌における記事を扱います。

  • 友野詳「バカバカRPGを語る」第5回「パンティ爆発
    (Role&Roll誌Vol.26、p.54~55、新紀元社2006年10月発行)

久々の論考レビューは「FEARシステム」について。

ここでいう「FEARシステム」とは、「シーン制」「シーンPL制」「ハンドアウト」「ゴールデンルール」などのFEAR製RPG特有の技法を組み込んだルールシステムのこと。取りあえず以下の四論考を拝読しました。

政治ネタばかり続いたので、standbyさんが書かれた「自己実現」云々について一言。あらかじめ言っておきますと、standbyさんが「自己実現しろ」と仰っているわけではありません。タイトルは私個人の見解のみにて。

「セッション失敗」に関して、私の考察を示します。特に、「失敗すること」や「失敗したくないこと」ではなく、「失敗しちゃいけないと思うこと」「失敗に恐怖を感じること」について。

参考にしたのは、B.W.さんの「大失敗に学ぶ」や「いつ、どこでなら失敗してもいいですか?」を発端とする、紙魚砂さんとxenothさんとの議論。

御二方の記事はその後も継続していますが、追いつけていませんので、そちらは省きます。御容赦。

まず、私なりの理解。紙魚砂さんとxenothさんとは、次の一点については合意されています。

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